権利と義務

 明日から、三重県のほうりん保育園での研究保育が始まります。そこで、三重に前日入りをしたのですが、その前に、午後、「埼玉県保育士秋の研修会」に参加するために、まず、浦和に向かいました。その行きの電車の中でこんなことがありました。ある駅で、お年寄りが一人乗ってきました。その電車はとても空いていて、そのお年寄りが乗り込んだ周りの座席は誰も座っていません。しかし、そのお年よりは、そこに座らず、車内を歩き出しました。どこに行くのだろうと思って見ていると、ずっと端まで歩いていき、そこの優先席に座りました。優先席は、3人がけで、もうすでに2人座っています。そこに座ったのですが、かなり狭そうです。他は、ほとんどがらがらなのに、そこに窮屈そうに3人で座っています。とても、律儀だとは思いましたが、どうも、年寄りなので、ここに座るのが「義務」だと思っているのかなと思いました。この優先席は、ここに座ることが必要な人にとって、座る「権利」があるということなのです。
 よく、「義務教育」というときに、こんなことが言われます。義務教育というのは、子どもが学校に行くことが義務ということではなく、大人が、子どもを学校に行かせる義務があるということで、子どもにとっては、学校に行くことは、権利であるといいます。(今は、親の中に、行くのは、権利なので、行かなくてもいいということをいって、行かせるという義務を怠っていることが多いようですが)権利と、義務は、なかなか難しいですね。
 近くの学童の指導員にこんな話を聞きました。(この学童は、はじめ運営委員会での運営でしたが、途中から、社協に移管しました。)お昼になると、休憩をとるように言われるそうです。そして、職員室に入って、一歩も外には出してくれません。子どもたちが呼びに来ても、「今、休憩中だから、みんなとは遊べないから。」と言って、会わせてくれません。自分にとっては、子どもと一緒にいるほうが、休憩になるからといっても、だめで、さびしく一人で、職員室で食事をしていると嘆いていました。そのとき、私は、休憩時間は、それをとる権利があり、とらなければいけないという義務ではないのではないかといってみました。あとで、そう言ってみると、社協の組合の人に、「いや、休憩は、義務です。せっかく獲得したものなので、それを使うことは、義務です。使わないといけないのです。」と言われたそうです。せっかく勝ち取った権利に、今度は拘束され、生活がより窮屈になるようなことはなんだか変だなと思います。権利にしても、義務にしても、私たちが生活をしていく上で、お互いが心地よく、自分ながらの生き方をするために必要なものであって欲しいですね。

権利と義務” への6件のコメント

  1. 権利と義務は、解釈が難しいと感じることがよくあります。例えばこのブログに書かれている「権利」と「義務」の字を全部入れ替えたとしても、違和感なく読んでしまう部分があるかもしれないと思ってしまうくらいややこしいです。書かれているように、権利とか義務とかの話になると、どうしても自分たちの行動を制限してしまう話に向かっていく傾向があるように感じています。上から一方的に押し付けられるものではなく、自分をしっかりと表現でき、周りの人の表現も尊重しながら生活していくための権利や義務だという話をしていきたいなあと考えているんですが。

  2. 権利であり、義務ではない。なかなか解釈が難しいですが、権利と義務ということをあまり考えたことがありませんでしたので、なんだか新しいことを発見したような感覚でブログを読みました。権利と義務、立場によってもいろいろな解釈があるのかもしれませんが、ある程度、自由にその権利を行使させてほしいですね。周りもそういう風に捉えていけたらいいのですかね。と、頭の中ではごちゃごちゃになっていたりもします。

  3. 人の価値観で、権利と義務が変わってしまうこともあるのですね。義務教育という言葉の対象が、大人に対しての言葉であるというなら、子どもを対象とした場合は「権利教育」ということでしょうか。そう考えると、教育方法を選択する権利があったりなど、教育の幅が広がっていくようにも感じます。どうも、義務という言葉には、拘束感を感じずにはいられませんね。しかし、一方で義務というと「責任感」は強く感じるのではないでしょうか。どちらがいいという話ではありませんが、子どもが犠牲にならない言葉の使い方を、学びたいと思います。

  4. 今回のブログの冒頭に「明日から、三重県のほうりん保育園での研究保育が始まります」とあります。この研修に私も参加しました。あれから8年になるのですね。三重はその時が初めてで、新幹線を乗り継ぎ名古屋まできて、名鉄で現地いりしました。ほうりん保育園さんも保育環境がよく整えられていましたね。羨ましく思ったものです。その時は藤森先生のレクチャ及びほうりんさんの職員さんの実践発表会に参加し、翌日は、ながさわ保育園さん、ハートピア保育園さんの見学をしました。あぁ、懐かしいですね。さて、「権利と義務」、これは実に面倒なことですね。私が子どもの頃は社会科で習うだけで現実味を帯びていない二字熟語たちでしたが、上京してからは、頻繁に見たり聞いたり、時に現実的な対応を迫られたりして、なかなか手強い思いをしました。納税の義務、子どもに教育を受けさせる義務、そして勤労の義務、これが国民の三大義務で、三大権利は、生存権、教育を受ける権利、そして参政権ですね。せめて、三大義務権利だけは押さえておこうと今回のブログを読みながら思った次第ですが、「私たちが生活をしていく上で、お互いが心地よく、自分ながらの生き方をするために必要なものであって欲しいですね。」という結論には全く同感共感です。

  5. 権利であったものが、義務になってしまうということ。とても考えさせられる内容です。義務教育のことを例に書かれていますが、解釈を違えると義務も権利も本質とは全く違う働き方をしてしまうものですね。
    自分の中で権利として手に入れたものが、いつの間にか義務と感じていたものがありました。それは権利であったのだと思うと、何か解放感を得たような気持ちになりました。自分がやらなければならないと思っていることをもう一度見直してみようと思います。

  6. 義務と聞くと、何か特別我慢しなくてはいけないのかと感じていました。「私たちが生活をしていく上で、お互いが心地よく、自分ながらの生き方をするために必要なものであって欲しいですね。」ブログを読んで新しく学ぶことができました。お互いが気持ちよく生活するために、義務であったり権利があるのですね。どちらかに重みがあると、生活が窮屈になってしまうのですね。程よくバランスがとれているからこそ、お互いが尊重されて、義務も権利も守られるのかなと思いました。

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