私の住んでいる八王子市で行われるさまざまなイベントのなかで、一番好きなものに「いちょう祭り」があります。(そのほかは、どれもあまりぱっとしません。)八王子の町は、八王子城の城下町としてと、甲州街道の宿場町としてと、横浜への絹の道に沿っての織物の町という姿を持っています。町の中心を横切っているのは、横浜、川越街道(国道16号)と、甲州街道(国道20号)です。その甲州街道は、みごとないちよう並木が続き、見事な黄葉、そしてその落ち葉でつくられる黄金の絨毯は、まことに美しい景観を醸し出します。これは、昭和2年、横山村長房の「龍が嶺」南麓一帯に大正天皇の御陵が設けられる事になり、昭和2年から街道の改修工事が始まり、昭和3年に完成しました。この時追分交差点から高尾駅までに並木として、ほぼ4Kmにわたる甲州街道両側に770本の「いちょう」が植えられたのです。今は、この大正天皇陵の奥に、昭和天皇の武蔵野陵もあります。このいちょう並木が植えられてから80余年経過し、この間、八王子市は大きく変貌し、特に 最近30年ほどは21校に及ぶ大学の進出で、大学の町になっています。
「いちょう祭り」は、八王子を象徴するこの壮観を背景に、市民によって作られた祭りです。昭和54年(1979)に第1回の祭典が開催され、今年は26回になります。(昭和55年は学園都市宣言の行事のため、いちょう祭りは開催しなかったようです。)甲州街道は江戸五街道の一つで、途中に小仏関所があった事から、この史跡に至る道を通行手形で通過した江戸時代の史実をまね、「関所オリエンテーリング」を実施しています。毎年通行手形を持って沿道町会による12関所で焼印を押しながら5、6キロの街道(約8000歩)を歩いて、完歩者には、最後の小仏の関所でパーフェクト賞がもらえます。この手形の売上金が、祭りを運営するための資金となるのです。この手形は、今年は、今年の星座を図案化したものでした。
私は、ほぼ、毎年参加していました。ある年は、教え子たちと、子どもができてからは、我が子の成長に伴って、歩く距離を伸ばし、参加してきました。しかし、わが子が大きくなってからは、なかなか行く機会がなくなっていましたが、久しぶりに妻と二人で歩いてみました。(今日は、夕方広島に行かなければならなかったのですが、きちんと、完歩して、パーフェクト賞をもらいました。)子どもと一緒のときはそれなりの楽しさがあり、妻と二人で歩くときもちがった楽しさがあります。道々で見る店、食べるもの、歩くペース、妻とですと、気が楽です。
毎年30万人余の参加があるこの「いちょう祭り」は、「自然と心のふれあう地域文化を創造しつつ、地域の発展と社会的な広がりを作ることを目指して、市民の活力を生かして、有志市民により企画され、市民手づくりの新しい祭りとして実施運営されています。」と趣旨にあるような試みが、わたしはとても好きです。
月別アーカイブ: 11月 2005
頭のいい子
今、発売の「プレジデント ファミリー」の雑誌の目次には、ものすごいタイトルが並んでいます。総タイトルが、「頭のいい子の親の顔」で、一部が、徹底調査!「東大生100人の小中学校時代」勉強時間、部活は?父親の学歴、年収、家庭の人間関係は?「有名進学塾に通う僕らのホンネ」「学力は家で伸ばす賢い父母の三つの習慣」「高校からアメリカへその決断の見返りはどこにある」「早慶の高校にもあった一芸一能でもらう入学パスポート」「超難関校に合格した一家の手帳をお見せします」二部は、特選!父は知らない中学受験と高校受験「夢を広げる学校選び」ということで、さまざまな学校選びが続きます。これでもかというように、コラムエッセイには、「どうしてやる気のない子が増えたのか」とか「子ども二人を私立にやれるか」などなど、巻末付録に「東大、京大合格者ランキング50年史」「今後50年の教育カレンダー」なんか、うんざりしますね。もうすぐ受験シーズンなので、当然かもしれませんが、すごいですね。といいつつも、思わず、買ってしまいました。(もう、わが子は、受験には関係ない年ですが)しかし、中身は、それほど受験をあおってはいません。