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2005年10月31日 近頃思うこと

窓からの景色

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 今日、園内研修に伺ったのは、中野富士見町にある園です。全国に、「富士見」とつく町や村が多いと思いますが、それは、そこから富士が見えるからでしょう。有名なところとしては、長野県の「富士見町」です。ここは、中央線に「富士見」という駅があり、富士見高原を控えています。このあたりは、氷河時代からの遺跡があり、古代の人が暮らしていたようです。また、この八ヶ岳一帯は、日本中の矢尻に使われていた「黒曜石」がとれるので、遺跡があちらこちらにあります。このように地域はかなり古いのですが、地名としての「富士見」はそれほど古くなく、戦国時代のようです。確か、中央本線の中で、最も標高が高い駅だったような気がしますが、江戸時代も、甲州街道沿いだったので、宿場もあります。もちろん、そこ(富士見町のどこかわかりませんが)からは、富士山がよく見えます。あと、埼玉県に「富士見市」があります。ここは、昭和31年に富士見村として名前を決め、発足しているので、特に由来はなく、当時、単純に富士が見えるからということで決めたのでしょうが、富士見市は、日本全国探しても、ここだけのようです。村になると、群馬県勢多郡(せたぐん)には、富士見村があります。赤木山のふもとのようです。今はわかりませんが、このあたりからも富士山が見えたのでしょう。また、駅名検索で、「富士見市」「富士見村」という駅名で検索すると、どこにもないと出ますが、「富士見町」と検索すると、2箇所出てきます。神奈川県と、鳥取県が出てきます。神奈川県は、鎌倉市にある駅なので、当然そこから富士山は見えるだろうと思いますが、鳥取県の富士見町駅は、米子にありますので、富士山は見えるはずはありません。どうして、そんな名前をつけたのでしょうね。たぶん、そこから見える山か何かが、富士山に似ているのでしょう。駅名でないと、全国には、富士見町はかなりあると思います。私の住んでいる隣町にも、「富士見町」があります。何かの特集で、全国の富士見町のなかで、どこまで富士山が見えるかをやっていました。昔は、かなり遠くまで見えていたようです。今は、大気汚染だけでなく、建物で見えなくなっているところが多いようです。この写真は、私の寝室から見える景色です。朝、窓のカーテンを開けると、晴れていると、このように富士山が見えます。毎朝、この富士山を見るのが楽しみです。四季折々、姿、印象がかわります。山頂の雪や、周りの雲の具合なども変わります。ただ、最近は、できたビルのせいで、半分しか見ることができません。また、保育園からも富士山を見ることができます。ただ、山頂付近だけですが。
このように、朝一番に見る景色は、人によってちがいます。地上階で目覚める人と、マンションの何階かで目覚める人では、朝一番に窓から見える景色は、人によって、ずいぶんちがうと思います。子どもにしても、普段見ている高さがちがうことが、その子の育ちに影響している気がします。大学生のころ、高層住宅の中の塾でバイトをしていたとき、そこに住んでいる子どもたちが我が家に遊びに来たとき、近くの切通しに連れて行きました。そこには、高い位置につり橋が架かっていたので、そこをわたらせてみたところ、第1感想は、「わあ、高いなあ。」ではなく、「うちと同じくらいの高さだ。」でした。日常、窓から外を見ている高さだったのですね。高島平の高層住宅の子どもが、何10階の高さで、隣のビルに飛び移っていることが話題になりましたが、高さに対しての感覚が麻痺してくるのでしょう。生活のGLがどの高さかが、心に影響していないか心配です。

投稿者 fujimori : 19:01 | コメント (2)

2005年10月30日 散歩

相模原公園

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 今日は、神奈川県立相模原公園に行きました。この公園は、平成4年に「第9回全国都市緑化かながわフェア」の会場になって以来、 整備され、市民がかなり多く利用しています。このなかには、花々が噴水を縁取るかのように咲く「虹の花壇」や、「水無月園」(その時期には、約26,000株のハナショウブが咲き競うようです。)などがあり、四季を通じて花が絶えることはありません。また、この公園のシンボルである「かながわグリーンハウス」は、大きな温室で熱帯植物が観賞できる(今は、胡蝶蘭が咲き誇っていました。)ほか、大アクアリウム、 映像ホール、ギャラリーなど、多彩な施設が揃っています。今日もちょうどよい気候だったために「芝生広場」では、たくさんの親子連れが訪れ、池には、カルガモが泳いでいました。ちょうど今の季節は、けやきの並木が、一本一本皆色が違い始めました。早い木ではとても赤くなっている木もあります。紅葉の季節の幕が上がり始めました。このけやきは、相模原市の市の木でもあります。そのほかにも、かなり市や町の木としているところが多いようです。それは、本州・四国・九州の各地に自生するからでしょう。八王子を通過している甲州街道や五日市街道などでも、けやき並木が多く見られます。特に、関東では、屋敷林の重要な樹木です。けやきの材は黄褐色で材は堅いのですが、加工性も良く、木目も美しいうえに、湿気にもよく耐えます。強度もあり、寿命も長いので、大径材も多いため、古くから建築(とくに社寺建築では、柱には欠かせません)、家具、楽器(太鼓)、漆器木地、家具など幅広い用途があり、日本の広葉樹で最上と言われています。ですから、公園樹や、街路樹にも多く使われます。(しかし、街路樹に使われ始めたのは、最近のようです。)今は、漢字で「欅」と書きますが、その由来はよくわかりません。昔は、「槻(つきの木)」と書いたようで、「つきけやき(強い木の意味)」ともいい、木目が美しいところから「異(け)やけき木」と呼ばれ、「けやけし」=他のものより目立っている)、「けやけきき」→「けやけき」→「けやき」と変化していったようです。その歴史は古く、古来から銘木とされ、古事記にも出てきますし、いろいろな名作にも出てきます。京都東山の清水寺の舞台は、数十本のけやきの柱で支えられていることで有名ですね。
 日本では、季節を感じるのに、花が咲くことで感じるほか、木々の紅葉で感じることができます。また、紅葉ほどきれいでなくとも、木々の葉の枯れ具合でも季節を感じます。枯れることでも感じることができるのは、日本くらいかもしれません。「枯山水」というように、「水」を枯れさせることで、実態としての「水」以上の存在を感じる精神は、究極の日本美のような気がします。そんなことを、初冬の公園から感じることができますね。

投稿者 fujimori : 21:40 | コメント (0)

2005年10月29日 散歩

人の出会い

 今日は、大学の文化祭に行ってきました。昼から、あのキティーちゃんをデザインした「山口裕子さん」と私の大学生の娘のトークショーがあったからです。そのなかで、山口さんが、仕事に取り組むときに大切にしていることは、「何でも知ろうとする探究心。常にアンテナを張り巡らせていること。」と言っていました。一見、デザインの仕事をしている人なので、「オタク」のようにみえますが、やはり、あれだけの有名なキャラクターをデザインするためには、いろいろな人にあったり、いろいろなことを見たり、聞いたり、また、お客の意見を聞いたりしているようです。
 そのあと、妻の友達からチケットをいただいたので、上野の東京文化会館に「イタリア*音楽紀行」―オペラが乱舞―を聞きに行きました。私は、あまりオペラは普段は聞きませんから、眠くなりそうだと思っていました。しかし、曲がとてもポピュラーだったこともあって、聞き入ってしまいました。「椿姫」では、「あの美しいプロヴァンスのふるさとへ帰ろう。」と歌うのを聞きながら、昨日まで行っていた、あのプロヴァンス風の園舎造りの「高岡ほうりん保育園」を思い出していました。しかし、そんなことより、このオペラを聴きにきて驚いたのは、出演者がメゾソプラノが「玉敷やよい」さんで、バリトンが「蓮井求道」さんでした。蓮井さんは、2週間前に滑り台から落ちて、足を骨折してしまったそうです。それを押して、手術をして、今日出演していました。会場のみんなは、なんで、滑り台から落ちたのだろうと思ったのではないでしょうか。それは、蓮井さんは、現在、現役の保育園の園長先生だからです。福岡県にある「みのり保育園」の園長であり、浄土真宗大谷派興隆寺の住職さんでもあります。確かその園には、お寺なのに、ピッツァを焼く釜があったと思います。また、彼は、皆さんのなかで覚えている人がいると思いますが、私が、はじめて経営強化委員会で分科会を室田さんと二人で担当したときに、その分科会に参加していて、その分科会からの提案で、経営セミナーMLを立ち上げたのです。そのときの参加者が、ギビングツリーのメンバーにもいると思います。不思議な出会いです。
 昨日、帰ってくる新幹線の中の雑誌にこんなことが書いてありました。
「人は、人と会うことで知恵と力を授かり、大きな仕事をなす。シャープ相談役の辻春雄氏は、社外内の人との交わりから新しい発想を見出し、同社を世界に名だたる企業に至らしめた。―略― 使命感と誠意を持って相手の懐に飛び込んでこそ、情報を引き出せる。そんな付き合いを通じて人は成長する。ということで、次のようなことを言っています。「人は刺激しあうことで成長できますから、そういうネットワークを広げることが自分を大きくする。本来、日本社会は個人主義じゃない。協創こそ、日本の得意技のはずです。」―略― 人と会うことが軽んじられる社会になりつつある。たとえあっても、うわべだけの付き合いに終始するきらいがある。人と会うとき、辻のように使命感を持っているか、誠意を持って懐に飛び込もうとしているか。それは確かに骨が折れよう。しかし、そうして付き合った人こそが、自分の器を大きくしてくれるのである。」(WEDGE11 トップランナー)

投稿者 fujimori : 23:52 | コメント (0)

