空間の利用

 メーリングリストの中では、運動会の話題で盛り上がっていました。昨日のブログに書き込んだ、私が父親たちと作った「子ども会」では、かなり面白い運動会をしていました。
 まず、会場ですが、地域にある公園を使いました。それらの公園は、それぞれ特色があります。たとえば、ある公園は、公園全体が傾斜地で、真ん中のお花畑を囲んで、散策路ができています。その散策路をトラックに見立てて、運動会です。たとえば、ドリブルリレーなどは、上り坂の道では、気を許すと、ボールは、下まで転げ落ちてしまいます。また、下り坂では、やはり、ずっと下まで転げ落ち、公園を出てまで転がっていきます。綱引きなどは、下のほうが有利です。しかし、途中で、場所を交代しますので、上のときにがんばらないといけません。そのように、いつもやっている競技が、傾斜地でやるというだけで、またちがった競技になります。また、ある公園は、林の中です。そこでのドリブルリレーは、また大変です。木をぬって蹴って行かなければなりません。遠くまで蹴ると、木にぶつかって、跳ね返ってきます。そのほか、林の中でしかできない競技もあります。たとえば、子どもを4,5人くらいずつのチームにして、みんなで丸く手をつないで、その輪のなかに木が何本入るかの競争です。多くの本数を囲めたチームの勝ちです。また、それぞれの子どもが紐を持って、ヨーイドンで、それぞれ木に登ります。そして、上から地面に紐をたらし、地面に着いたところで印をして、後で、その長さを競います。すなわち、誰が、どれだけ木に高く登れたかを競うのです。あと、それぞれの子どもが、一人一袋ずつビニール袋を持って、時間内にそのビニール袋の中にどれだけの種類の生き物を入れることができたかを競います。また、宝探しは、昼休みにおとうさんたちが、樹皮の間にマッチ棒を差し込んでおいて、時間内に何本見つけられるかを競います。あと、木と木の間にロープを2本張り、一本を伝わりながら、もう一本のロープの上を渡っていくというものもありました。林の中でしかできない運動会です。また、狭い場所しかないときには、「地域を知る運動会」ということで行うことにしました。まず、お便りで、運動会の日付と、場所を告知します。三々五々集まってきた子どもたちに、「ここは、会場ではありません。どこが会場かは、○○のところに行って聞いてください。」という紙を渡します。そして、そこに行くと、また、「次は、△△のところに行ってください。」という紙を渡し、本当の会場にたどり着くまでに、町内のウォークラリーをします。そして、みんな集まったころに開始します。そのあとの競技も、地域を使ったものです。たとえば、「借り物競争」です。ヨーイドンで走っていき、裏返しになった紙を拾い、そこに書いてあるものを借りてきます。(そこまでは、よくある借り物競争です。)しかし、借りるのは、公園に隣接して建っているアパートから借りてくるのです。子どもたちには、まず、何のために借りるのかをきちんと説明しないと、いけないと言います。なぜかというと、住民は、運動会のことを知らないので、貸してくれないかもしれないからです。その態度も、採点に入ると言います。(本当は、事前に話してはいるのですが、子どもたちには、聞いていないふりをしてもらうように頼んであります。)もちろん、どこのうちから借りたかを覚えていないと、返せません。あと、そのときの運動会での綱引きは、道路でやります。地域住民も、通りすがりの人も助っ人に入ります。
 こんな具合に、その空間の欠点は、使い方によって、長所になります。保育室でも、園庭でも、使いにくいというだけでなく、積極的に、その使いにくさを利用してみると、すばらしい空間に変わるかもしれません。

