子は宝

 今日は、来週行われる「お楽しみ会」の第1回予行練習でした。その練習を見ていて、無性に子どもがかわいく思います。予行といっても、きちんとするのは、今日は初めてという感じですし、少し高くなった舞台に乗って、ライトを浴びて歌や踊りやせりふを言う姿は、嬉しそうでもあり、また、少し緊張しているようでもあり、なかなか普段の保育の中では見ることのできない子どもの成長をかんじます。本当に、子どもってかわいいですね。そんなときに、昨日のブログで書いた山上億良のもう一つの歌を思い出します。
『瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲ばゆ
何処より 来りしものぞ 眼交に もとな懸りて 安眠し寝さぬ』

<瓜を食べれば、子どものことが思われる。また、栗を食べれば、ますます子どものことが気にかかってくる。いったい、子どもというものは、どこから来たものだろうか。しきりと目の前にちらついていて、私は、おちおち眠ることができない。>
 この歌は、今でいう単身赴任で家族と離れているときの歌ですが、何かおいしいものを一人で口にするとき、こんなものを自分の愛している子どもにも食べさせてやりたいと思う心は、今も変わることのないものです。何をしても、何を見ても、つい子どものことを思い出してしまうのです。それは、子どもがどんなに大きくなっても、それなりに感じます。小さい子を見れば、わが子が小さかった頃を思い出し、わが子と同じ年代の若者を見ると、思い出します。憶良も、「何処より…」というあたりは、寄る寝床についてからの思いでしょうが、四六時中、子どものことを忘れることができなかったようです。思い出して、なかなか寝れないようです。単身赴任は、いつから始まったのかはわかりませんが、また、今は日本だけしかないようにも言われていますが、私は、昔、狩猟生活をしているときは、みんな単身赴任だったような気がします。猟にしても、漁にしても、数日間は、母子と離れて獲物を取りに行ったような気がします。その時にも、たぶん家で待っている子どものことを思って、その子に獲物を食べさせようと思っていたに違いありません。
また、この歌の反歌として詠まれた歌があります。
『反歌 銀も金も玉も何せむに勝れる宝 子にしかめやも』
<銀だとか黄金だとか、珠だとか、そういったものは自分にとって何の魅力もない。いろいろとすぐれている宝も、子どもに及ぶものか。及びはしないのだ。>
 彼は、かなり貧しかったようで、黄金に対する憧れは人一倍あったはずですが、それでもなお、子どもへの愛情の前には、それを蹴散らしているのです。本当に、どんなものよりもまして、子どもは宝ですね、と無条件に思う人が少なくなってきているのでしょうか。

