慣れる

 今日は、園への見学者が、一昨日からのセミナーの続きで26名いました。この数が多いのか少ないかは、微妙なところです。月曜日は、60名以上いましたし、月に数日は20名を超えることもありますので、職員は、なれてしまっているかもしれません。なれているといえば、見学者からよく「子どもたちが、見学者になれているようで、少しも動じませんね。」と言われます。それは、子どもたちは、見学者がいようと、いまいと、物事に集中していますし、自分たちのことを黙々とやっているからです。しかし、慣れるということは、どういうことなのでしょう。意味としては、
(1)たびたび経験した結果、当たり前のこととして受けとめるようになる。なれっこになる。
「都会での生活に―・れる」「会議の雰囲気に―・れる」「待たされるのには―・れている」
(2)何度も経験してうまくできるようになる。習熟する。
「料理も―・れれば手際よくなる」「―・れた手つき」「―・れない仕事で疲れた」
(3)接触する機会が多く、心理的な隔たり・距離感がなくなる。
(ア)人に親しみをもつようになる。「生徒はようやく新しい先生に―・れてきた」
(イ)獣・鳥などが人に対して警戒心や敵愾心(てきがいしん)をもたなくなる。
「野生の動物はなかなか人に―・れない」
(4)体になじんで具合がよくなる。「足に―・れた靴」
(5)動詞の連用形や名詞の下に付いて、何度も経験して具合がよくなる意を表す。
「履き―・れた靴」「書き―・れた万年筆」「旅―・れた人」
 これらのなかで、見学者が使う「なれているのですね。」は、どの意味なのでしょうか。
(1)の意味が多いかもしれません。見学者のいることを当たり前のこととして受け入れているようになっているようです。 (2)の意味であれば、子どもたちは、次第に見られることに習熟してきて、感心してもらえる行動を心得てきたということになります。しかし、ほぼ毎日見学者がある状態であるときに、子どもたちは、見学者へ気を使っていたら、どこか無理がきます。(3)は、少しあるかもしれません。見学者に対して、親しみまでは行きませんが、警戒心は持たなくなってきている気がします。(4)(5)では、どうもなさそうです。
 やはり、どうも1番目の意味ですね。ということは、子どもたちが熱中しているという姿は、見学になれているので、普段のままの様子が見られるということです。見学者にとって、子どもの普段の様子が見られるので、参考になると思うのですが、どうも、なれてくると、特別な姿になることだと思っているようです。私が教員のときに、教室の後ろに、保護者がいつでも見に来てもいいように椅子を3脚置いておきました。授業参観の日の子どもの姿は、特別な姿ですから。

慣れる” への1件のコメント

  1. 藤森先生、保育環境セミナーお疲れ様でした。
    今回、初めて参加させていただきました。
    何度聞いても先生の深い思索に裏付けられたお話には
    圧倒されます。「天晴れぬれば、地明らかなり」というのは、鎌倉時代の大聖哲日蓮の言ですが、
    その言葉を思い起こしました。
    先生のお話には、単なる教育論ではなく哲学の香りを感じます。子どもたちに対する優しい慈愛を感じます。
    時代の変化に右往左往している教育界にとって、
    先生の思想は確かな羅針盤になりますね。
    これからも御指導よろしくお願いします。

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