男女の刷り込み

今日、帰りに飛行機の客室乗務員が、男性でした。国際線ではよく見るのですが、国内線では、私ははじめてでした。乗り込むとき、何で入り口に男性が挨拶をしているのだろうと不思議に思い、てっきり上司が見張りに来ているのだと思ってしまいました。機内放送でも、その男性が話をするたびに、機長からの挨拶かと思ってしまいます。客室乗務員は女性で、機長は男性と刷り込まれているのですね。
私が保育の世界に入ったころ、ラジオの取材を受けたことがありました。そのときのインタビューをしたアナウンサーの第一声が、「男性が、保育園にいるなんて、珍しくありません?」と言われたので、「逆に、女性しかいない社会のほうが、気持ち悪くありませんか?」と答えたのを、思い出します。そのアナウンサーは、保育園の職員は、女性と刷り込まれていたのですね。そのあと、市内の若い男性園長で、会を作り活動していたことがありました。(今でも、していますが)そのときの活動が、新聞の全国紙に紹介されたことがありました。そのタイトルが、「保育にかける 男たち」というものでした。なんだか、奇をてらったタイトルですね。最近、保育者相手の講演会をひらくときに、会場の中にちらほら男性の保育者が見られるようになりましたし、保護者講演会すると、ちらほら、父親の姿が見られるようになりました。しかし、今日の講演会のように、育児講座となると、全員、女性でした。(事業名が、「ママでスクール」というので、当然ですが)
私が、教員のころ、(30年くらい前)授業参観に、ちらほら父親の姿が見られるようになってきていました。しかし、そのあと引き続いて行われた懇談会には、父親は全員帰ってしまい、母親だけになってしまいました。(もっと昔は、保護者のことを父兄といったので、父親か兄だったのかも)そこで、「父親だけの懇談会」というのを、土曜日の午後に行なってみました。すると4人の父親が参加しました。しかし、当時は、あまり育児への父親参加など叫ばれていなかったため、子どもの話しをしようとすると、「子どものことは、妻に任せているから。」と言って、話が弾みません。みんな、母親から尻をたたかれて参加してきていたのです。そこで、私は、方針を変えて、「では、おとうさんたちが、子どものころの話をしましょう。」と言うと、そういえば、子どものころ、こんなことをしたとか、あんなことをして怒られたとか話がつきません。そして、最後にみんな口をそろえて、「それにしては、今の子どもたちはかわいそうですね。」ということに落ち着きました。そこで、私が「かわいそうだったら、何かをしたらどうですか。」ということで、その地域に、「子ども会」を発足することにしました。まず、クラスみんなの父親に呼びかけ、そこから、全校のその地域の父親たちに呼びかけるために、映画会を開催しました。そして、近隣の子ども会に事情や規約の作り方などを聞きにいったり、子ども会とはどんなものかを調べたり、役所に行って保険がどうなっているかを聞いてきたりと動き始め、いよいよ「父親による子ども会」が発足しました。その活動が、数年後に社会教育の映画になり、私は、いろいろな社会教育集会で話をする機会や、活動内容の原稿を書く機会が増えました。その活動は、かなりユニークだったので、またいつか、このブログで紹介したいと思います。懐かしい、思い出です。