忘年会

 そろそろ忘年会の季節がやってきました。今日は、今年初めての忘年会がありました。ある年、職場の忘年会の席で、私は、「この1年を、忘れたくなるように過ごしてはいません。1年1年きちんと覚えていたいように過ごしたつもりです。ですから、この会は、忘年会ではなく、覚年会にしたいと思います。」と挨拶をしたことを覚えています。最近は、それよりお年をとったせいか、1年1年惜しむ気持ちが強くなりました。春を惜しむ「惜春」と同じように「惜年会」という感じです。
 忘年会とは広辞苑によると「その年の苦労を忘れるために年末に催す宴会」とあります。 やはり、忘れたいのですね。いやなことが多い1年のことのほうが多いのでしょうか。しかし、この忘年会というのは日本独特のもののようですが、その起源は、鎌倉時代だそうです。しかし、その忘年会とは、慰安のようにドンチャン騒ぎをしたり、飲んで騒いで年を忘れようとしたのではなく、優雅に厳かに連歌(和歌などをつなげて詠うもの)を詠う「年忘れ」という行事だったそうです。それが、 江戸時代になって、庶民が「一年の労をねぎらい、杯を酌み交わす」というような、現在に近い形の忘年会が行われるようになりました。しかし、庶民の間でのことで、武士階級では「年忘れ」というようなことは行われずに、「新年会」の方を大事にして、主君への忠誠を誓うものとしていました。それが、現在のように、行事として慣例化したのは明治時代に入ってからで、政府の官僚や学生を中心に忘年会がにぎやかに開かれていたという記録があります。官僚はボーナスが出た頃、学生は年末年始の帰省前に集まっていたと伝えられており、この頃になると忘年会は、現在とあまり変わらない年末のイベントとなっていったと思われます。「忘年会」という名前が文献に始めて出てくるのは、私の高校の先輩である(といっても、ずっと先輩)夏目漱石が明治後期に書いた「我輩は猫である」です。この言葉は、何の注釈もなく使われているので、たぶん、普通に使われていた言葉なのでしょう。
 忘年会ではありませんが、この時期になると思い出す歌があります。みずからの家庭というものにふれて歌って、人間らしい心持ち、素朴で直接的な愛情の表現をとった歌人として、有名な山上憶良の作です。憶良は、『万葉集』で最も個性的なものを持った人であると、言われています。こんな歌です。
『憶良らは 今は罷らむ 子泣くらむ その彼の母も 吾を待つらむぞ』(万葉集 巻三)
<憶良は、今はもう退出しましょう。家には子供が待って泣いているでしょう。その子の母もまた、私の帰りを待っていましょうぞ>
この歌は、宴会の最中に、いつまでも同僚と酒を飲んでいたくなかったのでしょう。ころを見計らって皆より先に席を立とうとして、挨拶代わりに、即興でこの歌をよんだものです。家で待つ子のために、何の気取りもなく、こんなことを言えるようになりたいものです。こんな態度が、「かっこいい」といわれる社会になって欲しいと思います。

変える努力

 人は、いろいろなものに対して、刷り込みを持っています。対象物の本質を見ようとしないで、刷り込まれた色めがねを通してみることが多くあります。その刷り込みのひとつに、年齢のよる刷り込みがあります。これは、日本では、特に強い気がします。物事の習熟は、加齢によって深まっていくと思われています。そのために、年功序列という独特の社会構造が形成されます。年齢が高くなると、物事に、熟練してくると思うからです。確かにそういう部分もあります。保育者が、年齢が高くなるほど保育に熟練してくるということは、いえると思います。というのは、私は、経験量が増すために、子どもを見る目が深くなると思うからです。それなのに、どうも、経験量が増すと、保育技術が増してくるとか、手馴れてくるとか、扱いが上手になることが、保育に熟練してくると思われていることがあります。そうなると、困ることがあります。その熟練してくる価値を失いたくないために、変化、改革をすることに抵抗します。また、その職業が長くなるにつれて、本来は、視野が広くなっていくのですが、実際は、その職業を通して物事を見ることが多くなるので、視野が狭くなってくることのほうが多い気がします。私は、年齢が増すにつれて、子どもを見る目が深くなり、子どもの変化、子どもの姿を見る目が本質を捉えるようになって欲しいと思います。そうであれば、今の子どもの置かれている環境の変化、子どもの様子の変化を見、そのなかで子どもを守るためにどうすればよいか考え、改革をしていかなければならない必要性を感じるはずです。
 先日の朝日新聞の「私の視点」にマレーシアの元首相であるマハティール・モハマド氏が、「イスラム社会 逆行が苦境をもたらした」というタイトルで投稿していました。そこには、今、対立が激しくなっているイスラム社会に対しての考えが書かれていました。
かつてイスラム教徒たちは見識をつんだがゆえに力があった。―略― 偉大なギリシャの科学者や数学者、哲学者たちの著書を読んだ。ペルシャ人やインド人、中国人たちの著書からも学んだのである。―略― ところが、イスラムの有識者たちは15世紀ごろから、科学的な研究を抑制し始めた。―略― そうした視野の狭さが、今日のイスラム教徒を苦境に導いたのである。コーランは、「私たちが変える努力をしなければ、アラーは私たちの不幸な状況を変えない。」と諭す。―略― 私たちイスラム教徒は自己を省みて、自ら変わらなければならない。アラーは、悔い改めるものを救うのだ。」
 変化を見、改革をしていこうとすることをせず、改革を阻止しようとする年配の保育者は、加齢していくことは、その職種への習熟がマイナスになっていっているのではないだろうかと思うことがあります。ぜひ、率先して、子どものための行動をして欲しいと思います。