2005年10月28日 セミナー

写真

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 今日は、研究保育の二日目でした。ドイツでの夜の研修と同じ方法での研修をしました。昨日、参加者は、ほうりん保育園、高岡ほうりん保育園をそれぞれが見学しながら、写真を撮っていましたが、それぞれの人は、どの場所で、どのように思ったからその写真を撮ったのでしょう。気に入ったところ、気になるところ、参考にするところ、園に戻って職員に伝えようとするところなどの写真を撮っているのでしょう。そこで、何人かの人に、その人が撮った写真を見せてもらいました。(今は、デジタルカメラで撮っているので、フイルムの代わりにカードを借りると、パソコンから映写できます。)そして、自分は、何でその写真を撮ったかを説明してもらいます。たとえば、同じ保育園の職員でも、園長が撮ると何を撮るのか、保育士だったら何を撮ったかを比較してみると、とても面白いものです。また、自分では気がつかない観点に、気づかされることも多くあります。そんな研修でした。
 それを見ながら、私は、写真の不思議さを感じていました。実際の目で見ているときは、見ている対象は、時のなかで流れています。それを切り取ってみたときに、新しいものがみえてきます。まず、子どもとか、人の表情は、必ずその表情はどこかではしているのでしょうが、写真では、始めてみる顔の表情を発見することがあります。また、実際に見ているときは、見ている対象は絞られますが、写真で見ると、その周りも見えてきます。たとえば、実際には、保育士の行動を見ていて、それを写真に撮ると、それを見ている子どもの顔がわかります。また、写真は、本物を撮っているはずなのに、本物でないと思うことがあります。逆に、偽者をとっても、本物のように思ってしまうこともあります。そんな写真の不思議さを表現した写真展を見たことを思い出しました。それは、森美術館で、レオナルド・ダ・ヴィンチ展と同時に見た、杉本博司氏の「時間の終わり」という写真展です。杉本博司(1948年生まれ)氏は、この30年間に世界のアートシーンにおける有数のアーティストとしての地位を確立してきました人です。彼の写真は、最初はよくわからなかったのですが、順に見ているうちに、また、途中でそれを解説した映像を見て、なんとなく意図したことが見えてきました。彼の、その時間、場所、文化や歴史を通して、物事の本質を追求する独自の視点は、つねに国際的な注目を集めています。展覧会には、こんな作品が並んでいました。映画1本分の長時間露光による「劇場」、世界中の水平線を撮り続ける「海景」などです。そのなかで、わかりやすいものに「肖像」シリーズがあります。これは、名画を蝋人形にして立体化し、それを再度、絵画と同じライティングをして撮った写真です。あたかも、生きている人をその時代に撮影したかのような錯覚をします。また、「建築」シリーズも面白いものでした。設計家が、建物を設計するときに、まず、頭の中で、建物のイメージをします。そのイメージした映像は、あたかも完成された建物をぼかして撮ったものに近いのではないかということで、建物をピントをずらせて撮った写真です。写真というのは、なんとも不思議なものですね。

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2005年10月27日 セミナー

研究保育

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 今日から、三重県のほうりん保育園、高岡ほうりん保育園での研究保育が始まりました。朝早くから保育実践を見た後、午後それぞれの保育についての説明と、会場から参加者を募って、パネルディスカッションです。参加者は、みんな実践をしている人ばかりなので、悩みを共有し、感動を共有し、新しい発見をしたようでした。また、夜の懇親会は、それぞれの園の自己紹介をはさんで、情報交換会です。今回は、1園だけですが、幼稚園からの参加もあり、とかく狭くなりがちなこの世界に少し、広さを持たせてもらった気がします。それ以上に、園長の話で面白いと思う部分は、それぞれの園長の経歴がさまざまであるということです。たとえば、教員の集まりでの話は、ほとんどの教員は、教員しか経験がありません。校長の集まりにしてもそうです。また、出身大学にしても、基本的には、教育学部です。それは、幼稚園の園長でもほとんどそうです。それは、資格が必要だからです。その点、保育園の園長は、特別な資格が要りません。そのために、よく、保育園の園長は専門性がないという言い方をされますが、逆を言えば、幼児の世界をさまざまな角度から見ることができるということになります。私も、保育士の資格はありません。大学は、建築学科ですし、職歴は、小学校教員です。そして、今は、幼児教育とかかわっています。そのために、私は、保育という仕事を、ただの幼児教育とは捉えないで、人間としての行き方、社会のあり方として捉えます。
 昨日、ホテルの部屋に届けられた「日本経済新聞」にこんな記事がありました。
学校変える異色指導者」―自治体、教育委などに起用― 犯罪の低年齢化、不登校、フリーターなどの学校を取り巻く課題は尽きない。自治体では教育現場に新風を吹き込んでもらおうと、有名作家や元個性派教師、気象キャスターなど異色の若手指導者を教育委員などに採用し始めた。彼らの“熱い思い”は改革へとつながるのか。」と投げかけています。今、子どもの身におきているさまざまな現象、事件、その解決策は、かつての概念、考え方、方法だけからでは生まれてきません。この記事の中で、その例として、ベストセラー「五体不満足」で知られる乙武さんは、子どもと接する中でこんなことを言っています。
「お互いの違いを認める、教育のなかで大事な部分を体験してもらえたと思う。むしろ気になるのは、教室正面の額縁の中にある言葉という。明るい子、考える子、丈夫な子がベストスリー。でも、本当に明るい子がよいのだろうか。暗い性格も立派な個性。それを認めず、「明るい子」を押し付けることが子どもたちを苦しめると懸念する。」 そのような言葉は、教員だけを歩んできた人からは、なかなか出ないような気がします。もっと、社会を広く知り、さまざまな立場の人の言葉にも耳を傾け、総合的に子どものことを考える必要が、今こそ必要な気がします。

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2005年10月26日 近頃思うこと

権利と義務

 明日から、三重県のほうりん保育園での研究保育が始まります。そこで、三重に前日入りをしたのですが、その前に、午後、「埼玉県保育士秋の研修会」に参加するために、まず、浦和に向かいました。その行きの電車の中でこんなことがありました。ある駅で、お年寄りが一人乗ってきました。その電車はとても空いていて、そのお年寄りが乗り込んだ周りの座席は誰も座っていません。しかし、そのお年よりは、そこに座らず、車内を歩き出しました。どこに行くのだろうと思って見ていると、ずっと端まで歩いていき、そこの優先席に座りました。優先席は、3人がけで、もうすでに2人座っています。そこに座ったのですが、かなり狭そうです。他は、ほとんどがらがらなのに、そこに窮屈そうに3人で座っています。とても、律儀だとは思いましたが、どうも、年寄りなので、ここに座るのが「義務」だと思っているのかなと思いました。この優先席は、ここに座ることが必要な人にとって、座る「権利」があるということなのです。
 よく、「義務教育」というときに、こんなことが言われます。義務教育というのは、子どもが学校に行くことが義務ということではなく、大人が、子どもを学校に行かせる義務があるということで、子どもにとっては、学校に行くことは、権利であるといいます。(今は、親の中に、行くのは、権利なので、行かなくてもいいということをいって、行かせるという義務を怠っていることが多いようですが)権利と、義務は、なかなか難しいですね。
 近くの学童の指導員にこんな話を聞きました。(この学童は、はじめ運営委員会での運営でしたが、途中から、社協に移管しました。)お昼になると、休憩をとるように言われるそうです。そして、職員室に入って、一歩も外には出してくれません。子どもたちが呼びに来ても、「今、休憩中だから、みんなとは遊べないから。」と言って、会わせてくれません。自分にとっては、子どもと一緒にいるほうが、休憩になるからといっても、だめで、さびしく一人で、職員室で食事をしていると嘆いていました。そのとき、私は、休憩時間は、それをとる権利があり、とらなければいけないという義務ではないのではないかといってみました。あとで、そう言ってみると、社協の組合の人に、「いや、休憩は、義務です。せっかく獲得したものなので、それを使うことは、義務です。使わないといけないのです。」と言われたそうです。せっかく勝ち取った権利に、今度は拘束され、生活がより窮屈になるようなことはなんだか変だなと思います。権利にしても、義務にしても、私たちが生活をしていく上で、お互いが心地よく、自分ながらの生き方をするために必要なものであって欲しいですね。

投稿者 fujimori : 23:58 | コメント (0)

2005年10月25日 記念日

授賞式

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 今日は、グッドデザイン賞の授賞式でした。会場に向かうタクシーの中で、ふと前を見ると、目の前にボックスがぶら下がっており、そこには、ハンカチを片手に持って、手を振っている絵といっしょにこんなコピーが書いてありました。
「さらば、ダメ園長。」あせって、そのボックスに入っている小冊子を手にとってみると、その表紙に書いてあるのは、「犯人は、園長です。」その下に小さい文字で、「脳がくるくる働かない園長の思考停止こそ、保育が停止する原因。成長を妨害する犯人は、園長です。」とあります。1ページ目を開けると、「その1、最悪のさぼり屋は、園長の脳ミソかも。」あせりました。目をこすってみると、園長ではなく、社長と書いてありました。「その2、社長は、目をつぶって経営しています。」市場にも、自社を取り巻く戦況にも暗い。よく見えていない。「考える時間が足りない社長ほど、汗と努力が足りない!と社員のせいにします。理系の発想がない経営は、つぶれます。と続く小冊子は、会場に着くまでの間、読み応えがありました。
 そのうちに会場に到着しました。前回もそうですが、賞をもらった人たちは、ただ受付で、賞状を受け取るだけです。何も、感激はありません。ただ、私がいつも感激するのは、そこに展示されている大賞候補作品です。今の時代のデザインをリードするものが、並んでいます。今年は、15点ありました。その中で、一つ、大賞をその会場で選ぶのです。賞を取った人も、1票を投じることができます。ベスト15には、もうすでに有名なものもあります。たとえば、アップルコンピューターのiPod shuffle という、デジタルオーディオプレーヤーです。ほかに、単1でも、単2でも、単3の電池でも、引き出しにあるどの電池でも使える懐中電灯とか、有名なデザイナーである深澤直人氏の加湿器などは、もうすでに発売されていて、昨年買おうと思った商品です。これらは、商品部門での受賞です。また、先日、職員旅行でみんなで行った「金沢21世紀美術館」は、建築環境デザイン部門から選ばれています。今度、私が受賞した「新領域デザイン部門」での金賞は、あの愛知博でも話題になった、トヨタグループ館出展の未来モビリティ社会デザインプロジェクトです。あの、奇妙な乗り物です。
 そして、それらのなかで、大賞を取ったものに対して、私は、少し感動しました。今年の大賞は、なんと、「注射針」でした。あのダイヤモンドなど宝石を入れるようなふたのついたケースに入っているのは、1本の注射針なのです。これが、今年1番のデザインなのかと疑いました。しかし、当然、ただの注射針ではありません。この賞品の説明には、こう書いてあります。
「糖尿病治療で使用するインスリン注射用針。世界一細い0.2mm。従来のものより20%細い。注射は誰もが嫌なこと。それを一日に数回もならなおさらである。現在糖尿病でインスリン自己注射を行っている患者さんは、国内でも60万人。インスリン注射を止めることはできなくても、その痛みを少しでも和らげることに貢献したいとの思いで世界一細い針に挑戦し製品化に成功した。」 
 これに、大賞をあげることに、納得しますね。