私の出身高校は、受験校で有名な高校だけあって、本当に頭のいい子がいて、それは生まれつき頭がいいというか、テストができるように生まれてきたというか、覚えることが生まれつき優れているというか、逆に、それしか能はないというか、私からすると、魚屋と八百屋の違いであり、どちらがえらいということでないという経験をしました。というのは、勉強をするとかしないとかの問題ではないのです。したがって、その子と、同じ土俵で勝負しても、一生かないません。一生懸命子どもの尻をたたいて勉強をさせている親子を見ると、かわいそうになりますし、もしいい学校に入れようと思ったとしても、その方法は間違っています。それが、東大生100人の小学校時代のアンケートに表れています。たとえば、「家族旅行によく出かけましたか?」では、82%が「はい」(しかし、海外旅行には、ほとんど行ったことがありません)と答えていますし、「家族一緒に夕食をとりましたか?」は、64%が「はい」と答えていまし、食べていないと答えた子でも、週末はほとんど一緒に食べています。(いいえと答えた子が、5%です)また、テレビゲームをしていた時間は、平均で1日1時間です。小遣いも平均月613円です。習い事も、塾以外では、ピアノ、水泳の40%、習字35%に比べて、英会話は14%しかいません。そして、座談会でも、コーディネーターをつとめた末木さんは、いま、親の目線で学校選びをしてしまったりする親が多いなか、意外と、東大生の親は、精神的な自立をしており、「あなたのことをちゃんと気にかけているよ。」という信頼関係さえあれば、いい意味での放任主義で子育てしていいのだという感想を持ったようです。
必ずしも、東大に行くことがいいと思いませんが、このような結果は、子どもをいい学校に入れようと過干渉気味に子どもにべったりついている親に対しては、いい警告かもしれませんね。テレビゲームばかりやらないで、家族で旅行をしたり、一緒に家で食事をしたりするほうが、どちらにしてもいいようですね。
風邪
今年は、どうも新型インフルエンザが流行しそうです。新型インフルエンザは、鳥などのインフルエンザA型ウイルスが変異し、人から人への感染力を獲得して出現するようです。1918~20年のスペインかぜは世界で約4000万人、68~69年の香港かぜ(A香港型)は100万人以上が死亡したとされています。なんだか怖いですね。しかも、治療薬「オセルタミビル(商品名タミフル)」の備蓄はなくなる可能性があるとか、その副作用があるとか、言われています。しかし、政府では、新型が出現しても、むやみに恐れる必要はないといっています。インフルエンザが流行するのは、軽症者の多くが外出して感染を広げるためなので、大流行時に、会社の出勤停止や集会の自粛など、異例の勧告が出されました。個人ができる予防は、マスクの着用、手洗いの励行など、通常のインフルエンザ対策と同じようです。
風の語源は、「か」が「気(か)」で大気の動きを意味し、「ぜ」は「風(じ)」で「気風(かじ)」の転とされていますが、風邪の語源も「風」と同じだといわれています。また、インフルエンザの語源は、「星の影響」を意味するイタリア語です。ずいぶんロマンチックのようですが、昔のイタリアでは、この病気の原因が解らず、占星術師などにより惑星の並びによるものと考えられていたことによります。英語では、インフルエンスは、「影響」という意味です。面白いことに、感冒は、オランダ語のカンバウ(カゼ)からきているそうです。
ウイルスが多いところは、1番が、カラオケマイクで4000個、次が、公衆電話の受話器3000個、電車の吊り輪1000個のようです。あとは、居酒屋、タクシーなので、気をつけましょう。
予防の「うがい」の語源は面白いです。うがいは、岐阜県長良川の鮎漁で有名な「鵜飼」が語源なのです。鵜飼は、かがり火を焚いて鮎などを近寄らせ、鵜に魚を水中で飲み込ませた後、引き上げて吐かせることから、「うがい」と呼ばれるようになったのです。また、お屠蘇(おとそ)は、唐時代の医者が、流行風邪予防のために作ったのが、おいしいと流行になったのが最初で、この医者が住んでいた家の名前が「屠蘇庵」といったそうです。そして、屠蘇とは、「鬼気を屠絶し人魂を蘇生させる」ということで、ここから、1年中の邪気を払い、延命長寿を願うために飲む酒となって、お正月の飲みものになったそうです。ちなみに屠蘇は、薬局などで売っている屠蘇散(肉桂、大黄、百じゅつ、山椒、桔梗、乾姜などの薬草を合せたもの)を、5~6時間水にひたしてから取り出し、清酒(みりんを加えることもある)を加えて作っているので、当然、風邪薬ですね。
