ハロウィーンと映画

 もうすぐ、ハロウィーンです。保育園でも、その装飾で今にぎやかです。玄関には、大きなかぼちゃが飾られています。この行事は、少し前までは、日本ではあまり見られませんでした。ディズニーランドで、ハロウィーンパーティーをやっているくらいでした。まず、あの大きな、オレンジ色のかぼちゃの種類には、あまりなじみがありません。そして、全体的なキャラクターが、なんだか不気味です。それから、仮装をして、各家を回って、お菓子をもらうというのも、不思議です。まあ、その由来は、ハロウィーンの当日にして、今日は、そのお菓子をもらうということが、アメリカで、子どもにどんな影響を与えているかを映画から考えてみました。
 まず、先日見た「チャーリーとチョコレート工場」の映画ですが、原作にはなかった、チョコレート工場の社長であるウォンカ氏の少年時代の逸話です。ウォンカが少年のころ、ハロウィーンの日に、仮装をして、各家を回って、お菓子をもらいます。集めたお菓子を食べるのを楽しみに家に帰ると、歯医者である父親が、こんなものを食べると虫歯になると言って、全部暖炉に投げ入れてしまいます。それが元で、親子の関係がギクシャクしてしまうという話です。結局は、父親のそのような行為は、子どものことを思ってであるということが大人になってわかるのですが、子どものころは、子どもの心を踏みにじったと思うのです。他にも、同じような映画を思い出します。
パーフェクト・ワールド」という映画です。
 ハロウィーンの夜、ブッチとジェリーの二人の犯罪者が刑務所を脱獄します。逃走の途中、ふとしたことから八歳の少年を人質にとりました。途中、トラブルからジェリーを射殺したブッチは少年と二人の逃走が始まります。逃走中の車内の中での二人の会話に子育てに参考となることばが多くあります。「いいおやじかい?]「ええ」「キャッチボールとかレスリングを?」いい父親のイメージは子どもとキャッチボールをしたりレスリングをしたりするもののようです。途中、少年はハロウィーンの衣装を盗みます。少年の家では宗教上の理由でハロウィーンはできないのです。少年はどうしても一度はしたくてしかたがなかったのです。「ほかにないものは?」「クリスマス。」「うそだろ?」「誕生日もパーティーもない。」「カーニバルも知らない?」「ええ。」「綿菓子は?」「一度見たことはある。赤かった。」「ピンクだよ。」「味は知らない。」「ローラー・コースターは?」「写真だけ。」「アメリカ人は綿菓子とローラー・コースターを楽しむ権利がある。」「本当に?」「本当さ。」そんな少年にブッチは試したいのに我慢していたことをリストにあげさせます。ブッチと少年は父親に恵まれなかったという共通項からの同情はあるものの、それだけでなく、彼は少年を子どものころの自分と同一視していたのです。自分と重ねて、自分が子どものころにして欲しかったとおりに少年を扱っていたのです。子どもは貪欲に楽しいことを求め、大人が自分の考えでそれを阻止したとき、子どもの人生が狂ってしまうと思っているのです。そんな気持ちが最後に少年を開放する条件として、少年の母親にリストに書いてあるようなやりたいことをやらせることを約束させるのです。「お金なら出します。」と叫ぶ母親に対して、要求は「キャンディーだ。ハロウィーンのキャンディーだ。」と言うのです。