投稿者 fujimori : 19:42 | コメント (3)

2005年10月24日 評価

第6勘

 今日は、保育者採用試験日でした。各園では、採用方法についてさまざまです。できるだけよい保育者が欲しいのはどこも同じですが、何がよい保育者かというとさまざまです。たとえば、ピアノが上手に弾けることがいい保育者と思うところは、そのテストをするでしょうし、漢字力が必要であれば、漢字テストをするところもあります。また、あるところでは、高いところに掲示をする必要があるということで、脚立に上らせて、一番上に立って、手をたたくというのも聞いたことがあります。受ける側は、さまざまなところがあるので、面白いでしょうね。(本当は、緊張して、一所懸命かもしれません。)その点、私の園では、かなりいい加減です。というより、私はいい加減です。私の採用基準は、ほとんど、勘だけだからです。
私が教員のとき、通知表をつけるときにある試みをしてみました。すべて、成績を勘でつけてみたのです。A君を頭に浮かべます。そして、国語は、3、算数は、2というように、すべての教科を勘だけでつけてみたのです。そして、それを渡すときに保護者に、「私の通知表なんて、そのくらいいい加減なものだから、あまり信用しないように。」と保護者会で説明しました。(ただ、本当は、あとで、すべてのテストの平均点を出して、それと、勘の評価を比べてみたら、90%以上、正確でした。だから、「何だ、あんなに苦労して、いろいろなデータを出してつけても、勘でつけてもかわらないなら、大変な思いをしないで勘でつけよう。」と思ったのです。まあ、たった、3段階ですから。)しかし、「そんないい加減なことを、よく保護者が承知したなあ。」と、今になってみると思います。ただ、その代わり、所見欄は、あんな数行だけでは表わせないので、一人ずつレポート用紙1枚分にびっしり書いて渡しました。そこで、12月末に渡す通知表を、12月はじめから、数人ずつ毎日書いて渡したのです。子どもの評価を点数だけで表わすことは、どうしてもできなかったのです。
今、話題のライブドアの堀江氏は、クイズ番組の中で、どうしてその答えになるのかと聞かれ、「それは、単に勘です。私の人生の80%は、勘です。」と答えていました。当然、勘は外れることはあります。職員採用も、外れることもあります。しかし、その確率は、よく考えても、どんな試験をしても、なんだか同じような気がします。だから、5勘のほかに、6勘目の力をつけるようにしています。当然、6勘目は、5勘すべてをフル活用して生み出されるものだと思うからです。

投稿者 fujimori : 23:19 | コメント (0)

2005年10月23日 散歩

レオナルド・ダ・ヴィンチ

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今、巷の話題は、ヒルズ族です。村上、三木谷、堀江等々。今日は、ちょっとヒルズ族の仲間入りをしてみました。といっても、六本木ヒルズに行ってきました。そこで、今、レオナルド・ダ・ヴィンチ展をやっているので、見に行ったのです。
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人類史上最も偉大な天才、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519年)は、私と同じ4月15日生まれです。子どものころそれを知って、うれしくなったものです。今回の展示は、とても貴重なものだそうです。それは、研究の集大成として遺した直筆ノート「レスター手稿」が、日本で初公開されているからです。この「レスター手稿」は、いま、マイクロソフト社のビル・ゲイツ会長が所蔵し、一年に一度、一カ国だけしか公開されない手稿なのです。ですから、世界でも稀少な展覧会です。この趣向は、ローマの画家G・ゲッツィから英国の貴族レスター卿へ、レスター卿から米国石油王アーマンド・ハマーへと大富豪の手を渡り歩いたものが、現在は、あのビル・ゲイツ氏の手に渡り「ビル&メリンダ・ゲイツ氏個人所蔵」となっているのだそうです。それぞれの時代での金持ちがどんな職業かがわかりますね。
レスター手稿は、レオナルド・ダ・ヴィンチ晩年の手稿で、彼が生涯をかけて取り組んださまざまな科学的考察の集大成としてまとめられた極めて貴重な研究ノートです。500年前の最先端メディアである「紙」に、月の満ち欠けや天体の運動などの天文学、渦や波紋などの水の性質とその利用に関する水力学、そして地殻変動や地球の構造についての地球物理学などの考察が、鏡面文字で書き込まれています。鏡面文字で書かれているということにとても興味を持ちました。いわゆる鏡文字で書かれており、字だけでなく、そこに書かれている図もすべて逆に描かれています。ですから、それを読むのには、鏡に映さなければなりません。そのような特徴を持つ奇異な文字で書かれているのはなぜかというと、「暗号」ではないか、「印刷をするため」にそのように書いたとも、「彼が左利きだったため」等、今なお様々な説が論じられています。ダ・ヴィンチは、両利きだったそうで、また、天才であることを考えると、ただ、左利きだったというのは、単純すぎるように思います。レスター手稿は72ページから成りますが、彼は、ここに記されたさまざまなことは多分野にわたり、先見性と独創性に満ちた考察が、次から次へあふれ出てくるのを受け止めるのが大変かのように熱気あふれんばかりに記されています。その中で、月の光の起源、天体における重力の影響など、ガリレオやニュートンの先駆ともいえる探求は、近代の幕開けを告げるものでした。彼は、川の流れを見ていても、月を見ていても、化石を見ていても、そこに物事の真理を見ようとしていたようです。同じものを、同じように見ていても、そこから何を感じることができるかで、天才を作るものなのですね。

投稿者 fujimori : 22:00 | コメント (0)

2005年10月22日 近頃思うこと

過剰育児パート2

 10月18日のブログで書いた、1963年の「暮らしの手帳」の続編です。
「勤勉な日本人の女性である母親は、いま、育児知識をきわめて貪欲に摂取して、これを自分の子どもに実行することを天職としてやりはじめた。子どものころから、少しの間も目を離さない母親が、普通の家庭のなかに続々と出てきたのである。子どもは密室の中で監視され「育児」されることになった。
 この時代の過剰育児は、今の時代に見られるような少子化が原因ではなかったようです。家の周りに子どもの遊び場がなくなり、道は車で危なく、子どもを外に出せない。そして、家で、漬物や煮物もしなくなり、衣服の繕いもしない。掃除、洗濯、風呂の沸かしなどが楽になり、育児に全エネルギーを注げるようになったということのようです。今は、子どもが少なくなり、子どもは地域に出ても他の子どもと接することはできず、兄弟は少なく、結局は、密室育児なっています。
子どもを預かってくれる施設である保育園がなぜそんなに少ないのか。子どもを家庭以外のところで保育することが、現在の日本で教育上必要であると国家が認めていないからである。家庭では子どもを育てることができないと国家が認めた家庭の子どもだけを、国家が昼間だけ一時預かりするのが保育園である。それが、教育でない証拠に、保育園を監視しているのは文部省でなく厚生省である。子どもの虐待を防いだり、捨てられた子どもの世話をする児童福祉法という法律に基づいて保育園は運営されている。―略― 名は保育園になったけれど、国家の考えは戦争前の託児所とあまり変わっていない。」
 国家だけでなく、保育園のなかには、いまだに託児所だと思っている園があるような気がします。今は、子どもにとって、教育上必要な施設です。それは、この記事のリード部分にある「今の子どもたちを、いわゆる過剰育児から守るためにこそ、保育園がいるのである。」ということです。過剰育児というよりも、今は、子どもへの母親の過干渉が問題になりつつあります。この過干渉は、学級崩壊を生み、キレる子を育て、勉強への意欲のない、仕事への意欲のない(ニート)若者を生み出してきているのです。今こそ、次世代を担う子どもたちを育てる園への転換が必要です。

投稿者 fujimori : 21:22 | コメント (0)