松前町

 今日は、愛媛県の松前町に来ています。初めて来たとき、「松前町」を「まつまえちょう」と読みました。本当は、「まさきちょう」です。「弘前」は「ひろさき」と読むのは、有名です。松前藩から、まつまえと読んでしまうのですが、それは、北海道にあります。地名には、その地方の人でないと、なかなか読めないものがあります。たとえば、多摩地区でいうと、青梅線に「青梅」「福生」「河辺」という駅がありますが、知らないとなんて読むのかわかりません。「おうめ」「ふっさ」「かべ」です。北海道などは、読めない駅名が多いと思います。元は、アイヌ語であることが多いからです。「長万部」「倶知安」などは、有名です。なんて読むのかわからないとき、駅の駅名板や信号などに、その地域名の下にローマ字で書いてあると、なんと読むのかがわかります。そのときに、ローマ字や英語で書いてあると、なんと便利なのだろうと思い、他のところも、そのように表示すればいいのにと思うことがあります。しかし、逆にローマ字では、わからないことがあります。漢字で書くと、なんとなく、その土地の由来がわかることがあるからです。たとえば、「青梅」は、「梅の産地かな?」と思えます。そうすると、松前町は、「松の先のほうということかな?」とか、「松山の先のほうということかな?」とか、いろいろと想像します。それが、ひらがなや、ローマ字からではわかりませんし、その文字からは、何のメッセージも感じ取れません。漢字は、学校時代は、覚えることで苦労し、いやな存在でしたが、大人になると、いろいろなことを思い巡らすことのできる、ありがたい存在に思えます。
 そんな松前町に来るために羽田空港のラウンジにいたときに、そこで読んだ雑誌の中に、昨日の「過剰育児」に関係する最近の記事を読みました。
ノンフィクション作家の石川 決貴氏の「続 孤家族のゆくえ」(サンデー毎日)という記事です。
『「子どもを産んだら、こんなにかわいくて愛しいものがこの世にあったのかと感動しました。」東京都の母親は、まもなく2歳になる長女を抱き寄せ、うっとりと言う。ところが、彼女の言葉はこう続く。「だからもう子どもは要りません。」かわいいのに、子どもは要らない。矛盾に感じ取れる前後の言葉。だが、ここに少子化のひとつの背景があるのだ。「娘には、私の持てる力を全部使いたいんです。やりたいことは何でもやらせてあげたいし、親としてできるだけのことをするつもり。ずっと、『この子ひとすじ』で生きたいんですね。そうなると、これ以上子どもを産めないでしょ。私の愛情とか関心、お金が分散しちゃうと、かわいそうじゃないですか。」母親一人に子ども一人の組み合わせなら、自分のすべてを注ぐことができる。だが、子どもの数が増えれば、その分持てる力は散ってしまう。』 
 愛を注がれる子どもは幸せだというのは、必ずしも断言することはできませんね。このような愛情を一身に注がれる子どもはかわいそうにさえ思えます。また、このような子どもが通う幼稚園や学校は気の毒にさえ思えます。それは、どうも、これは愛情ではない気がするからです。子どもにとってどうでしょうか。これが、次の文章で少し判る気がします。
『ところでもうひとつ別の「ない」を訴える女性たちがいる。「子どもの育て方がわからない」というものだ。―略― 兄弟もなく、異年齢の子どもとの交流もほとんどなかった彼女に、赤ちゃんは未知なる存在。子育ての予行練習を兼ねて、ペットを飼おうかと思っているんですね。そうでもしないと、生き物のあつかい方がわからないし。』
 やはり、ペットと同様に、一方的な愛情のようですね。でも、本人は、そうは思っていないでしょうから、人間としてのあつかい方を、少しずつ、教えていく必要があるかもしれませんね。

