小学校での異年齢での学習について、私の取り組み案を挙げましたが、オランダの取り組みが、AERAの2005年9月5日号に載っていました。
オランダの教育(ジャーナリスト 天野一哉氏)
『実際に訪れた学校では、どの生徒も指示を待つのではなく、自主的に自分の学習を進めていました。自由であり、多様であり、しかし学力、学習意欲も高い。その秘密は、今から40年ほど前にあります。当時オランダでも現在の日本と同じような問題に直面していました。子どもの「学力低下」が問題となり、教育・科学省の依頼で「落ちこぼれへの抵抗」という報告書が発表されました。ついていけない子どもを切り捨てる画一的な一斉授業への反省から、一人ひとりの子どもの関心や習熟度などの個々のニーズに応じた「個別授業」の必要性が強く叫ばれました。なかでも「イエナプラン教育」はオランダの公教育全体に大きな影響を及ぼしました。イエナプラン校では、3学年のマルチエイジ(異年齢)クラスで学習が進められます。先生は十数人の子どもたちと大きなテーブルを囲んで、読み、書き、計算や社会、理科の説明をします。先生の語りかける声は、家庭で食卓を囲んで語り合う家族のように穏やかなものです。1回の説明で理解した子は、少人数のグループ席に戻り、練習問題や発展的な課題に取り組み「自立学習」をします。その間、先生は理解できなかった子どもたちにもう一度詳しく説明します。これを3回ほど繰り返した後、先生は教室を巡回し、最後まで理解できなかった子どもを中心に「個別指導」を行います。ある子には紙の上で説明し、ある子にはサイコロのような木製の教材を手渡します。さらにイエナプラン校では、日本の「総合学習」に当たる教科横断的な「ワールドオリエンテーション」という共同学習の時間があります。ここでは、異年齢の子どもが助け合いながら自主的体験的に世界のさまざまなことを学びます。これら個別指導、自立学習、共同学習が「個別教育」の大きな柱になっています。個別教育というと、30人以上の子ども一人ひとりに手取り足取り教え込むことと思い、「そんなことは不可能だ」という人もいるかもしれません。しかし、そうではなく、個別教育とは、一人ひとりの子どもが自分の能力や特性を発見し、自立的に学ぶ姿勢を身につけさせるものなのです。イエナプラン教育をはじめとするオルタナティブ教育が個別教育のために開発してきた教材や、ワールドオリエンテーションなどのカリキュラムは、一般の公・私立校にも広く取り入れられています。現在のオランダの教育は、個別教育によって子どもたちが自主的かつ意欲的に学習に取り組むことに重点が置かれています。』
私たちが進めようとしている保育と同じような考え方ですね。オランダでは、就学前の、幼児教育も、この考え方で行なっているのでしょう。
しかし、これは、オランダとしての例ではなく、基本的には、どの国でも取り組み始めている考え方なのです。
藤森先生のブログは、毎日拝見しています。本当に勉強になります。今回は少しだけ意見を言わせてください。
私は、世界各国で「自主的かつ意欲的に学習に取り組む」教育プログラムが推進されているのは、かなり必然性があると考えています。つまり一斉の授業よりも個別に対応した方が「自ら考え行動する力」を育むことができるという理由だけで、世界が今そういう方向に向かっているのではないと思います。もっと根が深いような気がします。
かつて「モノの豊かさ」こそが国民的な目標でした。そのため「その目標に向かって努力してゆけば、人は幸せになれる」という神話がありました。しかし近代成熟期と呼ばれる今日はどうでしょうか? 国民的目標であったモノの豊かさを達成したあと、何が幸いなのかが人それぞれ異なります。つまり「これさえすれば人は幸せになる」という一般的な基準・指針がなくなり、社会的な流動性と多様性が実に高まっています。その意味で「今日の社会は不透明である」というような感覚を多くの人が共有しているように思います。
「社会の中に学校がある」のだとすれば、こうした時代の変化に伴って学校が果たすべき役割も変わらざるをえません。教育一般の目標は「社会を幸せに生きていけて、かつまた社会を幸せにできる」ような人間をできるだけ多く生み出すことです。つまり「個人の幸せ」という観点と「社会の必要」という観点から、教育を見直す視点がとても大切だと考えています。保育園にいる子どもたちに対しても同じ思いを持っています。私だけでなく誰もが「自分が社会を幸せに生きられて、自分が社会を幸せにできる」ような大人に育ってほしいと願っているのではないでしょうか?こうした人間(個人)を創造していくことが教育の使命だとしたら、「クラスみんなが一斉に同じことをやること」、「先生の指示・命令に従順である(疑問を持たない)こと」等はさほど意味を持たないことはいうまでもありません。今日先進国を中心に、流動性と多様性に富んだ先行きが不透明な社会であるからこそ、「自分の頭で考えて行動する」人間(個人)をつくる必要があるのです。
こんな風に考えてみても、藤森先生が目指そうとしている方向性は間違っていないと言えるわけです。