風邪を引いたら、鵜のような「うがい」をして、おとそを飲んで寝ましょう。
保護者
保育園や幼稚園、学校など子どもを預かる施設は、その子どもの保護者との関係をどう作るかが課題になっています。先ごろ中央教育審議会から出された「新しい時代の義務教育を創造する」という中でも、その難しさについて、こう書かれています。
「本審議会でも、家庭や地域の教育力を取り戻すことは難しく、学校への期待は大きいとの意見。一方で、本来家庭や地域が果たすべき機能を学校に持ち込むのではなく、家庭や地域がその責任を果たすことが必要であるとの意見。家庭の教育力が低下しているからといって学校の役割を拡大しても、子どもの心の満足は得られず、家庭の教育力は学校で代替できる性質のものではないとの意見などが出された。学校五日制についても、両方の立場からさまざまな意見が出された。このほか、家庭支援のための福祉行政との連携の必要性。ゲーム・テレビの影響などマスメディアを含め、大人社会のあり方の問題なども意見として出された。また、学校と、家庭・地域とが共同し、両方が教育力を高めるべきとの意見も出された。」
私たちが、「子どもが他者と関わる力をはぐくむ保育環境と家庭環境」という調査をしたことがありました。そのなかで、「保護者に対するサポート」という項目では、「保育士が保護者に対してサポートを行うことも、間接的に子どもが他者と関わる力をはぐくむことにつながっている。」 という結果がでました。そして、「関係者がいっしょに育児にかかわっているような状態を構築することが、子どもの力をはぐくむ土壌となるといえるだろう。」というまとめでした。それが、まさに、どちらがどちらに責任を押し付けるのではなく、「共同して」という姿勢なのです。もちろん乳幼児期と学童期の違いはありますが、保護者は、保育士に対して、いっしょに育児をしている仲間だと感じることが、子どもの発達を促すのです。少子化の原因のひとつとして、公教育への不安があるといいます。保護者の教育への信頼が、子どもたちの情緒を安定させ、それが学習効果をあげ、発達を促すのです。
私の園で、保育参観のあとの保護者とのメールのやり取りで、感動したことが最近ありました。
保護者「先日、朝、○○先生から、「いつもありがとうございます。」と言われて、「こちらこそ、いつも、私の子供をはじめ、園児と共に過ごしていただき、ありがとうございます。」と言う機会を逃してしまいました。何卒、よろしくお伝えくださいますようお願いします。気の利いた感謝の気持ちひとつ伝えられない、私ですみません。本当に、先生方には、感謝しています。これからもよろしくお願いします。
園「○○の感謝の気持ちは、私も同じでございます。(便乗させていただきます)伝言、必ず伝えます。
保護者「いえいえ。こちらこそ、ありがとうございますm(__)m 先生方や保護者の方からの応援って本当にうれしいですよね。あと、先生方は、私に対して、「すみません」と気を使っていただいていますが、私も仕事に追われるだけでなく、日々の生活の中で、何か園のために始められればと思っていたことが、今、現実になっているので、大げさかもしれませんが、夢が叶っているんですよね。これからも、保護者と保育園がうまく連携をとりながら、いろんな問題を解決できるような関係でいましょうね。多分、父親の他のメンバーも同じ気持ちだと思います。(^^ゞ
慣れる