そば

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今朝撮った、福井城跡と福井の地名の由来の「福の井」という名井
 昨日の昼食は、永平寺そばをご馳走になりました。その店は、大本山永平寺の参道沿いにあり、永平寺では 唯一の手打ちそばのお店とうたっています。全国は、「そば」と「うどん」派に分かれます。有名ですが、讃岐に行くと、年がら年中「うどん」です。食事だけでなく、ちょっと時間があると、「うどんでも食べようか。」といわれます。秋田は、「稲庭うどん」ですし、伊香保は、「水沢うどん」など、有名です。そばも、各地に有名どころがあります。この「永平寺そば」は、一般に越前地方で呼ばれている「越前そば」よりも太めで、色が黒く、腰がしっかりしていて、このそばを噛みしめると、そば本来の味がにじみでてきます。噛みしめて食べるそばです。永平寺の山の谷は耕地が少なく焼畑農耕がおこなわれ、毎年新しい焼畑に大根を作り、2年目はほかの作物を、そしてその後は、必ずそばを蒔き、各自がそばがきはもとより雑炊などにし、大切な主食の代替としてなくてはならないものであったようです。由来としては、200余年の昔に、京からそば切りが伝わり、永平寺を初め各寺院に摂心や大晦日の上納品として、また点心に用いられたのが始まりのようです。そして、門前近郷にはどこの家でも、そばを打てないところはない位に誰でもができ、この土地の人たち流、つまり永平寺流のようなものが生まれ、長年受け継がれてきたとの事です。
 もう少しで年末を迎えます。年末とそばというと、「年越しそば」を食べますね。年越しそばは、大晦日の夜に行う年越しの行事を総称して年取り、またはお年取りということから「年(歳)取りそば」ともいいます。また、大晦日の別称から「大年そば」「大つごもりそば」ともいうことがあります。「つごもり」とは 「月ごもり」が詰まった言葉で、月の末の日の意味です。古くから続く食習の起源、由来ははっきりとしないことが多いのですが、大晦日の夜にそばを食べるという年越しそばも例外ではなく、いくつかの説が伝えられています。そのうち最も広く知られているのは、そばは細く長くのびることからの縁起説でしょう。寿命を延ばし、家運を伸ばしたいという願いがこめられています。ですから、地方によってはこれを「寿命そば」や「のびそば」と呼ぶこともあります。そのほかに、そばは切れやすいことから、一年の苦労や厄災、あるいは借金を断ち切るという意味があるともいわれます。そこで、「年切りそば」、「借銭切りそば」と呼ぶこともあります。また、金箔を使う細工師は飛び散った金粉を集める時に練ったそば粉を使うことから、そばは金を集めるという縁起から、食ベるようになったという説もあります。
どのいわれから、今年は、年越しそばを食べようかと考えてしまいます。

