今日は、1年に1度の職員研修旅行で、金沢に来ています。私の園には、見学者が多く来ます。見られるだけでなく、他園を見ることも必要であり、とても、勉強になります。しかし、そのときに悪い園はできるだけ見ないようにしています。悪い園でも、勉教になるところはたくさんあります。しかし、私は、悪い園から学ぶのには、力が必要だと思っています。そうでないと、「こんな程度か。」とか、「何だ、自分のほうがいいや。」とか、自分のほうが優位に立つことができるところだけを見てしまうからです。自分のよさを見直すということはあるのでしょうが、自分を成長させるように取り入れることは難しいと思います。また、できる限り、職員みんなで行くことにしています。多くの職員で同じものを見るほうが、見る観点がさまざまでありながら、共有できる部分が多くあるからです。しかし、保育園というところは、それがなかなか難しいですね。それが可能である日は、見学先には子どもがいない日であることが多いからです。そこで、どうしても、土曜日になってしまいます。そして、職員の中で、自分の子どもが小さかったり、家庭での用事があって行けない人が、土曜日の保育をすることにしています。いくら、みんなでいくといっても、まずは、自分の家庭を大切に思ってもらわなければ、研修する意味がなくなってしまうからです。
また、この研修は宿泊です。一時、1泊社員旅行を行わなくなりました。最近、また、関係性の構築、コミュニケーション能力が必要であることから、見直されています。
では、そんな研修で、職員は、何を学ぶのでしょうか。それによって、職員のスキルは上がるのでしょうか。
来るときに飛行機の中で読んでいた本にこんなことが書いてありました。
「日本人は、物事を練磨し、習熟しようとする。剣術や槍術がいい例である。剣や槍というのは、たかが金属の延べ棒であり、単純な道具である。道具が単純なだけにはじめての者がふりまわしてもどうもあつかいきれない。やはり技術がいる。その技術は単に「やりかた」というようなものではなく、日本人の手にかかるとひどく深遠なものになっていく。そこに玄人と素人がわかれ、その差は天地ほどにひらく。 ―略― が、西洋は違う。西洋にも技術はあるだろうし、その技術の深遠さということもあるだろう。しかし、彼らは不器用なのか、ものの考え方がちがうのか、道具や機械はすべて素人がすぐに使えるように工夫し、そのように仕立ててしまう。西洋人の間に道具や機械が発展したのは、一つにはそのようなことにもよるだろう。」
保育の世界で、確かに、保育者の質の向上、専門性の奥深さは必要です。しかし、その専門性が、知っている手遊びの種類の数であったり、ピアノの弾けるレベルであったりすることではないはずです。また、一人ひとりの習熟の程度でもありません。集団が、その環境が、結果的に習熟を促すような仕掛けです。それが、西洋のいう、「道具や機械はすべて素人がすぐに使えるように工夫し、そのように仕立ててしまう。」ということかもしれません。