2005年10月21日 近頃思うこと

空間の利用

 メーリングリストの中では、運動会の話題で盛り上がっていました。昨日のブログに書き込んだ、私が父親たちと作った「子ども会」では、かなり面白い運動会をしていました。
 まず、会場ですが、地域にある公園を使いました。それらの公園は、それぞれ特色があります。たとえば、ある公園は、公園全体が傾斜地で、真ん中のお花畑を囲んで、散策路ができています。その散策路をトラックに見立てて、運動会です。たとえば、ドリブルリレーなどは、上り坂の道では、気を許すと、ボールは、下まで転げ落ちてしまいます。また、下り坂では、やはり、ずっと下まで転げ落ち、公園を出てまで転がっていきます。綱引きなどは、下のほうが有利です。しかし、途中で、場所を交代しますので、上のときにがんばらないといけません。そのように、いつもやっている競技が、傾斜地でやるというだけで、またちがった競技になります。また、ある公園は、林の中です。そこでのドリブルリレーは、また大変です。木をぬって蹴って行かなければなりません。遠くまで蹴ると、木にぶつかって、跳ね返ってきます。そのほか、林の中でしかできない競技もあります。たとえば、子どもを4,5人くらいずつのチームにして、みんなで丸く手をつないで、その輪のなかに木が何本入るかの競争です。多くの本数を囲めたチームの勝ちです。また、それぞれの子どもが紐を持って、ヨーイドンで、それぞれ木に登ります。そして、上から地面に紐をたらし、地面に着いたところで印をして、後で、その長さを競います。すなわち、誰が、どれだけ木に高く登れたかを競うのです。あと、それぞれの子どもが、一人一袋ずつビニール袋を持って、時間内にそのビニール袋の中にどれだけの種類の生き物を入れることができたかを競います。また、宝探しは、昼休みにおとうさんたちが、樹皮の間にマッチ棒を差し込んでおいて、時間内に何本見つけられるかを競います。あと、木と木の間にロープを2本張り、一本を伝わりながら、もう一本のロープの上を渡っていくというものもありました。林の中でしかできない運動会です。また、狭い場所しかないときには、「地域を知る運動会」ということで行うことにしました。まず、お便りで、運動会の日付と、場所を告知します。三々五々集まってきた子どもたちに、「ここは、会場ではありません。どこが会場かは、○○のところに行って聞いてください。」という紙を渡します。そして、そこに行くと、また、「次は、△△のところに行ってください。」という紙を渡し、本当の会場にたどり着くまでに、町内のウォークラリーをします。そして、みんな集まったころに開始します。そのあとの競技も、地域を使ったものです。たとえば、「借り物競争」です。ヨーイドンで走っていき、裏返しになった紙を拾い、そこに書いてあるものを借りてきます。(そこまでは、よくある借り物競争です。)しかし、借りるのは、公園に隣接して建っているアパートから借りてくるのです。子どもたちには、まず、何のために借りるのかをきちんと説明しないと、いけないと言います。なぜかというと、住民は、運動会のことを知らないので、貸してくれないかもしれないからです。その態度も、採点に入ると言います。(本当は、事前に話してはいるのですが、子どもたちには、聞いていないふりをしてもらうように頼んであります。)もちろん、どこのうちから借りたかを覚えていないと、返せません。あと、そのときの運動会での綱引きは、道路でやります。地域住民も、通りすがりの人も助っ人に入ります。
 こんな具合に、その空間の欠点は、使い方によって、長所になります。保育室でも、園庭でも、使いにくいというだけでなく、積極的に、その使いにくさを利用してみると、すばらしい空間に変わるかもしれません。

投稿者 fujimori : 23:12 | コメント (1)

2005年10月20日 保護者

男女の刷り込み

今日、帰りに飛行機の客室乗務員が、男性でした。国際線ではよく見るのですが、国内線では、私ははじめてでした。乗り込むとき、何で入り口に男性が挨拶をしているのだろうと不思議に思い、てっきり上司が見張りに来ているのだと思ってしまいました。機内放送でも、その男性が話をするたびに、機長からの挨拶かと思ってしまいます。客室乗務員は女性で、機長は男性と刷り込まれているのですね。
私が保育の世界に入ったころ、ラジオの取材を受けたことがありました。そのときのインタビューをしたアナウンサーの第一声が、「男性が、保育園にいるなんて、珍しくありません?」と言われたので、「逆に、女性しかいない社会のほうが、気持ち悪くありませんか?」と答えたのを、思い出します。そのアナウンサーは、保育園の職員は、女性と刷り込まれていたのですね。そのあと、市内の若い男性園長で、会を作り活動していたことがありました。(今でも、していますが)そのときの活動が、新聞の全国紙に紹介されたことがありました。そのタイトルが、「保育にかける 男たち」というものでした。なんだか、奇をてらったタイトルですね。最近、保育者相手の講演会をひらくときに、会場の中にちらほら男性の保育者が見られるようになりましたし、保護者講演会すると、ちらほら、父親の姿が見られるようになりました。しかし、今日の講演会のように、育児講座となると、全員、女性でした。(事業名が、「ママでスクール」というので、当然ですが)
私が、教員のころ、(30年くらい前)授業参観に、ちらほら父親の姿が見られるようになってきていました。しかし、そのあと引き続いて行われた懇談会には、父親は全員帰ってしまい、母親だけになってしまいました。(もっと昔は、保護者のことを父兄といったので、父親か兄だったのかも)そこで、「父親だけの懇談会」というのを、土曜日の午後に行なってみました。すると4人の父親が参加しました。しかし、当時は、あまり育児への父親参加など叫ばれていなかったため、子どもの話しをしようとすると、「子どものことは、妻に任せているから。」と言って、話が弾みません。みんな、母親から尻をたたかれて参加してきていたのです。そこで、私は、方針を変えて、「では、おとうさんたちが、子どものころの話をしましょう。」と言うと、そういえば、子どものころ、こんなことをしたとか、あんなことをして怒られたとか話がつきません。そして、最後にみんな口をそろえて、「それにしては、今の子どもたちはかわいそうですね。」ということに落ち着きました。そこで、私が「かわいそうだったら、何かをしたらどうですか。」ということで、その地域に、「子ども会」を発足することにしました。まず、クラスみんなの父親に呼びかけ、そこから、全校のその地域の父親たちに呼びかけるために、映画会を開催しました。そして、近隣の子ども会に事情や規約の作り方などを聞きにいったり、子ども会とはどんなものかを調べたり、役所に行って保険がどうなっているかを聞いてきたりと動き始め、いよいよ「父親による子ども会」が発足しました。その活動が、数年後に社会教育の映画になり、私は、いろいろな社会教育集会で話をする機会や、活動内容の原稿を書く機会が増えました。その活動は、かなりユニークだったので、またいつか、このブログで紹介したいと思います。懐かしい、思い出です。

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2005年10月19日 講演先にて

松前町

 今日は、愛媛県の松前町に来ています。初めて来たとき、「松前町」を「まつまえちょう」と読みました。本当は、「まさきちょう」です。「弘前」は「ひろさき」と読むのは、有名です。松前藩から、まつまえと読んでしまうのですが、それは、北海道にあります。地名には、その地方の人でないと、なかなか読めないものがあります。たとえば、多摩地区でいうと、青梅線に「青梅」「福生」「河辺」という駅がありますが、知らないとなんて読むのかわかりません。「おうめ」「ふっさ」「かべ」です。北海道などは、読めない駅名が多いと思います。元は、アイヌ語であることが多いからです。「長万部」「倶知安」などは、有名です。なんて読むのかわからないとき、駅の駅名板や信号などに、その地域名の下にローマ字で書いてあると、なんと読むのかがわかります。そのときに、ローマ字や英語で書いてあると、なんと便利なのだろうと思い、他のところも、そのように表示すればいいのにと思うことがあります。しかし、逆にローマ字では、わからないことがあります。漢字で書くと、なんとなく、その土地の由来がわかることがあるからです。たとえば、「青梅」は、「梅の産地かな?」と思えます。そうすると、松前町は、「松の先のほうということかな?」とか、「松山の先のほうということかな?」とか、いろいろと想像します。それが、ひらがなや、ローマ字からではわかりませんし、その文字からは、何のメッセージも感じ取れません。漢字は、学校時代は、覚えることで苦労し、いやな存在でしたが、大人になると、いろいろなことを思い巡らすことのできる、ありがたい存在に思えます。
 そんな松前町に来るために羽田空港のラウンジにいたときに、そこで読んだ雑誌の中に、昨日の「過剰育児」に関係する最近の記事を読みました。
ノンフィクション作家の石川 決貴氏の「続 孤家族のゆくえ」(サンデー毎日)という記事です。
『「子どもを産んだら、こんなにかわいくて愛しいものがこの世にあったのかと感動しました。」東京都の母親は、まもなく2歳になる長女を抱き寄せ、うっとりと言う。ところが、彼女の言葉はこう続く。「だからもう子どもは要りません。」かわいいのに、子どもは要らない。矛盾に感じ取れる前後の言葉。だが、ここに少子化のひとつの背景があるのだ。「娘には、私の持てる力を全部使いたいんです。やりたいことは何でもやらせてあげたいし、親としてできるだけのことをするつもり。ずっと、『この子ひとすじ』で生きたいんですね。そうなると、これ以上子どもを産めないでしょ。私の愛情とか関心、お金が分散しちゃうと、かわいそうじゃないですか。」母親一人に子ども一人の組み合わせなら、自分のすべてを注ぐことができる。だが、子どもの数が増えれば、その分持てる力は散ってしまう。』 
 愛を注がれる子どもは幸せだというのは、必ずしも断言することはできませんね。このような愛情を一身に注がれる子どもはかわいそうにさえ思えます。また、このような子どもが通う幼稚園や学校は気の毒にさえ思えます。それは、どうも、これは愛情ではない気がするからです。子どもにとってどうでしょうか。これが、次の文章で少し判る気がします。
『ところでもうひとつ別の「ない」を訴える女性たちがいる。「子どもの育て方がわからない」というものだ。―略― 兄弟もなく、異年齢の子どもとの交流もほとんどなかった彼女に、赤ちゃんは未知なる存在。子育ての予行練習を兼ねて、ペットを飼おうかと思っているんですね。そうでもしないと、生き物のあつかい方がわからないし。』
 やはり、ペットと同様に、一方的な愛情のようですね。でも、本人は、そうは思っていないでしょうから、人間としてのあつかい方を、少しずつ、教えていく必要があるかもしれませんね。

