空間の利用

 メーリングリストの中では、運動会の話題で盛り上がっていました。昨日のブログに書き込んだ、私が父親たちと作った「子ども会」では、かなり面白い運動会をしていました。
 まず、会場ですが、地域にある公園を使いました。それらの公園は、それぞれ特色があります。たとえば、ある公園は、公園全体が傾斜地で、真ん中のお花畑を囲んで、散策路ができています。その散策路をトラックに見立てて、運動会です。たとえば、ドリブルリレーなどは、上り坂の道では、気を許すと、ボールは、下まで転げ落ちてしまいます。また、下り坂では、やはり、ずっと下まで転げ落ち、公園を出てまで転がっていきます。綱引きなどは、下のほうが有利です。しかし、途中で、場所を交代しますので、上のときにがんばらないといけません。そのように、いつもやっている競技が、傾斜地でやるというだけで、またちがった競技になります。また、ある公園は、林の中です。そこでのドリブルリレーは、また大変です。木をぬって蹴って行かなければなりません。遠くまで蹴ると、木にぶつかって、跳ね返ってきます。そのほか、林の中でしかできない競技もあります。たとえば、子どもを4,5人くらいずつのチームにして、みんなで丸く手をつないで、その輪のなかに木が何本入るかの競争です。多くの本数を囲めたチームの勝ちです。また、それぞれの子どもが紐を持って、ヨーイドンで、それぞれ木に登ります。そして、上から地面に紐をたらし、地面に着いたところで印をして、後で、その長さを競います。すなわち、誰が、どれだけ木に高く登れたかを競うのです。あと、それぞれの子どもが、一人一袋ずつビニール袋を持って、時間内にそのビニール袋の中にどれだけの種類の生き物を入れることができたかを競います。また、宝探しは、昼休みにおとうさんたちが、樹皮の間にマッチ棒を差し込んでおいて、時間内に何本見つけられるかを競います。あと、木と木の間にロープを2本張り、一本を伝わりながら、もう一本のロープの上を渡っていくというものもありました。林の中でしかできない運動会です。また、狭い場所しかないときには、「地域を知る運動会」ということで行うことにしました。まず、お便りで、運動会の日付と、場所を告知します。三々五々集まってきた子どもたちに、「ここは、会場ではありません。どこが会場かは、○○のところに行って聞いてください。」という紙を渡します。そして、そこに行くと、また、「次は、△△のところに行ってください。」という紙を渡し、本当の会場にたどり着くまでに、町内のウォークラリーをします。そして、みんな集まったころに開始します。そのあとの競技も、地域を使ったものです。たとえば、「借り物競争」です。ヨーイドンで走っていき、裏返しになった紙を拾い、そこに書いてあるものを借りてきます。(そこまでは、よくある借り物競争です。)しかし、借りるのは、公園に隣接して建っているアパートから借りてくるのです。子どもたちには、まず、何のために借りるのかをきちんと説明しないと、いけないと言います。なぜかというと、住民は、運動会のことを知らないので、貸してくれないかもしれないからです。その態度も、採点に入ると言います。(本当は、事前に話してはいるのですが、子どもたちには、聞いていないふりをしてもらうように頼んであります。)もちろん、どこのうちから借りたかを覚えていないと、返せません。あと、そのときの運動会での綱引きは、道路でやります。地域住民も、通りすがりの人も助っ人に入ります。
 こんな具合に、その空間の欠点は、使い方によって、長所になります。保育室でも、園庭でも、使いにくいというだけでなく、積極的に、その使いにくさを利用してみると、すばらしい空間に変わるかもしれません。

空間の利用” への1件のコメント

  1. 斜面のある公園での運動会、地域を知る運動会、とても興味深く読ませていただきました。
    園庭のないうちの園ではいつも、公園での運動会ですけれど、いろいろなことができますね!!
    先日、来年度の説明会をしたのですが、短所でもある施設の不十分さがあるためにできることの話をしました。
    いつも地域に密着してあそんでいる、公共の場であるので怒られることも苦情をいわれることがよくあります。
    でもこれこそが、守られない、子ども側に居る自分達以外の社会を大人も子ども達も知るいい機会になります。
    水をジャージャと使っていると、怒られ、
    それではと、バケツやタンクにいれて運ぶ大人たちの姿を子ども達は見ていますから・・・
    私はいいと思っていても、ダメと思う大人もいること、多様な価値観に出会う場にもなります。
    こんな便利な世の中に、こんな不都合を知ることや、だからこそ、お母さん方と協力しあえます。
    藤森先生が書かれている、過剰保育、過干渉、も大変な時代になりつつあります。
    なにをそんなに、情報に振り回されて不安がっているのだろう、と思ってしまいますが、子どもの姿を知らないんですよね。では自分(親)自身の子育てを振り返ってみれば、わかりそうなのもを、と思ってしまいますがそれも世代間のギャップを感じます。
    子育てで何がよくて悪いのか、もみんないろいろ言いますから。
    最後には動物的勘、というか自分はどうしたいか、なのでしょうがそういう本能的なところも、薄れてきているような気がします。
    公園で泥遊びや、木登りを派手にやり、赤ちゃんを連れのお母さんに子どもの先を見てもらえたらいいと思います。
    幼稚園、保育園内では当たり前ある子どもの姿が見えていない状況があるように思います。
    でも、正直苦情があるたびに、
    あ~猫の額でも良いから園庭があったら・・と落ち込みますが、決して負け惜しみではなく、今私たちで乗り越えていかなければならないことと、ちょっとした使命も感じています。
    すみません、長くなりましたが、私の小さな主張でした。

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