かっこよさ

 今日の朝食は、ホテルで取らないで、外に出ました。ホテルの朝食は、かなり高額のわりには、どこも同じようで、あまりおいしくはありません。近くに「スターバックス」があったのでそこにしました。スターバックスは、とても考え方に、共感を覚えるところが多くあります。まず、全店「禁煙」がいいですね。(どうしても吸いたい人は、オープンカフェで吸えますが)いくら分煙といっても、ただ場所がちがうだけとか、ついたてがあるだけですと、どうしても煙が流れてきます。また、店内で喫食する場合は、皿もカップも陶器を使っています。マクドナルドなどは、食べた後で、何でもかんでもトレー以外すべてをボックスに捨てるのは、いつも気が引けます。(スターバックスは、きちんと分別で捨てるようになっています)また、スタバーバックスにあるナプキンには、こう書いてあります。「この紙ナプキンは、古紙70%、竹パルプ30%から作られています。Made in Japan.」また、マドラーは、間伐材で作られています。これらは、スターバックスミッション宣言の中に「地域社会や環境保護に積極的に貢献する 」とあるからです。具体的な環境方針として、「環境へ配慮した商品の開発と提供、廃棄物の削減、資源の有効活用と再資源化、エネルギー使用量削減、環境汚染の予防に努めるために、目的・目標を設定し、達成状況を見直すしくみを作ります。」とあります。
 ずいぶんと最近「かっこよさ」が変わってきた気がします。たとえば、私が学生のころは、喫煙は、なんとなく格好良かった気がします。「タバコは、動くアクセサリー」などというコピーがあったほどです。また、再生紙も、茶色の色の紙で、真っ白い紙に比べて、なんだか貧乏臭いような気がしました。食器を洗って何度も使うよりは、使い捨てにかっこよさを感じていた時代もありました。今は、だいぶ、逆になってきました。かっこいいだけでなく、レベルの高さを感じるようになってきています。
 同じように、変わってきたことがいくつかあります。たとえば、職場で我が子や妻の話をすることは、今は、仕事ができる人という評価にかわりつつあります。他にも、もっともっと変わって欲しいことがあります。たとえば、「まじめ」とか、「お堅い」とかが一時期、からかわれたこともありましたが、それらは、評価されるようになって欲しいと思います。私が教員になりたてのころ、同僚と帰りに喫茶店に入って、子どもの話しをしたところ、「外に出てまでも、仕事の話しをする人って、最低ですね。」と言われました。その人は、今は、教務主任をしています。もしかしたら、もうすぐ副校長になるでしょう。早くなって欲しいと思います。少しでも、子どもから離れて欲しいと思うからです。自分の仕事に誇りを持ち、堂々と仕事の話ができるようになりたいものです。

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 今、京都にいます。京都府では、昨年養鶏場で起こった高病原性鳥インフルエンザの集団発生で騒がれました。京都府丹波町の浅田農産船井農場で鶏が大量死しているとの匿名電話が京都府にあり、鳥インフルエンザ感染が発覚し、大量死の最中に鶏や卵の出荷を続けていたことも判明、感染は同町内の別の養鶏場にも“飛び火”し、消費者の不安は拡大しました。そこで、同社に対する社会的批判も高まり、会長夫婦が自殺したことは記憶に新しいですね。この一連の感染で約24万羽の鶏と約2千万個の卵が処分・廃棄され、風評被害も広がり、防疫作業は自衛隊も投入して進められたほどでした。そして、農水省の究明チームは「ウイルスは野鳥がアジアの発生国から持ち込んだ可能性が考えられる」との見解を出したのです。そんなことがあってか、鳥インフルエンザなど「新型インフルエンザ」の感染対策を話し合う京都府、京都市の緊急会議が今日、あったようです。そこで、鳥から人への感染予防や、感染者の早期発見方法について議論したと報じられています。しかし、この問題は、今や、世界的な問題になっています。野鳥や、渡り鳥は、今までもいたのに、何で今?と考えてしまいます。たぶん、自然な自然の営みに、人間が介入した結果のような気がします。
京都の川で、「さぎ」を見かけました。たぶん、「小鷺」(こさぎ)でしょう。全身真っ白な線の細い姿が清楚な感じの鳥で、白鷺の中では最も小さく、爪先の黄色い足に黒くて長い脚が特徴です。冬場でもよく見かけます。同じような鷺の仲間に「中鷺」(ちゅうさぎ)がいますが、気持ち、小鷺 よりも大きめですが、くちばしが黄色いことで区別できます。その黄色い嘴はダイサギよりも短めで、先っぽが黒くなっています。ややこしいのですが、それより少し大きめなのが、「大鷺」(だいさぎ)です。その名が示す通り、白鷺の中では一番の大型です。大鷺の場合は冬になると、黄色くなる嘴と、いつも爪先の黒い足が特徴です。首もすこし、長めです。それらの鷺は、白鷺というように、真っ白でとてもきれいな鳥で、飛ぶ姿も優雅です。川や田などで、どれか考えると、楽しいです。しかし、私が始めてみて感激した鷺は、「五位鷺」(ごいさぎ)です。じっとたたずんでいる姿は、なんだか気品を感じました。そのときは、名前の由来を知らなかったのですが、五位鷺の由来は平家物語にあるそうです。醍醐天皇がこの鳥を捕まえよ、と家来に命令した時、まったく何の抵抗もなく捕まえられたそうです。天皇は命令にさからわず神妙であることに褒美として五位の位を授けたそうです。実は、今日宿泊している場所に縁があります。醍醐天皇が神泉苑に行幸になったときに、名付けられたのです。神泉苑は、京都の中京区にあり、今、大河ドラマで描かれている義経と静が出会った場所とも言われています。なんだか、鳥インフルエンザから、いろいろとめぐらせてきました。