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2005年10月18日 近頃思うこと

過剰育児

 昨日の地鎮祭のときに、新宿の保育園の設計をお願いしている國信さんから、面白い資料をもらいました。國信さんからは、よく面白い資料をもらいます。どうして、もらう資料が面白いかというと、一つには、國信さんは、いろいろなものを積極的に見たり聞いたり、調べたりするタイプだからです。なかなか気づかないことを気づかせてくれます。もう一つは、私の考え方を理解してくれているので、私の欲しいような情報を提供してくれるからです。もう一つは、設計家なので、見る観点が保育者とは違うからです。
今回もらった資料のなかに、1963年の「暮らしの手帳」の初夏版がありました。今から、42年前です。私が、中学生の頃です。タイトルが、「保育園はなんのために」ということで、松田道雄氏が書いています。私の子どもが小さかった頃、松田氏の育児書は手放せませんでした。その寄稿文のリードに、こんなことが書いてあります。
ふつう、共かせぎの人たちだけ、保育園は必要だと思われがちである。しかし、ほんとうは、いまのこどもたちを、いわゆる過剰育児からまもるためにこそ、保育園がいるのである。その意味で、これは、お母さんみんなの、私たち国民みんなの大きい問題である。」
「過剰育児からまもる」「国民みんなの大きい問題」いいですね。この二つが、今、私が講演をして歩いているテーマです。当然、この文の内容は、それを立証していきます。
子どもを保育園に頼もうというとき、最大の反対者はおばあちゃんであることが多い。『子どもは、家庭で母親が育てるのが一番いいんですよ。あんな孤児院みたいなところへ預けるなんて。かわいそうなこと』これは、たしかに、おばあちゃんの時代には、そうであったに違いない。3、40年前は、保育園ではなく託児所であった。― 略 ― 保母さんだって、どこへもいきどころのなくなった中年の女性が、かつて子どもを育てたという経歴だけで、子守りとしてやとわれていたのがおおかった。」
今は、違いますよね。託児所ではなく、保育園ですよね。また、今の保育士は、行き所のない保育士ではないし、中年女性のように古い保育観を変えようとしない頑固者ではないし、ただの子守りではないですよね。
子どもは、家庭で母親から育てられるのが一番いいというのは、家庭のまわりにある遊園地や、そこにあつまってくるガキどもと呼ばれる自由な人格との交遊があったからであった。子どもは母親に育てられはしたが、子どもは家庭だけで育ったのではなかった。」
福岡県の行なった「子どもの遊び実態調査」(平成14年3月)では、外遊び集団の規模で、一人が20.7%、二人が26.5%で、約半数が「一人」または「二人」となっています。また、ベネッセ教育研究所の「第2回幼児の生活アンケート報告書」では、子どもの平日の遊び相手が母親であるのが、1995年は60.1% が、2000年には、73.1%に、一人というのも、1995年15.2%が2000年19.5%に増えている一方、きょうだいというのは、1995年には59.5%だったのが、2000年には54.3%に減っていますし、友だちというのも、1995年の52.7%が、2000年には52.1%に減っています。
現在の家庭で母親がやっている家庭保育と、3,40年前の家庭保育とは、かなり違ったものになっている。どこが違ったものになっているかといえば、すきがなくなったことである。大げさに言えば、今の家庭の保育は密室の中の監視になってきたのである。」
それなのに、保育園でも、密室の中の監視保育になっていないでしょうか。この文章は、今の保育を考える上で、とても参考になるので、続きをまた書きます。

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2005年10月17日 記念日

地鎮祭

 今日は、新宿の保育園の「地鎮祭」でした。保育園、幼稚園の経営母体が、神社や寺院の場合は、園長が、神主であったり、住職であったりするので、これらについて、えらそうなことは言えませんので、専門的なことはその人に任せます。逆に、素直に、知らないためにおこる疑問を考えてみました。なぜかと言うと、もうひとつ、今日はそれを考える出来事があったからです。それは、今日、インドネシア出身のノール・ヨハンナさんという人が、ホームステイをしているからです。
 今日の地鎮祭は、神式で行いました。神式は、神道です。家庭で行う「初詣」「初午」「七五三」「除夜」などは、なんとなく神社で行うので、神道だと思いますが、園の行事のなかにも神道に関係する行事がいくつかあります。代表的なものに、1月7日の七草、2月3日の節分(豆まき)、3月3日のひな祭り(桃の節句)、5月5日のこどもの日(端午の節句)、7月7日の七夕などです。これらは、あまり神道に関係しているとは思わなくなっているものが多くあります。それだけ、宗教的行事という意識がなくなっています。それは、神道が宗教のひとつとして考えにくいからです。他の宗教である、仏教、イスラム教、ヒンドゥー教などは、後ろに「教」がつきます。しかし、「神道」といって、「神教」とは言いません。「茶道」や「弓道」「柔道」というように、「○○道」というのは、「そのものの道」ということで、人の行うべき道のことであり、宇宙や、世界の原理という意味合いが含まれています。また、他の宗教のように、預言者やそれを説いた個人や、経典や聖典などもありません。ですから、他の宗教と相容れることができるのです。時代によって、かなり両立させたこともありました。しかし、他の宗教は、なかなか相容れようとはしません。その表れが、今日、ホームステイしているヨハンナさんの出身地である「バリ島」のテロ事件です。インドネシアは、95%がイスラム教徒だそうです。残りの5%が、キリスト教や、仏教や、ヒンドゥー教などだそうです。(ヨハンナさんは、クリスチャンです。)各国では、宗教紛争が起きています。それは、アジアや中東だけでなく、ヨーロッパでも起きています。もちろん日本にも、クリスチャンもいますし、仏教徒もいます。しかし、あまり宗教観がないとか、節操がないとかいう言い方をすることもありますが、逆の言い方をすると、お互いに共存しています。宗教紛争は、宗教観だけでなく、民族の対立が絡んでいるので、なかなか解決しません。そんなときに、私は、「日本っていいなあ。」と思います。そんなことを思う私は、いい加減なのかもしれません。信心がないので、撥が当たるかもしれませんね。でも、どんな理由でも、人を傷つけることだけはしたくありませんから。

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2005年10月16日 研修

修学旅行

 今日は、昨日に続いて、金沢でした。しかし、昨日の研修とちがって、昨晩から、職員厚生に切り替わりました。自分たちで積み立てた旅行費で、みんなで温泉に泊まり、夜ゲームをしたり、遅くまで話し込んだりします。そして、今日は、金沢観光です。テーマごとの班に分かれての行動です。私は、加賀友禅染体験コースでした。そして、明日の早番のために早めの帰宅です。(このブログは、帰りのバスのなかで書いています。)やはり、園での行事同様、みんなで泊まって、ゲームなどやることは、普段の保育が厚くなる気がします。昨日のゲームの圧巻は、何人かが「見守る保育」のイメージを絵で表し、私がそれを採点するのです。結果、みんなよく理解していたので、全員合格にしました。なんだか、修学旅行に行ってきた気分です。
 修学旅行といえば、高校時代の修学旅行の思い出があります。この体験が、今の保育に少し影響を及ぼしています。私の高校は、ほとんど生徒の自主性に任せるということで、教師はあまり関与しませんでした。たとえば、修学旅行も、日程と費用だけが提示され、その中で、クラスごと自由です。私のクラスは、みんな、ものぐさが多く、あまり遠くへ行くのはよそうということで、行き先は「箱根」に決めました。(今、考えると、せっかくの高校生活最後の思い出が箱根というのも情けない話ですが。)ゆっくり出発して、宿に着いたら、部屋に分かれます。部屋割りは、部屋ごとにそこで何をするのかで決めました。「マージャンの部屋」「トランプの部屋」「歌を歌う部屋」などです。そして、就寝時間はありません。(先生は、いません)そして、次の日、ちがう場所に移動するために、朝9時にバスを頼んでおきました。しかし、一番早く起きた私でさえ、(私が、旅行委員でした)起きたのが、10時を過ぎていました。急いで、みんなを起こし、相談した結果、「面倒くさいから、もう一晩ここにいようよ。」ということで、ずっと、箱根の同じ宿にいただけの修学旅行でした。もちろん、写真などありませんから、卒業アルバムを作るときに苦労しました。(私のクラスだけ、誰も写っていない観光写真です。)そんな自由な、自分たちに任された修学旅行でしたが、その間、決して、みんな法律に違反すること(お酒を飲んだり、タバコを吸ったり、他人に迷惑をかけることなど)は、やりませんでした。それは、自由を、失いたくなかったからです。もし、そんなことをしたら、次の年から、行き先は先生が決め、先生に引率され、見張られる修学旅行になってしまうでしょう。その時の体験から、、自由を守りたかったら、きちんと自律ができないといけないのだということに気がついたのです。
しかし、その年齢のころは、ずいぶん気負っていた気がします。その卒業アルバムですが、やはり私が委員だったのですが、どうしても担当の先生が好きになれませんでした。たとえば、こんな提案に抵抗しました。「毎年アルバム委員は、大変なのに、縁の下の力持ちで終わってしまう。だから、今年は、1ページすべてを使って、アルバム委員の写真を大きく載せよう。」そこで、写真を届けるときには、友達に持っていってもらったので、卒業アルバムには、名簿は、私の名前ですが、写真は、友達が写っています。なんだか、懐かしい思い出です。

投稿者 fujimori : 18:59 | コメント (0)

