第6勘

 今日は、保育者採用試験日でした。各園では、採用方法についてさまざまです。できるだけよい保育者が欲しいのはどこも同じですが、何がよい保育者かというとさまざまです。たとえば、ピアノが上手に弾けることがいい保育者と思うところは、そのテストをするでしょうし、漢字力が必要であれば、漢字テストをするところもあります。また、あるところでは、高いところに掲示をする必要があるということで、脚立に上らせて、一番上に立って、手をたたくというのも聞いたことがあります。受ける側は、さまざまなところがあるので、面白いでしょうね。(本当は、緊張して、一所懸命かもしれません。)その点、私の園では、かなりいい加減です。というより、私はいい加減です。私の採用基準は、ほとんど、勘だけだからです。
私が教員のとき、通知表をつけるときにある試みをしてみました。すべて、成績を勘でつけてみたのです。A君を頭に浮かべます。そして、国語は、3、算数は、2というように、すべての教科を勘だけでつけてみたのです。そして、それを渡すときに保護者に、「私の通知表なんて、そのくらいいい加減なものだから、あまり信用しないように。」と保護者会で説明しました。(ただ、本当は、あとで、すべてのテストの平均点を出して、それと、勘の評価を比べてみたら、90%以上、正確でした。だから、「何だ、あんなに苦労して、いろいろなデータを出してつけても、勘でつけてもかわらないなら、大変な思いをしないで勘でつけよう。」と思ったのです。まあ、たった、3段階ですから。)しかし、「そんないい加減なことを、よく保護者が承知したなあ。」と、今になってみると思います。ただ、その代わり、所見欄は、あんな数行だけでは表わせないので、一人ずつレポート用紙1枚分にびっしり書いて渡しました。そこで、12月末に渡す通知表を、12月はじめから、数人ずつ毎日書いて渡したのです。子どもの評価を点数だけで表わすことは、どうしてもできなかったのです。
今、話題のライブドアの堀江氏は、クイズ番組の中で、どうしてその答えになるのかと聞かれ、「それは、単に勘です。私の人生の80%は、勘です。」と答えていました。当然、勘は外れることはあります。職員採用も、外れることもあります。しかし、その確率は、よく考えても、どんな試験をしても、なんだか同じような気がします。だから、5勘のほかに、6勘目の力をつけるようにしています。当然、6勘目は、5勘すべてをフル活用して生み出されるものだと思うからです。

第6勘” への8件のコメント

  1. 藤森先生の勘は適当とは違いますね。全て感覚をフル稼働させて、導きだされた今できる最良の選択のようなものなのかもしれません。今までの経験や、その子の様子が統括された勘は信憑性がありそうです。レポート用紙一枚分はすごいですね。きっと、私が藤森先生のクラスの子どもであれば、レポート用紙一枚に自分のことごびっしり書かれていたら、嬉しくて仕方がなかっただろうと思います。先生は自分のことを見ていてくれているという感覚はとても嬉しいことだと思います。それにしても保護者が承知したというのもすごいですね。きっと保護者の方も藤森先生のことを信頼されていたからだとは思いますが、それにしてもすごいです。

  2. 勘の力を信じ、その勘を支えるものを磨く努力が必要だということ。一般的に大事だと言われているからというものではなく、本当に意味があって必要なことを見極め、それを大事にすること。大事なことに十分に力を注ぐことができるよう、力の配分を間違えないこと。いろんなことを教えてもらっているように思います。きちんと説明のできる「勘」の使い方ができるようになりたいものです。

  3. 5勘をフル活用できる能力が必要ではありますが、確率が同じくらいなら、第6勘に任せた方が、楽しさが多いと感じます。「子どもの評価を点数だけで表わすことは、どうしてもできなかったのです」といった思いを、私たちは忘れないようにしなければと思いました。保護者も、レポート用紙1枚分に書かれた通知表をみれば、藤森先生の「あまり信用しないように」という言葉の意味もきっと理解しているのでしょうね。藤森先生の“型にはまらない”数々の伝説を聞いてきましたが、それはあくまで、子どもの姿を第一に考えた結果がそうしていったという、ごくシンプルなことであると思うのですが、そのシンプルさに難しさと深みを感じるのです。

  4. 藤森先生の「勘」の鋭さは、この7年働かせて頂き、本当に凄い、と単純に思っています。職員採用にあたっては、様々なことがありますが、藤森園長の「勘」によって望ましい方向に皆さん向いていきますね。「勘」「勘」と言っていると何だかとても失礼な気がして思わず言い訳をしたくなるのですが、「5勘すべてをフル活用して生み出されるもの」と仰って頂くと、私たちが一般的に言っている「勘」とはどうやら異なるのだという認識に至り、それは全身全霊により判断された結論なんだとわかります。そりゃあ当たるはずです。自分は果たして「全身全霊」を使って判断しているだろうかと考えると、思わず・・・。「天命を知る」とはそうした判断ができる世代に至ったのだということなのかもしれないと不図思いました。これ、勘です。まだまだ身体も魂もみがいていかなければなりません。さもなければ、「耳順う」にはなりませんね。意識してわが身を律することを命題にして生きていくことが肝要かと思いました。

  5. 藤森先生の勘が働いて、今の自分があるのだと思うと光栄な気持ちになります。藤森先生の勘が外れた方の人間にならないよう、もし外れたとしても良い意味で外れた存在になれるよう、努力していきます。
    6勘目は、5勘すべてをフル活用して生み出されるものだと思います。学ぶことも経験を積むことも、全ては直感を育てる為と聞いたこともあります。自分の直感を研ぎ澄ませていく為にも、日々の学びを大切にしていきたいと思います。

  6. 藤森先生の’勘’は、適当な勘ではなく、ちゃんと裏付けがあるもののように感じました。
    そして、文末にもありますが、 、5勘のほかに、6勘目の力をつけるようにしている。当然、6勘目は、5勘すべてをフル活躍して生み出されるものというまさに、その事が’勘’を適当なものとは言えない理由になりそうですね。勘当たれば運がいいと言うことがありますが、5勘すべてをフル活用して6勘目を産み出したものならば、勘というのも必要な方法だと思いました。

  7. 藤森先生の『勘』には、藤森先生の中での裏付けや理由があるように感じました。
    そして、その裏づけには藤森先生のこれまでの膨大な体験や経験からのものが、当然ながら影響を与えているのでしょう。
    人の『勘』というものが、五感をフル活用して生み出されるものであるということであるなら、その『勘』もあながち信用できないわけではないものであると感じました。

  8. 「当然、6勘目は、5勘すべてをフル活用して生み出されるものだと思うからです。」5勘の活動を無視したら、適当になりますね。藤森先生の勘の中を知りたいなと思ってしまいました。私は、直感を重視してしまうことがあります。「どうしてこれなの?」と聞かれたときには「いや、いいと思ったからです」と説明することが本当に苦手で、いつも詰まってしまっていました。勘に従ってしまうことが多いですが、あいやまさんの言う「きちんと説明できる勘の使い方」を意識しなければと思いました。

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