生活体験

昨年の産経新聞に、小中学生の自然体験、生活経験の乏しさについてのデータが掲載されていたことがありました。
「都市部、郡部あわせて三千人を超える子ども達の結果のいくつかは、次の通りです。
・日の出、日の入りを見たことがない 約50%
・自分の身長より高い木に登ったことがない 約41%
・わき水を飲んだことがない 約52%
・生まれたばかりの赤ちゃんを見たことがない 約50%
・自分の服を洗濯したり干したことがない 約44%
・包丁やナイフで果実の皮をむいたことがない 約22%
この結果から、家の中にこもり体を動かさない子どもの姿が見えてきます。自然の雄大さにも、ちょろちょろ出ている湧き水にも、そしてまた、しわしわの洗濯物が叩くことできれいになっていくことにも幼児は感動します。体験や経験から学ぶことはとても多いです。そして、体験したことを親子で話すというのが、シングルエイジ教育の基本のように思います。」

 このコメントと、結果を見て、心配なことは、「えっ、こんなことは必要なの?」「そんなことを言ったって、逆に昔の人にパソコンを触ったことがないか?ときいてみると、ほとんどの人は、ないと答えるでしょう。それは、時代ではないでしょうか。」という人が多いことです。私が、小学校1年生を担任していたとき、子どもたちに「雑巾の絞り方」を指導したことがありました。すると、保護者の何人かから、「いまどき、雑巾を絞ることは必要ないのではないですか?家には、廊下はありませんし、机など拭くときは、乾いたモップで払うだけか、不織布で出来ている布を使って拭くだけで、雑巾など使うことがありません。」といわれました。そのとき、私は、「剣道で、竹刀を握るとき、野球でバットを握るとき、みんな同じ握り方をします。この手の動きは、決して雑巾を絞るときだけに必要なのではなく、力学的に意味があるのです。」という説明したことを思い出します。子どものさまざまな体験は、決して、それ自体だけに意味があるのではなく、さまざまな生きる知恵に関係してきます。ただ、乳幼児期では、子どもにその体験をさせるというより、まず、大人がモデルを示す必要があると思っています。掃除などを、子どもが見ている前でしたほうがいいと思います。その点で、私は保育園に通園している子どもたちが心配です。保育園では、子どもたちがいないところで掃除をします。大人の仕事は、子どもが帰ってからします。確かに邪魔かもしれません。子どもがいる間は、充分に子どもと関わる必要があるように言われてきました。しかし、目の前で大人が掃除をしている姿を見せないと、部屋は自然にきれいになるものだとか、誰かに頼んできれいにしてもらっているとか思ってしまい、学校に行って、自分たちで教室を掃除するようにならないでしょう。今の時代は、子どもと関わるということは、いっしょに遊ぶことだけでなく、大人のモデルを示すことも含まれると思います。