過剰育児

 昨日の地鎮祭のときに、新宿の保育園の設計をお願いしている國信さんから、面白い資料をもらいました。國信さんからは、よく面白い資料をもらいます。どうして、もらう資料が面白いかというと、一つには、國信さんは、いろいろなものを積極的に見たり聞いたり、調べたりするタイプだからです。なかなか気づかないことを気づかせてくれます。もう一つは、私の考え方を理解してくれているので、私の欲しいような情報を提供してくれるからです。もう一つは、設計家なので、見る観点が保育者とは違うからです。
今回もらった資料のなかに、1963年の「暮らしの手帳」の初夏版がありました。今から、42年前です。私が、中学生の頃です。タイトルが、「保育園はなんのために」ということで、松田道雄氏が書いています。私の子どもが小さかった頃、松田氏の育児書は手放せませんでした。その寄稿文のリードに、こんなことが書いてあります。
ふつう、共かせぎの人たちだけ、保育園は必要だと思われがちである。しかし、ほんとうは、いまのこどもたちを、いわゆる過剰育児からまもるためにこそ、保育園がいるのである。その意味で、これは、お母さんみんなの、私たち国民みんなの大きい問題である。」
「過剰育児からまもる」「国民みんなの大きい問題」いいですね。この二つが、今、私が講演をして歩いているテーマです。当然、この文の内容は、それを立証していきます。
子どもを保育園に頼もうというとき、最大の反対者はおばあちゃんであることが多い。『子どもは、家庭で母親が育てるのが一番いいんですよ。あんな孤児院みたいなところへ預けるなんて。かわいそうなこと』これは、たしかに、おばあちゃんの時代には、そうであったに違いない。3、40年前は、保育園ではなく託児所であった。― 略 ― 保母さんだって、どこへもいきどころのなくなった中年の女性が、かつて子どもを育てたという経歴だけで、子守りとしてやとわれていたのがおおかった。」
今は、違いますよね。託児所ではなく、保育園ですよね。また、今の保育士は、行き所のない保育士ではないし、中年女性のように古い保育観を変えようとしない頑固者ではないし、ただの子守りではないですよね。
子どもは、家庭で母親から育てられるのが一番いいというのは、家庭のまわりにある遊園地や、そこにあつまってくるガキどもと呼ばれる自由な人格との交遊があったからであった。子どもは母親に育てられはしたが、子どもは家庭だけで育ったのではなかった。」
福岡県の行なった「子どもの遊び実態調査」(平成14年3月)では、外遊び集団の規模で、一人が20.7%、二人が26.5%で、約半数が「一人」または「二人」となっています。また、ベネッセ教育研究所の「第2回幼児の生活アンケート報告書」では、子どもの平日の遊び相手が母親であるのが、1995年は60.1% が、2000年には、73.1%に、一人というのも、1995年15.2%が2000年19.5%に増えている一方、きょうだいというのは、1995年には59.5%だったのが、2000年には54.3%に減っていますし、友だちというのも、1995年の52.7%が、2000年には52.1%に減っています。
現在の家庭で母親がやっている家庭保育と、3,40年前の家庭保育とは、かなり違ったものになっている。どこが違ったものになっているかといえば、すきがなくなったことである。大げさに言えば、今の家庭の保育は密室の中の監視になってきたのである。」
それなのに、保育園でも、密室の中の監視保育になっていないでしょうか。この文章は、今の保育を考える上で、とても参考になるので、続きをまた書きます。

地鎮祭

 今日は、新宿の保育園の「地鎮祭」でした。保育園、幼稚園の経営母体が、神社や寺院の場合は、園長が、神主であったり、住職であったりするので、これらについて、えらそうなことは言えませんので、専門的なことはその人に任せます。逆に、素直に、知らないためにおこる疑問を考えてみました。なぜかと言うと、もうひとつ、今日はそれを考える出来事があったからです。それは、今日、インドネシア出身のノール・ヨハンナさんという人が、ホームステイをしているからです。
 今日の地鎮祭は、神式で行いました。神式は、神道です。家庭で行う「初詣」「初午」「七五三」「除夜」などは、なんとなく神社で行うので、神道だと思いますが、園の行事のなかにも神道に関係する行事がいくつかあります。代表的なものに、1月7日の七草、2月3日の節分(豆まき)、3月3日のひな祭り(桃の節句)、5月5日のこどもの日(端午の節句)、7月7日の七夕などです。これらは、あまり神道に関係しているとは思わなくなっているものが多くあります。それだけ、宗教的行事という意識がなくなっています。それは、神道が宗教のひとつとして考えにくいからです。他の宗教である、仏教、イスラム教、ヒンドゥー教などは、後ろに「教」がつきます。しかし、「神道」といって、「神教」とは言いません。「茶道」や「弓道」「柔道」というように、「○○道」というのは、「そのものの道」ということで、人の行うべき道のことであり、宇宙や、世界の原理という意味合いが含まれています。また、他の宗教のように、預言者やそれを説いた個人や、経典や聖典などもありません。ですから、他の宗教と相容れることができるのです。時代によって、かなり両立させたこともありました。しかし、他の宗教は、なかなか相容れようとはしません。その表れが、今日、ホームステイしているヨハンナさんの出身地である「バリ島」のテロ事件です。インドネシアは、95%がイスラム教徒だそうです。残りの5%が、キリスト教や、仏教や、ヒンドゥー教などだそうです。(ヨハンナさんは、クリスチャンです。)各国では、宗教紛争が起きています。それは、アジアや中東だけでなく、ヨーロッパでも起きています。もちろん日本にも、クリスチャンもいますし、仏教徒もいます。しかし、あまり宗教観がないとか、節操がないとかいう言い方をすることもありますが、逆の言い方をすると、お互いに共存しています。宗教紛争は、宗教観だけでなく、民族の対立が絡んでいるので、なかなか解決しません。そんなときに、私は、「日本っていいなあ。」と思います。そんなことを思う私は、いい加減なのかもしれません。信心がないので、撥が当たるかもしれませんね。でも、どんな理由でも、人を傷つけることだけはしたくありませんから。

