
昨日は、19年開園予定の新宿の保育園の現地調査がありました。いま、根切り工事が始まっています。基礎や地下構造物を造るために、地盤面下の土砂、岩盤を掘削することを「根切り工事」といいます。床掘りともいうこともあります。土を掘ると、張り巡らされている木の根を切ることになるので、「根切り」というのでしょうか? 今は、都内の工事では、土を掘ると昔の杭や基礎が出てきて、それを抜いたり、壊したりすることが多いですね。そして、その掘った土を運び出さなければなりません。しかし、今回の工事現場は、前の通りが狭い上に、急斜面なので、大きなトラックでは難しいこともあり、大変です。この道は、工事の時には急斜面で大変ですが、歴史的には、とても由緒があります。東京には、様々な名前のついた坂がたくさんあります。この坂は、「相馬坂」といいます。新目白通りを下落合4丁目付近で北に入り、落合第4小学校・おとめ山公園の間を通るのが、相馬坂で、北に向かってやや急な上り坂です。この小学校と、相馬坂を挟んで、新しい保育園が建つ予定です。江戸時代、この坂に隣接するおとめ山公園一帯は、将軍家のお鷹狩の場所で、一般の人々は立ち入ることができず、御禁止山(おとめ山)と言われていました。(はじめて聞いたときは、乙女山と思っていました。)御留山というのは江戸時代(藩制時代)に、役人の許可がないと入れない山を意味していました。有益な資源が有るので、役人の管理下に置いて管理させていた山なので、伐木禁止、採掘禁止させる意味で、立入を禁止の地域なのです。しかし、このおとめ山には財産があるわけではなく、将軍が鷹狩りという遊び(スポーツ?)をするために、保護したようです。どこかに、川にも御留川もあるそうです。このあたりを、明治になって相馬家が買い取り屋敷を建てたことから、相馬坂と言われています。おとめ山公園は、自然の雰囲気を残した樹木の多い公園です。山手線「高田馬場駅」と「目白駅」から徒歩10分ほどの場所にひっそりとある区立公園ですが、真夏の一時期には数千人もの人々が集まります。庭内には、落合が妙正寺川を中心に昔から蛍の棲息地であったところから、区ではこの公園内で蛍の人工養殖をはじめ、成功しており、毎年7月下旬に蛍観賞の夕べが開催されているからです。養殖に利用されているのはもちろん自然の湧水です。(名水巡礼東京八十八ヵ所に選ばれています。)明治以降は、山を南北に分けて、北側を近衛家、南側を相馬家が所有していました。庭園は「林泉園」と称し、池泉回遊式のもので、大正3年に長岡半平が築造したものだそうです。現在残っているのはこの部分で、戦後は荒廃し、長らく“落合秘境”などと呼ばれてきましたが、地元の文化人が陳情して、昭和44年に区立公園となりました。スギ、ナラ、シイ、クヌギなどの豊かな木々が生い茂り、池には、鯉と、亀が住んでいますし、カルガモも子育てをします。こんな公園を、大切にしたいですね。
私が良く遊んだのは昭和33年ごろで、まだ公園になっていなかった 小さな川でザリガニやおたまじゃくしを取っていたものです 落合第4小学校の4年3組だった皆さんお元気ですか 松島君 井上さん 川崎さん みんなで良く遊びましたね 私は途中で転校してしまったので卒業アルバムには載っていませんが、みんなで遊んだ記憶は今も鮮明に残っています
鷹を放して将軍が・・・という校歌をふと思い出して小学校のHPがあるかと思い検索していたら、懐かしい場所が出てきたので思わず横道にそれてしまいました