小田急線

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今日は、小田急沿線を歩いてみました。まず、京王線の下高井戸駅で降ります。そこから、下高井戸と三軒茶屋を結ぶ「東急世田谷線」に乗って、「山下駅」で下りました。この世田谷線は、2両連結の綺麗ないわゆるチンチン電車です。山下駅は、小田急線の「豪徳寺駅」とつながっています。豪徳寺という寺院は、今回は行きませんでしたが、以前行ったことがあります。豪徳寺は古くから有名で現在でも大規模な寺院といっていいでしょう。ここには、江戸城桜田門外で暗殺された井伊直弼の墓があります。また、そのそばには、桜田殉難八士之碑もあります。また、ここには、このブログの名前と同じような名の「臥竜桜」という桜の木があります。また、豪徳寺には、「招き猫伝説」があります。昔は、かなり貧しい寺であったころ、和尚が自分の食べるものを減らしてまでも大切に飼っていた猫に、「この恩に対して、なにか果報を持ってきて欲しい」と言い聞かせたところ、そのあと、大きな寺院になったことから、和尚は後にこの猫の墓を建て、後世この猫の姿をつくり招福猫児(まねぎねこ)として拝んだとして、招き猫は、吉運、家内安全、営業繁盛、心願成就するとしてみんなに知られることになったそうです。次の駅の「梅ヶ丘」は、「東京都立梅ヶ丘病院」があることで有名です。この病院は、国内で最大規模の児童・思春期精神疾患の専門病院です。治療対象となる疾患は、発達障害圏(精神遅滞、自閉症、学習障害)、神経症圏(神経症性不登校、強迫性障害、不安性障害、解離・転換性障害、適応障害等)、精神病圏(統合失調症、気分障害)、多動性障害(ADHD)、睡眠障害、チック性障害、摂食障害、行為障害などです。そして、これらの疾患に対して、医師、看護師、心理職、精神科ソーシャルワーカー、作業療法士、保育士等から構成されるチーム医療を行っています。これらの診療は、今後ますます必要になってくるでしょう。次の駅の「世田谷代田」は、京王井の頭線新代田駅の間に、戦争中から戦後にかけて、井の頭線に車両を運び込むための連絡線が引かれていたそうです。(今も、その名残が残っています。)次の駅は、有名な「下北沢」です。原宿並みに、様々な店が、小さな路地に至るまで、びっしり並んでいます。原宿よりは、少し、レトロっぽい店が多い気がします。また、この町には、「本多劇場」グループの、映画館や、小劇場がいくつかあります。いつも、若者でにぎやかな町です。次の「東北沢」は、文字通り、下北沢の東にあります。次の駅の「代々木上原」駅と、次の「代々木八幡」の間は、最近、素敵な店が何店かあるということで、雑誌などに取り上げられています。次の「参宮橋」の駅名である参宮橋は、行政上の地名ではありません。 地名は東京都渋谷区代々木で、参宮橋は、明治神宮の西参道にかかっている橋の名称です。橋のたもとには東京乗馬倶楽部があります。次の「南新宿」は、もう新宿です。駅では、代々木駅が近いので、代々木ゼミナールを始め、様々な専門学校が並びます。そして、新宿駅に着きました。

公私の幼保

 今日の来客は、社会福祉法人立保育園、学校法人立幼稚園、東京都昭島市立保育園、長野県伊那市立保育園の園長、保育者でした。いわゆる、幼稚園と保育園、私立と公立です。しかし、どこも乳幼児期の子どもを預かっている施設です。ドイツで、キンダーガーデンといわれている施設を、幼稚園(ようちえん)と訳します。(独・英:kindergarten)そして、その施設とは、「3歳から小学校就学までの幼児を保育し、年齢に相応しい適切な環境を整え、心身の発達を助長するための教育施設のことである。」と辞書に書かれています。いわゆる、日本でいう幼稚園の内容です。しかし、ドイツに行って気がつくのは、では、保育園はなんていうのかというと、日本の3歳以上児の保育園に相当する施設が見当たりません。というのは、ドイツでの保育園は、すべて3歳未満児を預かる施設だからです。逆を言えば、3歳以上児を預かる施設は、すべてキンダーガーデンというからで、そこにいる園児は、お昼で帰る子、3時に帰る子、5時に帰る子と様々です。ですから、キンダーガーデンの親は、専業主婦の場合であろうが、勤めていようが関係ありません。親がどのような生活形態を取ろうが、子どもに対する幼児教育は変わらないのです。第55回日本保育学会で、パメラ・オーバーヒューマー所長(ドイツ・バイエルン州立幼児教育研究所)が、「1997年EU各国の国際調査をもとに、それぞれの特徴の解説」をしました。そこで、「スペインやフィンランドは、6,7歳までを対象にした幼児教育保育所で、教育と養護(ケア)といった区分や年齢による区分がなく、統合された調和のある保育を目指している。スペインは、教育省、フィンランドは社会省の所管に一元化され、いずれも義務教育部門とは別になっている。ベルギーやルクセンブルグは、就学前教育専門家として位置付けられ、行政レベルが作成したカリキュラムに基づいて教育が行われている。そして、教育と養護(ケア)が分かれている。フランスやオランダは、教育と養護(ケア)が区分されている。デンマークやドイツは、幼児教育保育者のほかに、社会的保育者(ソーシャル・ベタゴーグ)がいて、学校外の保育システムがつくられている。」という講演を行いました。どの国でも、所轄官庁は、年齢で分かれているか、一元化されていて、それらの国と比較して、同じ年齢の子(3?6歳児)を違う省庁(文科省と厚労省)の管轄で行う国は、日本しかないそうです。日本は、何で、親の利用の仕方、保護者のライフスタイル、運営母体の違いで、子どもの処遇がちがっているのでしょう。国主導の「総合施設」のようなものではなく、現場から、幼保と、また、公私とそれらの区別なく、同じ子どものための保育、幼児教育の質を考えなければならない時代が来たのかもしれません。そんな思いを強くした、今日の来客でした。

