山中恒

 日曜日に訪れた「尾道」というと、思い出すものの一つに、大林監督の映画「尾道三部作」と「新・尾道三部作」があります。このシリーズの「転校生」(原作では、「おれがあいつであいつがおれで」)「さびしんぼう」(原作では、「なんだかへんて子」)「あの、夏の日 ~とんでろ じいちゃん~」の原作者は、「山中恒」です。私が、児童文学者の中で、好きな作家です。彼は、『赤毛のポチ』で日本児童文学者協会新人賞、『三人泣きばやし』でサンケイ児童出版文化賞、『山中恒児童よみもの選集』で巌谷小波文芸賞、『とんでろじいちゃん』で野間児童文芸賞を受賞しています。そして、数多くの”児童読み物”を創作する一方、『子どもたちの太平洋戦争』『教えの庭に』『ボクラ少国民』などの「少国民シリーズ」で、自らが少国民として受けた戦時下の教育の実態を記録し続けています。
 しかし、彼を有名にしたのは、その作品の多くがNHKの少年ドラマになっていることと、なんていっても人気テレビドラマ「あばれはっちゃく」シリーズでしょう。また、歌の作詞でも、「インディアンが とおる あっほい あっほい あっほいほい」と始まる「インディアンがとおる」とか「ビュワーン ビュワーン 走る 青いひかりの ちょうとっきゅう じそく250キロ」と始まる「走れ超特急」が有名ですね。
 その中で、私が特に好きなのは、本人が、「僕は、児童文学者ではなく、児童読み物作家だ。」といっているように、痛快、面白読み物です。巌谷小波文芸賞を取った『山中恒児童よみもの選集』は、どれも面白くて大好きです。その中で「六年四組ズッコケ一家」などは、何度も、勉強を教えていた6年生に読み聞かせたものです。一方、とてもシリアスなものもあります。その中で好きなものに、「ぼくがぼくであること」があります。
 この主人公は小学6年生の少年です。彼は出来のいい兄弟たちの中で唯一おちこぼれているため、教育ママの母親から目の敵にされている。その彼が、夏休みの最初に些細なことから母親と対立して家出をするところから話は始まります。家出をした少年は走り始めたトラックの荷台に潜り込み、ちょっとした偶然から山村で暮らす老人と少女の家に身を寄せ、そこで二人の暮らしを手伝いながら、一夏を過ごします。やがて夏が終わり、家に帰った彼は母親や兄弟との関係の中で、自らが、自分にとってかけがえのない自己であること、家族もまた、一人一人が欠点も弱さもある一個の人間であることを自覚出来うる力を身につけていくのです。少年の母親は恐ろしいほどの教育ママに描かれています。最近の青少年に起きている事件の母親たちは、皆、子どもに対して「過干渉」のようです。教育ママという言葉を最近は聞きませんが、この言葉も過干渉という言葉同様、「自分の価値観を子どもに押し付ける」ということでしょう。子どもを教育すること、子どもに干渉することは別に悪いことではありません。ただ、一歩的に、自分の価値観で子どもをコントロールしたり、子どもの気持ちを汲み取ることなしに、自分の気持ちを押し付けることが問題なのです。
「ぼくが、ぼくであるために」ということが必要なのです。

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