今日は、園への見学者が、一昨日からのセミナーの続きで26名いました。この数が多いのか少ないかは、微妙なところです。月曜日は、60名以上いましたし、月に数日は20名を超えることもありますので、職員は、なれてしまっているかもしれません。なれているといえば、見学者からよく「子どもたちが、見学者になれているようで、少しも動じませんね。」と言われます。それは、子どもたちは、見学者がいようと、いまいと、物事に集中していますし、自分たちのことを黙々とやっているからです。しかし、慣れるということは、どういうことなのでしょう。意味としては、
(1)たびたび経験した結果、当たり前のこととして受けとめるようになる。なれっこになる。
「都会での生活に―・れる」「会議の雰囲気に―・れる」「待たされるのには―・れている」
(2)何度も経験してうまくできるようになる。習熟する。
「料理も―・れれば手際よくなる」「―・れた手つき」「―・れない仕事で疲れた」
(3)接触する機会が多く、心理的な隔たり・距離感がなくなる。
(ア)人に親しみをもつようになる。「生徒はようやく新しい先生に―・れてきた」
(イ)獣・鳥などが人に対して警戒心や敵愾心(てきがいしん)をもたなくなる。
「野生の動物はなかなか人に―・れない」
(4)体になじんで具合がよくなる。「足に―・れた靴」
(5)動詞の連用形や名詞の下に付いて、何度も経験して具合がよくなる意を表す。
「履き―・れた靴」「書き―・れた万年筆」「旅―・れた人」
これらのなかで、見学者が使う「なれているのですね。」は、どの意味なのでしょうか。
(1)の意味が多いかもしれません。見学者のいることを当たり前のこととして受け入れているようになっているようです。 (2)の意味であれば、子どもたちは、次第に見られることに習熟してきて、感心してもらえる行動を心得てきたということになります。しかし、ほぼ毎日見学者がある状態であるときに、子どもたちは、見学者へ気を使っていたら、どこか無理がきます。(3)は、少しあるかもしれません。見学者に対して、親しみまでは行きませんが、警戒心は持たなくなってきている気がします。(4)(5)では、どうもなさそうです。
やはり、どうも1番目の意味ですね。ということは、子どもたちが熱中しているという姿は、見学になれているので、普段のままの様子が見られるということです。見学者にとって、子どもの普段の様子が見られるので、参考になると思うのですが、どうも、なれてくると、特別な姿になることだと思っているようです。私が教員のときに、教室の後ろに、保護者がいつでも見に来てもいいように椅子を3脚置いておきました。授業参観の日の子どもの姿は、特別な姿ですから。
ユリノキ

今、園の周りの街路樹は、紅葉がきれいです。といっても、赤ではなく、黄色く色づいています。この街路樹は、「ユリノキ」といいます。木の名前の由来は、いろいろなところから来ています。昔、その木を見て、何かを連想したり、何かに似ていたりして名前をつけます。この木の花を見た人が、この木の花がユリの花に似ているということで、「ユリノキ」(百合の木)とつけたようですが、実際は、チューリップに近いのです。ですから、学名はtulip tree 、また別名もチューリップの木といいますが、日本に渡来した明治時代には、日本ではチューリップがなかったので、ユリとなったとか聞きました。別のところで、始めてみた人が、花を見ないで、葉を見たところ、葉の形が祭りなどに着るはんてんに似ているので、「ハンテンボク」「半纏木」(はんてんぼく)とよびました。他にも、葉の形から、「奴凧(やっこだこ)の木」、「軍配(ぐんばい)の木」などともいうようです。
この木には、思い出があります。私が少しの間、勤めた小学校の校歌に「ユリノキは 風に輝き 枝をはり」という歌詞がありました。そのころは、ユリノキを知らなかったので、他の教師に聞いてみましたが、誰も知りません。そこで、調べてみました。その木の別名が「半纏木」ということを知って、校庭にあるその木の葉を見たら、まさに祭りに着る半纏にそっくりだったので、非常に感動してしまいました。そのころ、朝礼で、教師が交代でいろいろな話をしていましたので、私の当番の日に、画用紙に半纏の絵を描いて、実際にハンテンボク(ユリノキ)の葉を見せて、子どもたちにその木の名前の由来を話したのです。いつも歌っている校歌の歌詞なのに、他の教師は、調べようとしなかったです。
