
今日から、三重県のほうりん保育園、高岡ほうりん保育園での研究保育が始まりました。朝早くから保育実践を見た後、午後それぞれの保育についての説明と、会場から参加者を募って、パネルディスカッションです。参加者は、みんな実践をしている人ばかりなので、悩みを共有し、感動を共有し、新しい発見をしたようでした。また、夜の懇親会は、それぞれの園の自己紹介をはさんで、情報交換会です。今回は、1園だけですが、幼稚園からの参加もあり、とかく狭くなりがちなこの世界に少し、広さを持たせてもらった気がします。それ以上に、園長の話で面白いと思う部分は、それぞれの園長の経歴がさまざまであるということです。たとえば、教員の集まりでの話は、ほとんどの教員は、教員しか経験がありません。校長の集まりにしてもそうです。また、出身大学にしても、基本的には、教育学部です。それは、幼稚園の園長でもほとんどそうです。それは、資格が必要だからです。その点、保育園の園長は、特別な資格が要りません。そのために、よく、保育園の園長は専門性がないという言い方をされますが、逆を言えば、幼児の世界をさまざまな角度から見ることができるということになります。私も、保育士の資格はありません。大学は、建築学科ですし、職歴は、小学校教員です。そして、今は、幼児教育とかかわっています。そのために、私は、保育という仕事を、ただの幼児教育とは捉えないで、人間としての行き方、社会のあり方として捉えます。
昨日、ホテルの部屋に届けられた「日本経済新聞」にこんな記事がありました。
「学校変える異色指導者」―自治体、教育委などに起用― 犯罪の低年齢化、不登校、フリーターなどの学校を取り巻く課題は尽きない。自治体では教育現場に新風を吹き込んでもらおうと、有名作家や元個性派教師、気象キャスターなど異色の若手指導者を教育委員などに採用し始めた。彼らの“熱い思い”は改革へとつながるのか。」と投げかけています。今、子どもの身におきているさまざまな現象、事件、その解決策は、かつての概念、考え方、方法だけからでは生まれてきません。この記事の中で、その例として、ベストセラー「五体不満足」で知られる乙武さんは、子どもと接する中でこんなことを言っています。
「お互いの違いを認める、教育のなかで大事な部分を体験してもらえたと思う。むしろ気になるのは、教室正面の額縁の中にある言葉という。明るい子、考える子、丈夫な子がベストスリー。でも、本当に明るい子がよいのだろうか。暗い性格も立派な個性。それを認めず、「明るい子」を押し付けることが子どもたちを苦しめると懸念する。」 そのような言葉は、教員だけを歩んできた人からは、なかなか出ないような気がします。もっと、社会を広く知り、さまざまな立場の人の言葉にも耳を傾け、総合的に子どものことを考える必要が、今こそ必要な気がします。
お互いの違いを認めるって、言葉で聞いても難しいのですが、本当に重要なことだと思います。
それより、明るい子、という言葉は広く受け入れられる世の中に、なっています。
そうしておいて、今の状況はそうではない。
中学の娘は、みんなと同じように、目立たないように、何か言われないように、と神経をつかっているそうです。
そんな風に育てたつもりはないのに、、と愚痴になりますが、性格もあるでしょうけれど、
我が子に限らずそういう現状があるようです。
いろいろな価値観の大人が子ども達に接していくのは大賛成!
この記事をお便りに引用させていただきます。