2005年10月15日 研修

研修旅行

 今日は、1年に1度の職員研修旅行で、金沢に来ています。私の園には、見学者が多く来ます。見られるだけでなく、他園を見ることも必要であり、とても、勉強になります。しかし、そのときに悪い園はできるだけ見ないようにしています。悪い園でも、勉教になるところはたくさんあります。しかし、私は、悪い園から学ぶのには、力が必要だと思っています。そうでないと、「こんな程度か。」とか、「何だ、自分のほうがいいや。」とか、自分のほうが優位に立つことができるところだけを見てしまうからです。自分のよさを見直すということはあるのでしょうが、自分を成長させるように取り入れることは難しいと思います。また、できる限り、職員みんなで行くことにしています。多くの職員で同じものを見るほうが、見る観点がさまざまでありながら、共有できる部分が多くあるからです。しかし、保育園というところは、それがなかなか難しいですね。それが可能である日は、見学先には子どもがいない日であることが多いからです。そこで、どうしても、土曜日になってしまいます。そして、職員の中で、自分の子どもが小さかったり、家庭での用事があって行けない人が、土曜日の保育をすることにしています。いくら、みんなでいくといっても、まずは、自分の家庭を大切に思ってもらわなければ、研修する意味がなくなってしまうからです。
また、この研修は宿泊です。一時、1泊社員旅行を行わなくなりました。最近、また、関係性の構築、コミュニケーション能力が必要であることから、見直されています。
 では、そんな研修で、職員は、何を学ぶのでしょうか。それによって、職員のスキルは上がるのでしょうか。
 来るときに飛行機の中で読んでいた本にこんなことが書いてありました。
日本人は、物事を練磨し、習熟しようとする。剣術や槍術がいい例である。剣や槍というのは、たかが金属の延べ棒であり、単純な道具である。道具が単純なだけにはじめての者がふりまわしてもどうもあつかいきれない。やはり技術がいる。その技術は単に「やりかた」というようなものではなく、日本人の手にかかるとひどく深遠なものになっていく。そこに玄人と素人がわかれ、その差は天地ほどにひらく。 ―略― が、西洋は違う。西洋にも技術はあるだろうし、その技術の深遠さということもあるだろう。しかし、彼らは不器用なのか、ものの考え方がちがうのか、道具や機械はすべて素人がすぐに使えるように工夫し、そのように仕立ててしまう。西洋人の間に道具や機械が発展したのは、一つにはそのようなことにもよるだろう。
 保育の世界で、確かに、保育者の質の向上、専門性の奥深さは必要です。しかし、その専門性が、知っている手遊びの種類の数であったり、ピアノの弾けるレベルであったりすることではないはずです。また、一人ひとりの習熟の程度でもありません。集団が、その環境が、結果的に習熟を促すような仕掛けです。それが、西洋のいう、「道具や機械はすべて素人がすぐに使えるように工夫し、そのように仕立ててしまう。」ということかもしれません。

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2005年10月14日 映画

ハロウィーンと映画

 もうすぐ、ハロウィーンです。保育園でも、その装飾で今にぎやかです。玄関には、大きなかぼちゃが飾られています。この行事は、少し前までは、日本ではあまり見られませんでした。ディズニーランドで、ハロウィーンパーティーをやっているくらいでした。まず、あの大きな、オレンジ色のかぼちゃの種類には、あまりなじみがありません。そして、全体的なキャラクターが、なんだか不気味です。それから、仮装をして、各家を回って、お菓子をもらうというのも、不思議です。まあ、その由来は、ハロウィーンの当日にして、今日は、そのお菓子をもらうということが、アメリカで、子どもにどんな影響を与えているかを映画から考えてみました。
 まず、先日見た「チャーリーとチョコレート工場」の映画ですが、原作にはなかった、チョコレート工場の社長であるウォンカ氏の少年時代の逸話です。ウォンカが少年のころ、ハロウィーンの日に、仮装をして、各家を回って、お菓子をもらいます。集めたお菓子を食べるのを楽しみに家に帰ると、歯医者である父親が、こんなものを食べると虫歯になると言って、全部暖炉に投げ入れてしまいます。それが元で、親子の関係がギクシャクしてしまうという話です。結局は、父親のそのような行為は、子どものことを思ってであるということが大人になってわかるのですが、子どものころは、子どもの心を踏みにじったと思うのです。他にも、同じような映画を思い出します。
パーフェクト・ワールド」という映画です。
 ハロウィーンの夜、ブッチとジェリーの二人の犯罪者が刑務所を脱獄します。逃走の途中、ふとしたことから八歳の少年を人質にとりました。途中、トラブルからジェリーを射殺したブッチは少年と二人の逃走が始まります。逃走中の車内の中での二人の会話に子育てに参考となることばが多くあります。「いいおやじかい?]「ええ」「キャッチボールとかレスリングを?」いい父親のイメージは子どもとキャッチボールをしたりレスリングをしたりするもののようです。途中、少年はハロウィーンの衣装を盗みます。少年の家では宗教上の理由でハロウィーンはできないのです。少年はどうしても一度はしたくてしかたがなかったのです。「ほかにないものは?」「クリスマス。」「うそだろ?」「誕生日もパーティーもない。」「カーニバルも知らない?」「ええ。」「綿菓子は?」「一度見たことはある。赤かった。」「ピンクだよ。」「味は知らない。」「ローラー・コースターは?」「写真だけ。」「アメリカ人は綿菓子とローラー・コースターを楽しむ権利がある。」「本当に?」「本当さ。」そんな少年にブッチは試したいのに我慢していたことをリストにあげさせます。ブッチと少年は父親に恵まれなかったという共通項からの同情はあるものの、それだけでなく、彼は少年を子どものころの自分と同一視していたのです。自分と重ねて、自分が子どものころにして欲しかったとおりに少年を扱っていたのです。子どもは貪欲に楽しいことを求め、大人が自分の考えでそれを阻止したとき、子どもの人生が狂ってしまうと思っているのです。そんな気持ちが最後に少年を開放する条件として、少年の母親にリストに書いてあるようなやりたいことをやらせることを約束させるのです。「お金なら出します。」と叫ぶ母親に対して、要求は「キャンディーだ。ハロウィーンのキャンディーだ。」と言うのです。

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2005年10月13日 読書

昔話の親子パート3

 先日、ある地域の園長に聞きました。その地域は、保育園に入れない子どもが多く、いわゆる、待機児が多い地域のようです。すると、入るための要件が高い順に入園できるとなると、母子家庭が優先になり、結果、母子家庭が7割を超えてしまっているといいます。もちろん、保育が必要な人が優先ということには異論がありませんが、園という場が、子どもが生活するうえでの社会とすると、その割合は、問題かもしれません。また、違う地域の園長に聞いてみると、園児の過半数が、親の再婚で苗字が変わっているので、子どもたちが、親に苗字を変えることを要求することがあると聞きました。確かに、過半数を超えると、子どもにとってはそれが普通になってしまいかねません。そういえば、娘が小学生のとき、友達が、親の年齢が10代であることを自慢して、みんなにうらやましがられていました。(もちろん再婚相手ですが。)まあ、離婚家庭が社会のなかで小さくなっていた時代よりは、いろいろな価値観を認めるいまの時代のほうがいいかもしれませんが、子どもに対して、それがどのような影響を及ぼすのでしょうか。
昔話のおじいさん、おばあさんだけでなく、親子関係でほかにも興味深いものがあります。たとえば、母子家庭、父子家庭もかなりあります。有名なところでは、
なしとりきょうだい」は、母子家庭で、病気の母親のために山なしを3人のきょうだいが取りにいく話です。また、「千里のぞうり」では、やはり母子家庭で3人の子どもを育てていましたが、貧乏で、子どもたちを捨てますが、後、悔やんで仲良く暮らす話です。「養老の滝」は父子家庭です。そして、孝行ものの息子が病気の父親のために薬草を採りに行く話しです。おもしろいのは、「雪女」です。雪女のせいで父子家庭であった父親が死に、残された息子がその後雪女と結婚し、子も生まれるが、約束を破って雪女に去られ、また、父子家庭になってしまうというものです。昔は、早く死んでしまうことが多く、片親家庭が多かったのでしょう。その子は、とても親思いで、それが主なストーリーになっています。
 また、人間以外の動物との間に子をもうける話も多くあります。「へび女房」は、へびと結婚した男が、姿を見たため出て行かれるが、へびの目玉をしゃぶらせて子どもを立派に育てます。「あかぎれ童子」は、逆にへびと結婚した女が子を産み、へびが死んだ後立派に育てる話です。「きつね女房」は、狐と結婚し、子が病気になったとき、田を放ったらかしで、両親で看病して、田植えが間に合わなくなって、きつねが術を使ったために、身元がわかってしまい、出て行かれる話です。どれも、動物の子を思う愛情の深さには、人間にも負けないものがたくさんあり、人間も学ぶところが多くあります。この時代でも、子への愛情の大切さを、動物に託して教えたのかもしれません。
 どんな家族形態であっても、「子どもを大切にする家庭」ということは、変えないで欲しいと思います。