また、朝礼といえば、思い出すことがあります。いつものように私が担任している1年生の後ろで、校長先生の話を聞いていました。すると、担任しているクラスの子達が、ふらふらして、話を聞いていません。そこで私は、「きちんと、校長先生の話を聞きなさい。」と注意しました。すると、隣のクラスのベテランの教師がこう言いました。「それは、校長の話がつまらないからいけないのよ。」私は、「つまらないなら、後で言いにいけばいいじゃないですか。きちんと聞かなければ、文句を言いにいけないでしょ。」私のクラスは、子どもたちに何度か、校長室まで、今日の話はつまらなかったとか、面白かったと言いに行かせていました。すると、隣のクラスの教師があきれたようにこう言いました。「ずいぶん先生って、軍国主義なのね。」びっくりしました。どうも、きちんとさせると軍国主義だと思っているようです。私は、子どもでも、校長のところに、つまらなければつまらないと言いにいけるのが「民主主義」だと思っています。戦後、どうも民主主義とか、自由ということが間違って理解されてきたことがあるようです。
父親の背中
昨日の映画には、子どもの遊び場として、路地が出てきました。小学生のころ、私も、学校まで、路地伝いに行ったことがあります。家と家の間にある隙間、車が通ることができないほど細い路地、道に植木をたくさん置いてある路地、やっと車が通れる路地とあります。下町は、ほとんどが問屋なので、日曜日に休みの店がほとんどでした。したがって、近くに広い公園など遊び場がないために、その路地や神社の境内が子どもの遊び場であり、人々の出会う場所でした。(たぶん日本で初めて歩行者天国が行われたと思います。道の端には、車止めが日曜日には置かれました。)そんな路地で育った私は、父親の育児参加が言われはじめたころ、新聞が、「父親の育児」というテーマで、原稿を募集しました。そこで、私が、地域の保育展のチラシのリードに書いた詩を投稿したところ、採用され、紹介されました。
お父さんの背中って なんだか 路地裏の感じがする
なぜって 路地裏って 懐かしいような 甘酸っぱいような香りがする
表にあるような 派手さはないけれど 力強さや生活力がある
陽は当たらなくても 陽だまりのように とってもあったかい気がする
そして 子どもの世界を じゃましないで だけど しっかり守ってくれる
僕たちは きっと 路地裏で大きくなったんだ
路地裏でいろんなことを覚えたんだ
お父さんの背中って やっぱり 路地裏だ
わたしは、「父性」と「母性」はあると思います。もちろん、この役割分担は、具体的な「父親」と母親」の役割ということではありませんし、生まれついての本能というつもりはありません。ただ、子どもを育てる上で、大きく二つの要素があると思います。しかし、どうも、最近は、家庭に母性的なかかわりが強すぎたり、父性的なかかわりだけであったりすることが問題のような気がします。たとえば、「教育」という漢字も、「教」の字は、子どもを鞭打つように人間の長い一生を洞察した上で、しつけなどを中心に厳しくものを習わせることで、きわめて厳しい意味を持つ字であり、それに対して、「育」の字は、生まれた赤ちゃんを母が慈愛を持って育てることを意味し、今日の厳しさに対して、母親のような暖かい心で教え諭し、受容することをいうそうです。教育には、その二つの観点が必要ということです。同様に育児でも、アメリカでは、「受け入れる育児」と「突き放す育児」の両方が必要といわれています。私は、「受け入れる育児」と「見守る育児」が必要だと思います。特に、今は、幼児期以降に対しての「見守る」という観点、路地裏というような環境からの子どもの支えが必要な気がします。
夕日

今日は、少し風邪気味ということもあって、久しぶりの邦画「ALWAYS 三丁目の夕日」を見に行きました。これは、今一番の人気の映画です。もともと1400万の発行部数を誇る、西岸良平の傑作コミックを映画化したものです。最近テレビにしても映画にしても、コミックからのものに人気があります。「ごくせん」「ドラゴン桜」などもそうですね。また、VFXを駆使して再現された昭和30年代の東京下町は、リアルに再現され、かつて、セット作りに苦心した時代から、ずいぶんと技術が進んだ感があります。
