開成中 海難事故の碑
歌の歌詞からは、いろいろなことを学びます。「冬の星座」では、宇宙の広がりと、冬の空で演じられる星の営みを感じます。また、「たきび」では、冬の道を歩いている子どもたちの心の動きが感じ取れます。また、ある出来事に対しての心の動きを歌ったものもあります。たとえば、鎮魂歌「七里ヶ浜の哀歌」があります。この歌は、のちに、「真白き富士の嶺」として歌い継がれています。明治43年鎌倉七里ケ浜で、逗子開成中学のボートが沈み、乗っていた生徒12名全員が死亡しました。そのなかで、5年生の徳田勝治と、逗子小学校高等科2年生の徳田武三の遺体が発見されます。兄の勝治は武三を抱きかかえ、弟の武三は勝治に抱きついたままの状態でした。おそらく兄は溺れかけた弟を助けようとしたものの、ついに力つきたものと思われます。(七里ガ浜公園には、この2人の少年が抱きあっているブロンズ像「真白き富士の嶺」が建てられています。)その事故に心を痛めた、当時鎌倉女学校の教師三角錫子がガードン作曲の「夢の外」に歌詞をつけたものが、この「真白き富士の嶺」という歌です。1.真白き富士の嶺 緑の江ノ島 仰ぎ見るも 今は涙 帰らぬ十二の 雄雄しき御霊に 捧げまつる 胸と心2.ボートは沈みぬ 千尋の海原 風も波も 小さき腕に 力も尽き果て 呼ぶ名は父母 恨みは深し 七里ヶ浜(本当は、6番まであるのですが)そのように歌詞から心を感じ取れるほか、いろいろなものが学べます。たとえば、「桃太郎」とか「浦島太郎」などは、昔話を歌詞によって語ります。歌うことによって、ストーリーがわかるようになっています。そのほかには、歌によって、観光案内をするものがあります。そのひとつが、鎌倉を題材にして、1910年に発表された文部省唱歌の『鎌倉』という歌です。作詞者は芳賀矢一ですが、作曲者は不明です。全8番におよぶこの歌には、鎌倉の名所や歴史上重要な土地、各地に伝わる史実や伝説などが旅の形式をとりながらコンパクトに紹介されています。きょうは、その歌詞に登場する「七里ガ浜」「稲村ガ崎」「極楽寺坂」「長谷観音」「由比ガ浜」「雪ノ下」「八幡宮」「若宮堂」「鎌倉宮」の場所を訪ねてみました。
1、七里ヶ浜のいそ伝い/稲村ヶ崎 名将の/剣投ぜし古戦場

七里ガ浜と稲村ガ崎
2、極楽寺坂越え行けば/長谷観音の堂近く/露座の大仏おわします

極楽寺坂と長谷観音
3、由比の浜べを右に見て/雪の下村過行けば/八幡宮の御社
4、上がるや石のきざはしの/左に高き大銀杏/問わばや 遠き世々の跡

鶴岡八幡宮と大銀杏
5、若宮堂の舞の袖/しずのおだまきくりかえし/かえせし人をしのびつつ
6、鎌倉宮にもうでては/尽きぬ親王のみうらみに/悲嘆の涙わきぬべし
7、歴史は長き七百年/興亡すべてゆめに似て/英雄墓はこけ蒸しぬ

八幡宮と頼朝の墓
8、建長円覚古寺の/山門高き松風に/昔の音やこもるらん
今日は、NHKの「義経」の最終回でした。鎌倉幕府の創設と、滅亡の地を見て、今を生きる意味を考えなければという思いを強くしました。
湘南平塚、横浜に住んでいた頃、鎌倉は何度も足を運びました。写真の七里ガ浜公園にもよく行きました。ブロンズ像をみた記憶があります。「みた」という程度でそれ以上のことは今回のブログの記事を読むまで知りませんでした。とても悲しい出来事があったのですね。掲載されていた写真の一つ一つを懐旧の念とともに拝見しました。鎌倉には実にいろいろな思い出があります。今は亡き大工の父と円覚寺や建長寺などの神社仏閣の建築を見て回りました。若かった時の淡く切ない思いでも脳裡によみがえり、ちょっと恥ずかしくなりました。