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2005年10月12日 教員の頃

キンモクセイ

kinnmokusei.JPG
園庭のキンモクセイの花
 つい、この間まで、キンモクセイのいい香りがしていました。園の駐車場に植えてあります。この香りは、とてもいいということで、トイレの芳香剤に使われてしまったせいで、なんとなくトイレのにおいと思われがちで、なんだかかわいそうです。好きな香りが、すぐトイレに使われてしまい、残念です。(最近、ラ・フランスのにおいというものが出ました。)また、名前の由来も面白く、金木犀(きんもくせい)という字の「犀」は、動物のサイですね。淡灰色の幹の紋斑が動物の犀(サイ)の皮に似ているかららしいです。何で、強烈な印象の花のイメージから名前をつけずに、樹皮のイメージからつけたのでしょうね。もう一つ、この花について有名なことに、日本の金木犀が雄木ばかりという話があります。確かに、実を見たことがありません。キンモクセイは、イチョウと同じく、雌雄異株で、渡来したのは7~9世紀の間に、遣唐使が桂林あたりから種をもち帰って植えたと伝えられていますが、雄の木しか日本に渡ってこなかったそうです。そして、中国では、あの強く甘い香りから、「月には木犀の大木が茂っている」という伝説があるそうです。その香りを嗅ぐたびに、そのことを思い浮かべます。
 この香りをかいでいて、思い出したことがありました。私が、小学校で1年生を担任していたときのことです。私は、1学期の間は、子どもたちになるべく、文字を使わせませんでした。たとえば、毎週、各地の民話を話していたのですが、読み終わってからの「感想文」は、絵で描かせていました。「感想絵」です。思ったこと、班新聞もできる限り、絵での表現をさせました。子どもたちは、その不便さから、文字を使いたがりました。そして、2学期、今度は、文字を使うことを解禁したのです。逆に、今度は、いろいろなものを、文字で表現させました。あるとき、教室の真ん中に、花を入れた花瓶を置いて、子どもたちに画板を持たせて、その周りを囲みました。「さあ、みんなで、この花を写生しよう!」といって、画用紙ではなく、原稿用紙を配って、「ただし、絵で写生ではなく、文字で写生をしよう。」と言ったのです。そして、またある朝、登校してきたら、校門のところのキンモクセイがとてもいい香りだったので、子どもたちをそこに連れて行って、「今日は、このにおいを文字で写生しよう!」と言ったのです。
 文字は、使いこなせると、とても便利です。姿も、においも表現することができます。しかし、本当にこちらが伝えたいことが伝わるかというと、逆に、文字はとても怖いものがあります。このブログにして、写真が1枚あるだけで、伝えたいイメージはすぐに伝わることがあります。しかし、一番伝えたい「思い」は、なかなか伝わりません。このブログを続けるのも、ある時の文字だけでなく、ある時の場面だけでなく、その奥にある「思い」を伝えたいためなのです。

投稿者 fujimori : 18:24 | コメント (0)

2005年10月11日 近頃思うこと

街って?

 新聞広告には、その時代を反映していて、興味深いものがあります。
 先日の全面広告に面白いものが掲載されていました。
「おとうさん、街ってなぁに?」というタイトルです。
「駅前にね、なんだか大きな街ができるんだって。おとうさん、街ってなぁに?」
「そういう本質的で、割と答えが難しい質問は、おかあさんにしなさい」
「おかあさんが、おとうさんに聞きなさいって」
「うーん、そうか。先手を打たれたか」
「ねえねえ、おとうさん、街ってなぁに?」
「待ちなさい。今、尊敬されるような答えをずばりとするから。
街か…むつかしいな。…人が暮らしたり働いたり、楽しく生きる場所…かな。」
「街って、おうちとか、ビルとかのことじゃないの?」
「そうだよ。そうなんだけど。家やビルを建てるだけじゃ、街にはならないんだよ。」
「街に、ならない?街ってなるものなの?」
「うん、おおきなマンションとか、いくら高いビルとかを建てても、そこに人がいなくちゃ、街にならない。」
「へぇ」
「時代とかも関係していくしね。」
「時代って、今?」
「うん、今とか未来とか、おとうさんが子どもの頃と今では、
みんなの暮らし方とか働き方とかも、少しずつ変わってきているからね」
「なんか、むつかしい。」
「むつかしくないよ。ほら、いま住んでいるこの町だって、おじいさんやおばあさんがいっぱいいるだろ?」
「うん、みんなやさしくしてくれる。」
「逆に子どもの数は、ほら、お前は一人っ子だけど、昔は3人とか4人とかいて、最近は少なくなっているんだよ。」
このあとも、少し会話は続きます。
 保育にしても、子育て支援にしても、街ができるために必要な要素です。そして、街を構成しているそのほかの要素は、変わってきています。当然、街を作るために、それぞれの要素の新しい役割が求められてきます。保育園、幼稚園、学校は、決して、建物のことではありません。機能の問題です。建物は、変わらなくても、機能を変えていくことが、新しい時代の街を作ることにもなるのです。
 また、街は、建物だけでなく、そこに住む人々がいきいきと生活することで、はじめてできるのだということは、子育て講座などに使えますね。

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2005年10月10日 記念日

特異日

 今日は、体育の日です。どうして、この日が体育の日かは、ほとんどの人が知っているでしょう。昭和39年に日本で初めて開かれた五輪大会、東京オリンピックの開会式がおこなわれた日を記念してのことです。そして、それを記念して、昭和41年(1966年)、10月10日が、体育の日に制定されたのです。体育の日は、国民の祝日のひとつで、国民の祝日に関する法律(祝日法)では「スポーツにしたしみ、健康な心身をつちかう」ことを趣旨としています。それが、2000年(平成12年)からは「ハッピーマンデー制度」の適用により、10月の第2月曜日となっています。それが、今年は、ちょうど、制定された趣旨の10日でした。それでは、なぜオリンピックの開会式が10月10日になったのかも、知っている人は多いと思います。日本の観測史上いちばん晴れる確立が高かったのが、この日付けだったのです。このような日のことを、特異日といいます。特異日とは、気象学的な理由は不明だそうですが、統計的に毎年その日には特定のある天候が訪れることの多い日のことをいいます。すると、たとえば、雨が一番多い日とかもあるのでしょうか。実は、あるのです。しかも、それだけでなく、他にも何日かあります。1年の中で、特異日は、4月6日が、寒の戻りの特異日です。寒の戻りとは、3~4月、再び寒くなることです。一時的に冬型の気圧配置となり、あらわれます。そして、体育の日と逆に、雨の特異日が、 6月28日です。東京では53%の確率で雨が降るそうです。そして、昔からよく言われている 二百十日(9月1日頃)・二百二十日(9月10日頃)・八朔(旧暦8月1日) が、台風の特異日です。しかし、これは、統計上ではなく、雑節の一つで、二百十日は、立春から数えて210日目のことで、歴注のひとつです。そのころに台風が多いと経験上目安にしたのでしょう。しかも、農家では、早稲、中稲はこの頃開花期を迎えています。ですから、台風襲来の季節にあたり農家では農作物被害の警戒を要したのです。同様に、雑節の一つで, 立春から数えて220日目の日のことが、二百二十日です。白露の数日後で, 太陽暦では9月10日頃となります。台風は現在の暦で9月の後半に集中するので, この日以降に多発することになるのです。八朔は旧暦の八月一日(朔日)のことです。この三日は、昔から、台風の特異日とされていたので、農家の三大厄日とされています。 実際に、統計上の台風襲来の特異日は、9月17日だそうです。8月18日猛暑の特異日。10月10日 が、かつては、晴れの特異日といわれていましたが、今は、11月3日晴れの特異日です。
 気象学上だけでなく、いろいろな特異日があるかもしれません。日にちが特定されることに、特に科学的な根拠がはっきりしないだけに、逆に興味を持ちます。たとえば、私の園への見学者を調べてみて、ここ9年間での、見学者の特異日を調べてみたい気がします。また、子どもの怪我をする特異日とか、講演の特異日とか、知りたい気がします。科学では、解明できない何かを感じることができそうな気がするからです。

投稿者 fujimori : 21:34 | コメント (1)

2005年10月09日 映画

今日も映画

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 今日は、秋雨前線の影響で、朝から小雨が降っています。あまり歩き回れそうにないので、映画を見ることにしました。「チャーリーとチョコレート工場」です。この話の原作はかなり古く、1964年に「チョコレート工場の秘密」として、イギリスで出版されました。その後、全世界で、32ヶ国語に翻訳され、1300万部以上発売されています。イギリスでは「子どもの好きな本ランキング」で、第1位が「ハリー・ポッター」第2位が「指輪物語」第3位がこの「チョコレート工場の秘密」だそうです。1位、2位とも映画化されて有名ですが、この映画も、昔、映画化されています。私は、子どものころは、この原作とは、出会いませんでした。わりと最近に読みました。もう、大人になって読んだせいか、それほどおもしろいとは思いませんでした。それは、ストーリーは、予想がつきますし、単純なハッピーエンドだからです。
 この映画の題名で思い出すのは、それよりも、大石真氏原作の「チョコレート戦争」です。これは、かなり昔に読んだので、詳しい内容は忘れてしまいましたが、とても面白かった印象があります。 チョコレート戦争で、戦争するのは、洋菓子店の人々と、その人たちの何人かに何もしてないのに怒られた子どもたちです。店の社長さんに、「ショーウインドウのガラスをわったのはだれだ」と問いつめられ、その仕打ちのことを学級新聞にのせて戦いを挑み、このチョコレート戦争で子どもたちが勝った話です。そして、最後の方で、ショーウインドウを割った本当の犯人が見つかるのです。この大石真氏は、他にも「教室二〇五号」という話も書いていますが、これは、私の好きな児童文学書の中では、ベスト10にはいる本です。いつか、それら、児童文学書についても書きたいと思っています。
 話は、それましたが、映画の話に戻します。原作はあまり面白くなかったのですが、映画は、割と面白かったです。ストーリーとしては、「両親と両祖父母と一緒に、傾いた家で細々と健気に暮らす少年が、たまたま、誰も中を知らない世界一のチョコレート工場に、幸運にも他の4人とともに招待され、さまざまな冒険をする」という話です。この映画としての面白さは、少し説教くさいところもありますが、テーマが、さまざまな親(今の時代を代表するような)に育てられた子どもたちがどうなるのか。お菓子食いすぎ肥満少年、小遣いやりすぎわがまま娘、ゲームやりすぎオタク少年、勝ちにこだわりすぎ自己顕示欲少女。しかし、最後に幸せを手に入れるのは、特別なにとりえがなく、頭もそれほどよくなくとも、「やさしさ」を持った子どもであるということです。また、チョコレートのおいしさ、甘さを出すもの、アイデアを生み出す元は、「家族」であるということも、テーマのひとつです。おまけとして、原作にはなかったのですが、チョコレート工場の社長であるウォンカ氏の少年時代や、成長後の親子の交流などが描かれ、”親と子の関係とは”という映画全体のテーマに深みを与えています。前回見た、「シンデレラマン」と同じようなテーマです。今、アメリカが抱えている悩みや、訴えようとしていることがよくわかりますね。