「ALWAYS 三丁目の夕日」は、昭和33年、建設中の東京タワーを背景に、下町に暮らす個性豊かな面々が織り成す感動と希望の物語です。特に、二人の小学生を中心に、それぞれが豊かではないけれど、未来に希望を抱き、大切な夢に向かって生きていく姿に、今を生きる私たちはもう一度大切な何かに気づかされ、観終わった後、勇気と幸福感で満たされます。しかし、一方、この映画の感想は、「ずるいな」ということです。感動する場面、せりふを、これでもかと入れています。特に私は、ちょうどこの時代に、この主人公と同じ年齢で、しかもこの舞台である下町で生活していたのです。まったくダブっているので、ストーリーがなくても、場面の細部にいたるまで、懐かしさがこみ上げ、その時代を思い出してしまうので、胸に迫るものがあるのは当然です。
着工された東京タワー、テレビ、冷蔵庫、洗濯機の“三種の神器”を揃えることが庶民の憧れ。子どもは路地裏で遊び、駄菓子屋に通い、夏休みに怒られてした昼寝、登校日、道路では、オート三輪や都電が走っています。私は、中学1年生のころは、都電22番(浅草と銀座の間を走る)で通学していました。そんなわけで、その時代へのノスタルジー、その時代に生きる人々のふれあい、楽しさ、をつい思ってしまいますが、時代は、戻ることはできません。いくら、あの時代がいいからといって、携帯電話が普及し、メールでやり取りをし、パソコンで物を調べ、24時間コンビニで物を売っている現在、決して、過去のような生き方はできないのです。しかし、最後の言葉に出てくるように、「夕日」は変わらないはずです。「大切にしないといけない心」は、変わらないはずです。というよりも、変えてはいけないのです。この映画を通して、何が「流行」で、何が「不易」かを、もう一度考えてもらいたいと思います。そして、守るべきものを、どうすれば守れるか考えないといけないのです。あの時代を懐かしく感じるように、今の時代が懐かしく感じられるように、あの時代がよかったといわれるような「今」を作っていく責任を感じます。
遠野
今日は、山田町から、宮古を通って、閉伊川側沿いの道を盛岡まで行きました。今、紅葉真っ盛りで、また遠くに雪をかぶった岩手山が見え、とても景観がすばらしい道でした。また、昨日山田町へ向かう道は、今は、かつての活気がなくなった釜石を通りましたが、途中、とても美しい村を通りました。そこは、「柳田国男」の「遠野物語」でも有名な、遠野市です。「遠野」の語源は、アイヌ語の「ト-ノヌップ(湖の周りの小高いところ)」からきていると言われます。(遠野物語のなかにも、アイヌ語がたくさん出てきます。)ここは、この村に伝わる昔話が有名だけでなく、谷間に広がる盆地に、民家がたたずんでいる姿は、とても美しいです。山と、空を切り取る民家の屋根と壁は、計算されているかのようです。「遠野物語小事典」には、この姿を、「自然の風景に溶け込んで、小さな山や丘に見えた。」と書かれています。このあたりで有名な「日本十大民家」の一つに数えられる「千葉家」に寄ってみました。このあたりの民家は、「曲がり屋」というつくりをしています。曲り家というのは、L字型の家のことで、人間の住む母屋と馬小屋を直角に連結した農家をいいます。その平面図は、遠野物語にも書かれています。昔話に欠かせないつくりでもあります。これを外から見てみると、屋根は茅(かや)で葺き、周りを土壁で塗りつぶし、柱や貫だけを露出させるつくりになっています。「千葉家」は、見晴らしの良い小高い丘の中腹に石垣を築き、前面に柵をめぐらした屋敷構えの家で、曲り家の最盛期に建てられ,保存状態も良く、上層農民の最高級の曲り家として典型的なものといわれます。