修学旅行

 今日は、昨日に続いて、金沢でした。しかし、昨日の研修とちがって、昨晩から、職員厚生に切り替わりました。自分たちで積み立てた旅行費で、みんなで温泉に泊まり、夜ゲームをしたり、遅くまで話し込んだりします。そして、今日は、金沢観光です。テーマごとの班に分かれての行動です。私は、加賀友禅染体験コースでした。そして、明日の早番のために早めの帰宅です。(このブログは、帰りのバスのなかで書いています。)やはり、園での行事同様、みんなで泊まって、ゲームなどやることは、普段の保育が厚くなる気がします。昨日のゲームの圧巻は、何人かが「見守る保育」のイメージを絵で表し、私がそれを採点するのです。結果、みんなよく理解していたので、全員合格にしました。なんだか、修学旅行に行ってきた気分です。
 修学旅行といえば、高校時代の修学旅行の思い出があります。この体験が、今の保育に少し影響を及ぼしています。私の高校は、ほとんど生徒の自主性に任せるということで、教師はあまり関与しませんでした。たとえば、修学旅行も、日程と費用だけが提示され、その中で、クラスごと自由です。私のクラスは、みんな、ものぐさが多く、あまり遠くへ行くのはよそうということで、行き先は「箱根」に決めました。(今、考えると、せっかくの高校生活最後の思い出が箱根というのも情けない話ですが。)ゆっくり出発して、宿に着いたら、部屋に分かれます。部屋割りは、部屋ごとにそこで何をするのかで決めました。「マージャンの部屋」「トランプの部屋」「歌を歌う部屋」などです。そして、就寝時間はありません。(先生は、いません)そして、次の日、ちがう場所に移動するために、朝9時にバスを頼んでおきました。しかし、一番早く起きた私でさえ、(私が、旅行委員でした)起きたのが、10時を過ぎていました。急いで、みんなを起こし、相談した結果、「面倒くさいから、もう一晩ここにいようよ。」ということで、ずっと、箱根の同じ宿にいただけの修学旅行でした。もちろん、写真などありませんから、卒業アルバムを作るときに苦労しました。(私のクラスだけ、誰も写っていない観光写真です。)そんな自由な、自分たちに任された修学旅行でしたが、その間、決して、みんな法律に違反すること(お酒を飲んだり、タバコを吸ったり、他人に迷惑をかけることなど)は、やりませんでした。それは、自由を、失いたくなかったからです。もし、そんなことをしたら、次の年から、行き先は先生が決め、先生に引率され、見張られる修学旅行になってしまうでしょう。その時の体験から、、自由を守りたかったら、きちんと自律ができないといけないのだということに気がついたのです。
しかし、その年齢のころは、ずいぶん気負っていた気がします。その卒業アルバムですが、やはり私が委員だったのですが、どうしても担当の先生が好きになれませんでした。たとえば、こんな提案に抵抗しました。「毎年アルバム委員は、大変なのに、縁の下の力持ちで終わってしまう。だから、今年は、1ページすべてを使って、アルバム委員の写真を大きく載せよう。」そこで、写真を届けるときには、友達に持っていってもらったので、卒業アルバムには、名簿は、私の名前ですが、写真は、友達が写っています。なんだか、懐かしい思い出です。