西条

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 私は、ウォーキングが好きです。休みの日は、できるだけ、あちらこちらを歩き回ります。これは、運動のためということもありますが、歩き回ることが好きなのです。どこを歩き回るかというと、人によって、大きく二通りあると思います。ひとつは、山など、自然の中を歩くことです。私は、それも好きですが、もっと興味を持つのは、町の中を歩き回ることです。日曜日などは、人があまり町の中を歩いていない住宅街や、店がみんな閉まって閑散とした町の中を歩くのが好きなのです。それは、町並みが好きだからです。そこに人はいなくても、そこに住んでいる人の顔がみえます。その通りを通る人の姿が浮かびます。そこの生活が見えます。そこに実態としての人がいない分だけ、想像の中の人はたくさん生活しているのです。そして、思いがけない発見をすることがあります。小さい路地を発見したときの喜びは言いようがありません。私が高校生のころ、地域の地図を買って、そこに書かれている道をすべて歩いてみようと思ったことがありました。その道を歩いたら、赤い線を引きます。すべての道を赤くしていったのです。私にとっての道は、どこか目的地に行くための通路ではなく、生活の場なのです。たぶん、これは私が下町で育ったからでしょう。以前、路地について書いたように、子どものころから、道が遊び場であったからです。今でも、どこかに行くときでさえ、道が二つに分かれているとつい知らないほうの道を歩いてみようとします。私の子どもが小さかったころ、よく子どもに怒られました。「知っているほうの道を、通ってよ!」子ども心に知らない道は不安が多かったのでしょう。
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 もうひとつ好きな町並みがあります。それは、地方に講演に行ったときに、その町の町並みを歩くことです。そこには、いつも歩く道と同じような興味のほかに、その道から歴史を感じるからです。普段の人の顔だけでなく、昔の人の顔が見えるからです。ですから、地方に行っても、自然のなかを歩くよりも、町の中を歩き回ってしまいます。どうということもない町でさえ興味があるのですから、今日歩いたような町並みは、とても感動します。朝のうちのほんのいっときしか時間がありませんでしたが、その町並みには、明確な顔がありました。主張があるのです。今日の町は、広島の山陽道「西条」という町です。この西条の町の屋根瓦は殆ど赤褐色です。町並みはゆるくカーブしていて、ほぼ中央に桝形が設けられ、道は鍵の手状に折れ曲がっています。旧山陽道の本町通りから少し北に御茶屋(本陣)跡があり、当時の御門が復元されていました。明治以降、酒造の町 西条という呼び名で呼ばれています。あんなに、醸造所が並んでいる町はあまり見たことがありません。煙突が何本も並び、白壁の家が連なり、道端には、地域のお年寄りが水を汲みに来ている井戸があります。いい町並みです。