そのあと、「伝承園」に行きました。ここでは、遠野地方の農家のかつての生活様式を再現し伝承行事、昔話、民芸品の製作・実演などが体験できます。園内には国の重要文化財に指定されている曲り家「菊池家住宅」、柳田国男の遠野物語にも、語り手として書かれている話者「佐々木喜善記念館」、遠野物語のなかのいくつかの話のなかに出てくる千体のオシラサマを展示している「御蚕神堂」などがあります。「遠野物語」とは柳田国男という学者が明治時代に書いた伝説集です。内容は民俗学の論文ではなく、一般的な読者を対象にした読み物です。(しかし、文語体で書かれているので、今、読むのには、苦労しますが)ここには、119話収録されています。「遠野物語」の中には、河童、山姥、座敷童、神隠し等の怪異の物語が多く、読んだときは、この地には、こんなに妖怪がいるのかと思ってしまいました。しかし、「遠野物語」に語られる物語の多くは、普遍的・一般的な伝説であり、率直に言って日本中どこの町や村にもあるようなもののようです。
説話の多くはもともと口承文芸で、地域・言語によっては、ある時代から書き言葉で残されるようになったものもあります。「グリム童話」も、口伝に取材して後年本にまとめられたものですね。今、映画で、「ブラザーズ・グリム」が上映されていますが、これは、グリム兄弟をペテン師のように描いていますが、やはり、昔話が伝わる村を描いています。それに比べて、柳田国男によって、「遠野物語」という格調高い文学作品を通して、遠野という村を格調高くよみがえらせたよい例のようです。
鯨とサケ
今日は、三陸海岸沿いの岩手県山田町に来ています。この地区では、18世紀の中頃に、網を使用したイルカ漁が大浦という地区で始まりました。これは湾に入ってきたイルカを追い込み、網で捕獲する「追込網」という漁法で、大正時代まで約200年の間続けられました。大正2年には、2000~3000頭という大量のイルカがとれたと伝えられています。他にも、山田町では、オットセイ猟、トド猟も行われていました。オットセイは毛皮や食用として、トドは食用にされていました。 そして、昭和24年に農林大臣から大型捕鯨の許可を得て、捕鯨が始まり、規制により商業捕鯨が禁止になった昭和62年まで続きました。
なんだか、イルカ漁やオットセイ猟があったと聞くと、かわいそうにと思います。今、捕鯨も、日本のほかの地域でも世界から反対を受けています。しかし、同じ山田町で盛んな「サケ漁」は何も言いません。どこがちがうのでしょうか。まず、その種が絶滅に近い貴重な種ということがあるでしょう。また、見た感じが、かわいい姿をしているということがあるでしょう。またある人は、知恵がある動物は、殺すときに悲しい思いをさせるからいけないのだという人もあります。しかし、もともとは、その地方における食料として捕獲していて、生きるためだったことが多くあります。たとえば、「エスキモー」の語源は、東カナダに住むクリー族の「生肉を食べる者」を意味する語から来ているとされています。そのため、1970年代ごろからカナダでは「エスキモー」は差別用語とされ、「人々」を意味する彼らの言葉「イヌイット」を代わりに使用するようになりました。日本のマスコミ、出版界でも「エスキモー」は差別用語であり「イヌイット」に置き換えられるべきとされています。しかし、私は、生肉を食べるということが、何で差別化はよくわかりません。生肉を食べるということは、決して残酷なことではなく、その民族の文化だと思います。「食」は文化なのです。日本でも、アイヌが肉を食べるという狩猟民族であるということで、残酷な民族といわれてきましたが、熊など生き物に対して、きちんと敬意を払い、大切にしています。それに引き換え、去年、北海道に行って、とてもショックだったことがありました。川を遡上するサケを、川で取ると密漁になるので、海から川になる手前でサケを釣っていました。次から次へ釣れるサケを、イクラがないオスと見ると、放り出し、メスの場合は頭をたたいて殺し、おなかからいくらだけを出して、あとは、その場に足で蹴り上げ捨てているのです。川岸は、サケのオスの死体と、腹を割かれたメスの死体で埋め尽くされていました。それを見たときに、鯨がいけなくて、サケならいいとはいえませんでした。もちろん、今は、鯨のように他の食べ物で代用できるようなもので、しかも貴重種はできるだけ守ったほうがいいと思いますが、だからといって、そのほかは、無用に殺してもいいということはないと思います。