研修旅行

 今日は、1年に1度の職員研修旅行で、金沢に来ています。私の園には、見学者が多く来ます。見られるだけでなく、他園を見ることも必要であり、とても、勉強になります。しかし、そのときに悪い園はできるだけ見ないようにしています。悪い園でも、勉教になるところはたくさんあります。しかし、私は、悪い園から学ぶのには、力が必要だと思っています。そうでないと、「こんな程度か。」とか、「何だ、自分のほうがいいや。」とか、自分のほうが優位に立つことができるところだけを見てしまうからです。自分のよさを見直すということはあるのでしょうが、自分を成長させるように取り入れることは難しいと思います。また、できる限り、職員みんなで行くことにしています。多くの職員で同じものを見るほうが、見る観点がさまざまでありながら、共有できる部分が多くあるからです。しかし、保育園というところは、それがなかなか難しいですね。それが可能である日は、見学先には子どもがいない日であることが多いからです。そこで、どうしても、土曜日になってしまいます。そして、職員の中で、自分の子どもが小さかったり、家庭での用事があって行けない人が、土曜日の保育をすることにしています。いくら、みんなでいくといっても、まずは、自分の家庭を大切に思ってもらわなければ、研修する意味がなくなってしまうからです。
また、この研修は宿泊です。一時、1泊社員旅行を行わなくなりました。最近、また、関係性の構築、コミュニケーション能力が必要であることから、見直されています。
 では、そんな研修で、職員は、何を学ぶのでしょうか。それによって、職員のスキルは上がるのでしょうか。
 来るときに飛行機の中で読んでいた本にこんなことが書いてありました。
日本人は、物事を練磨し、習熟しようとする。剣術や槍術がいい例である。剣や槍というのは、たかが金属の延べ棒であり、単純な道具である。道具が単純なだけにはじめての者がふりまわしてもどうもあつかいきれない。やはり技術がいる。その技術は単に「やりかた」というようなものではなく、日本人の手にかかるとひどく深遠なものになっていく。そこに玄人と素人がわかれ、その差は天地ほどにひらく。 ―略― が、西洋は違う。西洋にも技術はあるだろうし、その技術の深遠さということもあるだろう。しかし、彼らは不器用なのか、ものの考え方がちがうのか、道具や機械はすべて素人がすぐに使えるように工夫し、そのように仕立ててしまう。西洋人の間に道具や機械が発展したのは、一つにはそのようなことにもよるだろう。
 保育の世界で、確かに、保育者の質の向上、専門性の奥深さは必要です。しかし、その専門性が、知っている手遊びの種類の数であったり、ピアノの弾けるレベルであったりすることではないはずです。また、一人ひとりの習熟の程度でもありません。集団が、その環境が、結果的に習熟を促すような仕掛けです。それが、西洋のいう、「道具や機械はすべて素人がすぐに使えるように工夫し、そのように仕立ててしまう。」ということかもしれません。

