新聞広告には、その時代を反映していて、興味深いものがあります。
先日の全面広告に面白いものが掲載されていました。
「おとうさん、街ってなぁに?」というタイトルです。
「駅前にね、なんだか大きな街ができるんだって。おとうさん、街ってなぁに?」
「そういう本質的で、割と答えが難しい質問は、おかあさんにしなさい」
「おかあさんが、おとうさんに聞きなさいって」
「うーん、そうか。先手を打たれたか」
「ねえねえ、おとうさん、街ってなぁに?」
「待ちなさい。今、尊敬されるような答えをずばりとするから。
街か…むつかしいな。…人が暮らしたり働いたり、楽しく生きる場所…かな。」
「街って、おうちとか、ビルとかのことじゃないの?」
「そうだよ。そうなんだけど。家やビルを建てるだけじゃ、街にはならないんだよ。」
「街に、ならない?街ってなるものなの?」
「うん、おおきなマンションとか、いくら高いビルとかを建てても、そこに人がいなくちゃ、街にならない。」
「へぇ」
「時代とかも関係していくしね。」
「時代って、今?」
「うん、今とか未来とか、おとうさんが子どもの頃と今では、
みんなの暮らし方とか働き方とかも、少しずつ変わってきているからね」
「なんか、むつかしい。」
「むつかしくないよ。ほら、いま住んでいるこの町だって、おじいさんやおばあさんがいっぱいいるだろ?」
「うん、みんなやさしくしてくれる。」
「逆に子どもの数は、ほら、お前は一人っ子だけど、昔は3人とか4人とかいて、最近は少なくなっているんだよ。」
このあとも、少し会話は続きます。
保育にしても、子育て支援にしても、街ができるために必要な要素です。そして、街を構成しているそのほかの要素は、変わってきています。当然、街を作るために、それぞれの要素の新しい役割が求められてきます。保育園、幼稚園、学校は、決して、建物のことではありません。機能の問題です。建物は、変わらなくても、機能を変えていくことが、新しい時代の街を作ることにもなるのです。
また、街は、建物だけでなく、そこに住む人々がいきいきと生活することで、はじめてできるのだということは、子育て講座などに使えますね。
海外の建築家がよく日本の街並みについて「刺激的で活気がある。」と言います、それは裏返せば「無秩序であらゆるものが存在する。」ということだと思います。先進国と言われる国の中で街並みがもっとも無計画な国は日本です、戸建て住宅の隣に高層マンションが何の制約もなく建てられたりするのはおかしなことです。バブルの崩壊後、不良債権となった土地を処分するためにさまざまな緩和措置がとられました。それは不良債権を抱えた企業のためになるべく手っ取り早く土地を処分できる方向にのみ考えられました。そして街並みはかつてないほどの速さでどうにもならない方向に変わってしまったと思います。かつての東京オリンピックが東京の街を変えてしまった以上の変化が今、起こっています。もはや行政には美しい街並みを計画する力などありません、企業の圧力に屈してしまったからです。新しい環境を主導する機能が誕生しなければ街並みは再生できないと思います。保育園、幼稚園、学校を中心とした新しい機能は限りない可能性を秘めていると思います。