遠野

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今日は、山田町から、宮古を通って、閉伊川側沿いの道を盛岡まで行きました。今、紅葉真っ盛りで、また遠くに雪をかぶった岩手山が見え、とても景観がすばらしい道でした。また、昨日山田町へ向かう道は、今は、かつての活気がなくなった釜石を通りましたが、途中、とても美しい村を通りました。そこは、「柳田国男」の「遠野物語」でも有名な、遠野市です。「遠野」の語源は、アイヌ語の「ト?ノヌップ(湖の周りの小高いところ)」からきていると言われます。(遠野物語のなかにも、アイヌ語がたくさん出てきます。)ここは、この村に伝わる昔話が有名だけでなく、谷間に広がる盆地に、民家がたたずんでいる姿は、とても美しいです。山と、空を切り取る民家の屋根と壁は、計算されているかのようです。「遠野物語小事典」には、この姿を、「自然の風景に溶け込んで、小さな山や丘に見えた。」と書かれています。このあたりで有名な「日本十大民家」の一つに数えられる「千葉家」に寄ってみました。このあたりの民家は、「曲がり屋」というつくりをしています。曲り家というのは、L字型の家のことで、人間の住む母屋と馬小屋を直角に連結した農家をいいます。その平面図は、遠野物語にも書かれています。昔話に欠かせないつくりでもあります。これを外から見てみると、屋根は茅(かや)で葺き、周りを土壁で塗りつぶし、柱や貫だけを露出させるつくりになっています。「千葉家」は、見晴らしの良い小高い丘の中腹に石垣を築き、前面に柵をめぐらした屋敷構えの家で、曲り家の最盛期に建てられ,保存状態も良く、上層農民の最高級の曲り家として典型的なものといわれます。
そのあと、「伝承園」に行きました。ここでは、遠野地方の農家のかつての生活様式を再現し伝承行事、昔話、民芸品の製作・実演などが体験できます。園内には国の重要文化財に指定されている曲り家「菊池家住宅」、柳田国男の遠野物語にも、語り手として書かれている話者「佐々木喜善記念館」、遠野物語のなかのいくつかの話のなかに出てくる千体のオシラサマを展示している「御蚕神堂」などがあります。「遠野物語」とは柳田国男という学者が明治時代に書いた伝説集です。内容は民俗学の論文ではなく、一般的な読者を対象にした読み物です。(しかし、文語体で書かれているので、今、読むのには、苦労しますが)ここには、119話収録されています。「遠野物語」の中には、河童、山姥、座敷童、神隠し等の怪異の物語が多く、読んだときは、この地には、こんなに妖怪がいるのかと思ってしまいました。しかし、「遠野物語」に語られる物語の多くは、普遍的・一般的な伝説であり、率直に言って日本中どこの町や村にもあるようなもののようです。
説話の多くはもともと口承文芸で、地域・言語によっては、ある時代から書き言葉で残されるようになったものもあります。「グリム童話」も、口伝に取材して後年本にまとめられたものですね。今、映画で、「ブラザーズ・グリム」が上映されていますが、これは、グリム兄弟をペテン師のように描いていますが、やはり、昔話が伝わる村を描いています。それに比べて、柳田国男によって、「遠野物語」という格調高い文学作品を通して、遠野という村を格調高くよみがえらせたよい例のようです。

遠野” への6件のコメント

  1. 「遠野物語」は聞いたことがあり、本屋や図書館でも目にすることはあるのですが、手に取ったことはありませんでした。なので内容がどのようなものなのかは知りませんでした。実際の地を訪れる藤森先生の姿にも刺激を受けます。私はやはり歌舞伎を見てみたいなと思います。タイミングがあって、いつか生で見れるといいなと思っています。

  2. 口承文芸の説話。もっとたくさん知りたいですね。そういったところにも、年を重ねた方々の登場が望まれるでしょうね。私が保育園にいた頃、「妖怪大全集」みたいなタイトルの大型絵本があったのを思い出します。そこにかかれている妖怪を、怖いもの見たさでよく見ていました。その妖怪が、一般的に書かれているとは、面白いですね。まだ、妖怪も「いない」と証明できた人はいないわけですから、可能性としてはありますね。赤ちゃんには第6勘があるかもしれないと、藤森先生が言っていたので、もしかすると赤ちゃんには、見えているのかもしれませんね。

  3. 昔から受け継がれている話は当然昔の言葉、昔の文字で書かれています。そのようなものを目にすることがありますが、私はほとんど読むことができません。これが続いていくと、過去の財産に全くアクセス出来なくなることがいずれ起きてくるのかもしれません。そう考えると、昔の文化などを研究している人の存在は非常に重要な存在だといえるんでしょう。文化はきちんと受け継いでいきたいものです。

  4. この遠野には私も同行しました。実は、千葉家の建物や伝承園はその時が初めての訪問でした。まぁ、私はそれらの訪問よりも町の公用車の中で先生から伺った話の方が印象的で、そのことの方をよく覚えており、千葉家も伝承園も、あぁ行ったな、というくらいの感覚ですね。それでも、千体のオシラサマや「佐々木喜善記念館」で「遠野物語」の直筆原稿を目にして鳥肌が立ったことは覚えています。「遠野物語」は現代文でなんとか読み通した記憶があります。何せ、私が生まれ育った土地の地名が出てきます。とても親近感を感じましたね。そして、その物語の中に登場する、津波で亡くなった方のお話は私の同級生の家のご先祖のお話でした。このことを今回の津波で知りました。そして、先生を公用車で送り迎えをした、私が親しくしていた役場職員さん、残念ながら、今回の津波の犠牲者になりました。今回のブログを読みながら、彼氏の記憶を新たにし、胸を熱くしております。11日は月命日です。その翌日に思い出し、こうしてコメントに表せるのもご縁であり、そして何かの供養になるだろうと思います。

  5. 柳田国男が作品を通して、村おこしを行ったような印象を受けます。自分の愛した場所に自分なりの方法で恩返しをしていくということは、その場所にとっても有難いことであるはずです。
    景観の素晴らしさや、村の美しさ、民家の計算されたかのような洗練さは、その場所を訪れなければ味わえないものです。先日、研修旅行にて石見銀山から降りる際に自然豊かな道、歴史的情緒のある街並みをゆっくりと歩きました。頭の中がスーッとなるような清々しい気持ちに包まれました。素晴らしい景色や空気の中に身を置くことの素晴らしさを体感することが出来たと思い、とても貴重な体験となりました。本当にありがとうございました。

  6. 遠野物語やその地域がとても気になりました。「遠野には「町」「里」「山」という3つの暮らしの領域があります。それぞれが独自の文化を育み、互いに影響しあいながら、盆地という空間の中で一体となっている遠野の暮らしの姿」とありました。自然が近くにあり、その恩恵を受けていると感じているからこそ、計算されているような美しさや雰囲気があるのではと思いました。しっかりと考えられた空間は見る人を魅了し、保育園も子どもたちがわくわくするような環境をデザインしていきたいなと思いました。

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