ハロウィーンと映画

 もうすぐ、ハロウィーンです。保育園でも、その装飾で今にぎやかです。玄関には、大きなかぼちゃが飾られています。この行事は、少し前までは、日本ではあまり見られませんでした。ディズニーランドで、ハロウィーンパーティーをやっているくらいでした。まず、あの大きな、オレンジ色のかぼちゃの種類には、あまりなじみがありません。そして、全体的なキャラクターが、なんだか不気味です。それから、仮装をして、各家を回って、お菓子をもらうというのも、不思議です。まあ、その由来は、ハロウィーンの当日にして、今日は、そのお菓子をもらうということが、アメリカで、子どもにどんな影響を与えているかを映画から考えてみました。
 まず、先日見た「チャーリーとチョコレート工場」の映画ですが、原作にはなかった、チョコレート工場の社長であるウォンカ氏の少年時代の逸話です。ウォンカが少年のころ、ハロウィーンの日に、仮装をして、各家を回って、お菓子をもらいます。集めたお菓子を食べるのを楽しみに家に帰ると、歯医者である父親が、こんなものを食べると虫歯になると言って、全部暖炉に投げ入れてしまいます。それが元で、親子の関係がギクシャクしてしまうという話です。結局は、父親のそのような行為は、子どものことを思ってであるということが大人になってわかるのですが、子どものころは、子どもの心を踏みにじったと思うのです。他にも、同じような映画を思い出します。
パーフェクト・ワールド」という映画です。
 ハロウィーンの夜、ブッチとジェリーの二人の犯罪者が刑務所を脱獄します。逃走の途中、ふとしたことから八歳の少年を人質にとりました。途中、トラブルからジェリーを射殺したブッチは少年と二人の逃走が始まります。逃走中の車内の中での二人の会話に子育てに参考となることばが多くあります。「いいおやじかい?]「ええ」「キャッチボールとかレスリングを?」いい父親のイメージは子どもとキャッチボールをしたりレスリングをしたりするもののようです。途中、少年はハロウィーンの衣装を盗みます。少年の家では宗教上の理由でハロウィーンはできないのです。少年はどうしても一度はしたくてしかたがなかったのです。「ほかにないものは?」「クリスマス。」「うそだろ?」「誕生日もパーティーもない。」「カーニバルも知らない?」「ええ。」「綿菓子は?」「一度見たことはある。赤かった。」「ピンクだよ。」「味は知らない。」「ローラー・コースターは?」「写真だけ。」「アメリカ人は綿菓子とローラー・コースターを楽しむ権利がある。」「本当に?」「本当さ。」そんな少年にブッチは試したいのに我慢していたことをリストにあげさせます。ブッチと少年は父親に恵まれなかったという共通項からの同情はあるものの、それだけでなく、彼は少年を子どものころの自分と同一視していたのです。自分と重ねて、自分が子どものころにして欲しかったとおりに少年を扱っていたのです。子どもは貪欲に楽しいことを求め、大人が自分の考えでそれを阻止したとき、子どもの人生が狂ってしまうと思っているのです。そんな気持ちが最後に少年を開放する条件として、少年の母親にリストに書いてあるようなやりたいことをやらせることを約束させるのです。「お金なら出します。」と叫ぶ母親に対して、要求は「キャンディーだ。ハロウィーンのキャンディーだ。」と言うのです。

昔話の親子パート3

 先日、ある地域の園長に聞きました。その地域は、保育園に入れない子どもが多く、いわゆる、待機児が多い地域のようです。すると、入るための要件が高い順に入園できるとなると、母子家庭が優先になり、結果、母子家庭が7割を超えてしまっているといいます。もちろん、保育が必要な人が優先ということには異論がありませんが、園という場が、子どもが生活するうえでの社会とすると、その割合は、問題かもしれません。また、違う地域の園長に聞いてみると、園児の過半数が、親の再婚で苗字が変わっているので、子どもたちが、親に苗字を変えることを要求することがあると聞きました。確かに、過半数を超えると、子どもにとってはそれが普通になってしまいかねません。そういえば、娘が小学生のとき、友達が、親の年齢が10代であることを自慢して、みんなにうらやましがられていました。(もちろん再婚相手ですが。)まあ、離婚家庭が社会のなかで小さくなっていた時代よりは、いろいろな価値観を認めるいまの時代のほうがいいかもしれませんが、子どもに対して、それがどのような影響を及ぼすのでしょうか。
昔話のおじいさん、おばあさんだけでなく、親子関係でほかにも興味深いものがあります。たとえば、母子家庭、父子家庭もかなりあります。有名なところでは、
なしとりきょうだい」は、母子家庭で、病気の母親のために山なしを3人のきょうだいが取りにいく話です。また、「千里のぞうり」では、やはり母子家庭で3人の子どもを育てていましたが、貧乏で、子どもたちを捨てますが、後、悔やんで仲良く暮らす話です。「養老の滝」は父子家庭です。そして、孝行ものの息子が病気の父親のために薬草を採りに行く話しです。おもしろいのは、「雪女」です。雪女のせいで父子家庭であった父親が死に、残された息子がその後雪女と結婚し、子も生まれるが、約束を破って雪女に去られ、また、父子家庭になってしまうというものです。昔は、早く死んでしまうことが多く、片親家庭が多かったのでしょう。その子は、とても親思いで、それが主なストーリーになっています。
 また、人間以外の動物との間に子をもうける話も多くあります。「へび女房」は、へびと結婚した男が、姿を見たため出て行かれるが、へびの目玉をしゃぶらせて子どもを立派に育てます。「あかぎれ童子」は、逆にへびと結婚した女が子を産み、へびが死んだ後立派に育てる話です。「きつね女房」は、狐と結婚し、子が病気になったとき、田を放ったらかしで、両親で看病して、田植えが間に合わなくなって、きつねが術を使ったために、身元がわかってしまい、出て行かれる話です。どれも、動物の子を思う愛情の深さには、人間にも負けないものがたくさんあり、人間も学ぶところが多くあります。この時代でも、子への愛情の大切さを、動物に託して教えたのかもしれません。
 どんな家族形態であっても、「子どもを大切にする家庭」ということは、変えないで欲しいと思います。

