過剰育児

 昨日の地鎮祭のときに、新宿の保育園の設計をお願いしている國信さんから、面白い資料をもらいました。國信さんからは、よく面白い資料をもらいます。どうして、もらう資料が面白いかというと、一つには、國信さんは、いろいろなものを積極的に見たり聞いたり、調べたりするタイプだからです。なかなか気づかないことを気づかせてくれます。もう一つは、私の考え方を理解してくれているので、私の欲しいような情報を提供してくれるからです。もう一つは、設計家なので、見る観点が保育者とは違うからです。
今回もらった資料のなかに、1963年の「暮らしの手帳」の初夏版がありました。今から、42年前です。私が、中学生の頃です。タイトルが、「保育園はなんのために」ということで、松田道雄氏が書いています。私の子どもが小さかった頃、松田氏の育児書は手放せませんでした。その寄稿文のリードに、こんなことが書いてあります。
ふつう、共かせぎの人たちだけ、保育園は必要だと思われがちである。しかし、ほんとうは、いまのこどもたちを、いわゆる過剰育児からまもるためにこそ、保育園がいるのである。その意味で、これは、お母さんみんなの、私たち国民みんなの大きい問題である。」
「過剰育児からまもる」「国民みんなの大きい問題」いいですね。この二つが、今、私が講演をして歩いているテーマです。当然、この文の内容は、それを立証していきます。
子どもを保育園に頼もうというとき、最大の反対者はおばあちゃんであることが多い。『子どもは、家庭で母親が育てるのが一番いいんですよ。あんな孤児院みたいなところへ預けるなんて。かわいそうなこと』これは、たしかに、おばあちゃんの時代には、そうであったに違いない。3、40年前は、保育園ではなく託児所であった。― 略 ― 保母さんだって、どこへもいきどころのなくなった中年の女性が、かつて子どもを育てたという経歴だけで、子守りとしてやとわれていたのがおおかった。」
今は、違いますよね。託児所ではなく、保育園ですよね。また、今の保育士は、行き所のない保育士ではないし、中年女性のように古い保育観を変えようとしない頑固者ではないし、ただの子守りではないですよね。
子どもは、家庭で母親から育てられるのが一番いいというのは、家庭のまわりにある遊園地や、そこにあつまってくるガキどもと呼ばれる自由な人格との交遊があったからであった。子どもは母親に育てられはしたが、子どもは家庭だけで育ったのではなかった。」
福岡県の行なった「子どもの遊び実態調査」(平成14年3月)では、外遊び集団の規模で、一人が20.7%、二人が26.5%で、約半数が「一人」または「二人」となっています。また、ベネッセ教育研究所の「第2回幼児の生活アンケート報告書」では、子どもの平日の遊び相手が母親であるのが、1995年は60.1% が、2000年には、73.1%に、一人というのも、1995年15.2%が2000年19.5%に増えている一方、きょうだいというのは、1995年には59.5%だったのが、2000年には54.3%に減っていますし、友だちというのも、1995年の52.7%が、2000年には52.1%に減っています。
現在の家庭で母親がやっている家庭保育と、3,40年前の家庭保育とは、かなり違ったものになっている。どこが違ったものになっているかといえば、すきがなくなったことである。大げさに言えば、今の家庭の保育は密室の中の監視になってきたのである。」
それなのに、保育園でも、密室の中の監視保育になっていないでしょうか。この文章は、今の保育を考える上で、とても参考になるので、続きをまた書きます。