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2005年12月22日 由来

鳥山

鳥山.JPG
 今日は、園の「今年の納めの会」で、みんなで、鳥山に行きました。八王子には、「鳥山」という食べるところが何件かあります。「うかい鳥山」「ひな鳥山」「鎌田鳥山」などです。この鳥山という呼び方は、全国にあるかわかりませんが、もともとは、野鳥を食べさせるところでした。市内には、丘陵があり、そこで、「カスミ網」を使って、野鳥を捕っていました。秋から冬にかけて、シロハラやツグミなどが日本に渡ってきます。それを一網打尽にしてしまうのが「カスミ網」です。この罠は、細い糸(近年ではテグス等)で作られた網を空中に渡し、そこに飛んできた野鳥を捕らえる物です。現在、カスミ網はそれを所持することも販売することも禁止されていますが、今でも観賞用(メジロなど)や食用(ツグミ・スズメなど)といった野鳥の需要は高く、かすみ網を用いた密猟は後を絶たないようです。特にツグミという鳥が食用にされたのは、名前は、女の子の名前のようでかわいい感じがするのですが、体型はやや丸型です。特に、日本に渡ってきた直後と、春の渡りの直前は、脂肪をたっぷりと蓄えていて、おいしかったそうなので、狙われたようです。
もちろん、鳥山で食べさせてくれるのは、今は野鳥ではなく、ほとんどが鶏肉です。鶏は太古から我々にとって身近な存在だったようです。古墳の副葬物として鶏を形取った埴輪が出土されていることや「万葉集」に東の枕詞として「鶏が鳴く」があることからも、鶏が当時の人々に親しまれていたことが解ります。古事記での天照大神を呼び戻すために「常世の長鳴鳥」として鶏が登場しているように、刻を告げる役割が中心だったようですが、食用にもされていたようです。しかし、天武天皇のときに、牛・馬・犬・猿・鶏の食用禁止令が出され、家畜は食べてはならないということになりました。その頃から、近世に至るまで食用の鳥と言えば、キジや水鳥などの野鳥に限られていました。しかし、信長・秀吉の頃となるとヨーロッパの宣教師や商人の影響により、鶏肉が日本人の食卓に並ぶようになり、肉の禁止令は出ていましたが、江戸時代になると幕府や諸藩によって奨励され、鶏の飼育が広まりました。幕末になると肉食はポピュラーとなり、坂本龍馬がシャモ鍋を好んで食べていたことは有名な話です。明治以降は、肉食の禁令が解かれましたが、今と違って、「番頭さんは牛肉料理で旦那さんは鶏料理」といわれるほど鳥料理は、昭和中期、食肉用ブロイラーが台頭するまで高級食材だったようです。主な食べ方は、国によって違うようです。例えばドイツやスイスの北ヨーロッパ、中近東、中南米などは丸焼きや半割、または四つ割の骨付きのあぶり焼きにして食べる習慣があり、一方イギリスや南ヨーロッパでは骨付きの煮込み料理が多く、アメリカはケンタッキーフライドチキンに代表される様にフライドチキンが主な調理法であるようです。日本は、手羽先や手羽元は別にしても、正肉(骨なし肉)で売っているのがあたり前で、丸鶏を売っているのはあまり見かけません。鶏肉を細かく切って骨なしで食べるというのは古来日本独特の食べ方だったそうで、これは、正肉というのは、料理のバリエーションを豊富にし、器用な日本人らしい特徴のようです。

投稿者 fujimori : 2005年12月22日 23:25

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