キンモクセイ

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園庭のキンモクセイの花
 つい、この間まで、キンモクセイのいい香りがしていました。園の駐車場に植えてあります。この香りは、とてもいいということで、トイレの芳香剤に使われてしまったせいで、なんとなくトイレのにおいと思われがちで、なんだかかわいそうです。好きな香りが、すぐトイレに使われてしまい、残念です。(最近、ラ・フランスのにおいというものが出ました。)また、名前の由来も面白く、金木犀(きんもくせい)という字の「犀」は、動物のサイですね。淡灰色の幹の紋斑が動物の犀(サイ)の皮に似ているかららしいです。何で、強烈な印象の花のイメージから名前をつけずに、樹皮のイメージからつけたのでしょうね。もう一つ、この花について有名なことに、日本の金木犀が雄木ばかりという話があります。確かに、実を見たことがありません。キンモクセイは、イチョウと同じく、雌雄異株で、渡来したのは7~9世紀の間に、遣唐使が桂林あたりから種をもち帰って植えたと伝えられていますが、雄の木しか日本に渡ってこなかったそうです。そして、中国では、あの強く甘い香りから、「月には木犀の大木が茂っている」という伝説があるそうです。その香りを嗅ぐたびに、そのことを思い浮かべます。
 この香りをかいでいて、思い出したことがありました。私が、小学校で1年生を担任していたときのことです。私は、1学期の間は、子どもたちになるべく、文字を使わせませんでした。たとえば、毎週、各地の民話を話していたのですが、読み終わってからの「感想文」は、絵で描かせていました。「感想絵」です。思ったこと、班新聞もできる限り、絵での表現をさせました。子どもたちは、その不便さから、文字を使いたがりました。そして、2学期、今度は、文字を使うことを解禁したのです。逆に、今度は、いろいろなものを、文字で表現させました。あるとき、教室の真ん中に、花を入れた花瓶を置いて、子どもたちに画板を持たせて、その周りを囲みました。「さあ、みんなで、この花を写生しよう!」といって、画用紙ではなく、原稿用紙を配って、「ただし、絵で写生ではなく、文字で写生をしよう。」と言ったのです。そして、またある朝、登校してきたら、校門のところのキンモクセイがとてもいい香りだったので、子どもたちをそこに連れて行って、「今日は、このにおいを文字で写生しよう!」と言ったのです。
 文字は、使いこなせると、とても便利です。姿も、においも表現することができます。しかし、本当にこちらが伝えたいことが伝わるかというと、逆に、文字はとても怖いものがあります。このブログにして、写真が1枚あるだけで、伝えたいイメージはすぐに伝わることがあります。しかし、一番伝えたい「思い」は、なかなか伝わりません。このブログを続けるのも、ある時の文字だけでなく、ある時の場面だけでなく、その奥にある「思い」を伝えたいためなのです。