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2005年10月08日 写真

イギリスの運動会

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投稿者 fujimori : 15:37 | コメント (0)

運動会

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 今日は、いよいよ、本番の運動会でした。今年から、雨の心配や、かんかん照りの心配がないように、最初から小学校の体育館で開催しました。本当は、「天高く…」とか「澄み切った秋晴れの下」という秋の運動会が、運動会らしいのですが、それは、小学校以上の話であり、私たちの生まれた世代の『らしさ』であるのかもしれません。0歳からいる保育園や、また、スポーツと呼ぶのか、運動遊びと呼ぶのかわからない年齢では、どの形がいいのでしょうか。本当は、広い原っぱとかでやれるといいのですが。
 外国では、どうでしょうか。樋口敦子氏が、論文「日本と諸外国の運動会の違いとは?」でまとめています。
 たとえば、アメリカ合衆国では、一般的に運動会はないと言われています。その代わり、多くのところでは、「Field Day」と言われているものがありますが、特徴としては全員強制参加ではなく、参加したいものに自らサインアップすること、学年によって時間が異なること、平日に行われるために観衆が少ないこと、ダンスや組体操、マスゲームは行われないことなどが主な特徴のようです。ですから、訓練や発表の場というよりも、エンターテイメントに力点がおかれた球技を含むフィールド競技の1日といった感じです。
カナダでは、少し日本に近く、学年対抗によりゲームのような競争があり、家族が大勢見に来るようです。
イギリスの「Sports Day」は、予行練習等はなくプログラムは特になく、競技は短距離走と縄跳び走の2種目でそれぞれ個人とリレー、予選と決勝があり、ダンスや組体操、マスゲームはないようです。競技の結果には必ず順位がつけられ、個人の成績は明確にされますが、競技への参加は全て本人の意志に任された自由参加であり、参加する自由、回数、参加しない自由の全てが認められているため、競技に順位がつけられることには特に問題は起こらないようです。プログラムがないということは開会式も閉会式もありません。競技が全て終了すると子どもたちはウサギ跳び、幅跳び、麻袋に両足を入れたジャンプレース、ジャガイモのスプーンレースなど、遊びのようなこれらの種目に参加し各々の記録をカードに書き込みます。これもまた、全ての種目に強制的に参加させるのではなく、やりたいものを最低3つやればよいということのようです。全体を通しては言えることは日本とはまったく異なり、型にはまったものがなく、硬い雰囲気ではないということのようです。日本は戦後、アメリカ合衆国に倣った教育活動へと変わっていきましたが、体育という授業における運動会に関しては日本とアメリカ合衆国のものを比較するとその影響を受けなかったといわれています。
 日本では、特に外国の真似をする必要はありませんが、子どもの育ちにとって、行事の位置づけとして、保護者にとって、どんな運動会がいいのか、考えてみましょう。また、それらの観点だけでなく、行事のあり方も、日本の文化を伝承するという「地域の文化施設」として、運動会という場だけではなく、日常的に何をするべきなのかも考える必要があるでしょう。

投稿者 fujimori : 15:35 | コメント (0)

2005年10月07日 保幼小

オランダの異年齢教育

 小学校での異年齢での学習について、私の取り組み案を挙げましたが、オランダの取り組みが、AERAの2005年9月5日号に載っていました。
オランダの教育(ジャーナリスト 天野一哉氏)
『実際に訪れた学校では、どの生徒も指示を待つのではなく、自主的に自分の学習を進めていました。自由であり、多様であり、しかし学力、学習意欲も高い。その秘密は、今から40年ほど前にあります。当時オランダでも現在の日本と同じような問題に直面していました。子どもの「学力低下」が問題となり、教育・科学省の依頼で「落ちこぼれへの抵抗」という報告書が発表されました。ついていけない子どもを切り捨てる画一的な一斉授業への反省から、一人ひとりの子どもの関心や習熟度などの個々のニーズに応じた「個別授業」の必要性が強く叫ばれました。なかでも「イエナプラン教育」はオランダの公教育全体に大きな影響を及ぼしました。イエナプラン校では、3学年のマルチエイジ(異年齢)クラスで学習が進められます。先生は十数人の子どもたちと大きなテーブルを囲んで、読み、書き、計算や社会、理科の説明をします。先生の語りかける声は、家庭で食卓を囲んで語り合う家族のように穏やかなものです。1回の説明で理解した子は、少人数のグループ席に戻り、練習問題や発展的な課題に取り組み「自立学習」をします。その間、先生は理解できなかった子どもたちにもう一度詳しく説明します。これを3回ほど繰り返した後、先生は教室を巡回し、最後まで理解できなかった子どもを中心に「個別指導」を行います。ある子には紙の上で説明し、ある子にはサイコロのような木製の教材を手渡します。さらにイエナプラン校では、日本の「総合学習」に当たる教科横断的な「ワールドオリエンテーション」という共同学習の時間があります。ここでは、異年齢の子どもが助け合いながら自主的体験的に世界のさまざまなことを学びます。これら個別指導、自立学習、共同学習が「個別教育」の大きな柱になっています。個別教育というと、30人以上の子ども一人ひとりに手取り足取り教え込むことと思い、「そんなことは不可能だ」という人もいるかもしれません。しかし、そうではなく、個別教育とは、一人ひとりの子どもが自分の能力や特性を発見し、自立的に学ぶ姿勢を身につけさせるものなのです。イエナプラン教育をはじめとするオルタナティブ教育が個別教育のために開発してきた教材や、ワールドオリエンテーションなどのカリキュラムは、一般の公・私立校にも広く取り入れられています。現在のオランダの教育は、個別教育によって子どもたちが自主的かつ意欲的に学習に取り組むことに重点が置かれています。』
 私たちが進めようとしている保育と同じような考え方ですね。オランダでは、就学前の、幼児教育も、この考え方で行なっているのでしょう。
しかし、これは、オランダとしての例ではなく、基本的には、どの国でも取り組み始めている考え方なのです。

投稿者 fujimori : 17:04 | コメント (1)

2005年10月06日 保幼小

異年齢

 今日は、近くの小学校の校長先生と少し話をしました。そして、以下のような提案をしてみました。とても面白がり、やってみたそうでしたが、「やはり、公立では難しいですね。」との感想なので、「いや、そんなことはありません。」と、いろいろともう行っているところなどを例に出してみました。
 それは、こんな内容です。器械体操のブログのなかで、小学校学習指導要領を例に出しましたが、やるべき目標、内容を示すときに、〔第1学年及び第2学年〕というように複数学年として提示されている事に気づかれたでしょうか。私が少しの間、教員をしていたときは、すべての教科で、1学年ごとの表記をしていました。今は、たとえば、国語の内容でも、文字に関する事項では、〔第1学年及び第2学年〕という中に、
(ア) 平仮名及び片仮名を読み,書くこと。また,片仮名で書く語を文や文章の中で使うこと。
(イ) 第1学年においては,別表の学年別漢字配当表(以下「学年別漢字配当表」という。)の第1学年に配当されている漢字を読み,漸次書くようにすること。
(ウ) 第2学年においては,学年別漢字配当表の第2学年までに配当されている漢字を読むこと。また,第1学年に配当されている漢字を書き,文や文章の中で使うとともに,第2学年に配当されている漢字を漸次書くようにすること。

と書かれています。この通り読むと、平仮名、片仮名を1,2年生のうちに「読み、書き」ができればいいことになります。ただ、漢字については、一度に覚えることはできないので、一応1年生では、80字の漢字を読み、漸次書ける様にすることになっています。しかし、1年生で習う漢字を使いこなすのは、2年生でいいということになっています。改めて、そうしてみると、算数と理科だけは、1学年別の書き方をしていますが、ほかの教科は、異年齢の書き方をしています。(道徳は、昔は、低、中、高学年ということで括弧書きをしていたのが、他の教科同様、2学年分を示すことになっています。)
 私が今、小学校の校長をやるとしたら、試してみたいことがあります。教科を、異年齢の幅の中でやってみたいと思います。算数にしても、教科内容を子どもに授業するときは、年齢別にしますが、その内容を定着する時間は、異年齢でやったらどうかと思います。たとえば、「乗法九九について知り」というところは、2年生でやり、「2位数や3位数に1位数をかけたり,2位数に2位数をかけたりする乗法の計算の仕方」を3年生で教えることになっています。
 しかし、それを定着させるためには、たとえば、「九九を定着させたい子」「2位数に1位数をかけることを定着したい子」「3位数に1位数をかけることを定着したい子」「2位数に2位数をかけることを定着したい子」のグループにわけ、どれをやりたいか子ども自身が選んで、その内容で行うようにするのです。そして、自分で定着できたと思ったら、次に移っていきます。いわば、習熟度別ですが、成績で選別をするのではなく、何がしたいのか、自分は何が必要なのか、課題を子ども自身が決めるということです。
 そして、幼児期では、そのような子ども主体のやり方に移行できるように、子どもが自発的に物事の取り組む姿勢、アイデンティティーを育て、「個」を確立できるようにすることを、目指していきます。
 これが、今、私が取り組もうとしている保育かも知れません。

投稿者 fujimori : 17:31 | コメント (1)

2005年10月05日 近頃思うこと

器械体操

 今日は、運動会の予行練習の2回目でした。その中で、子どもの発達を見せようということで、台の上から飛び降りるとか、台の上を歩く、高いところを越える、転がるといったものがあります。台の上を歩くのが「平均台」になり、高いところをこえるのが「跳び箱」になり、転がるのが「マット運動」になっていきます。
 これらは、学校教育のなかで「器械体操」と呼ばれているものです。器械体操競技の基礎は、ドイツのヤーンによって築かれました。「ドイツ体操の父」と言われるF.L.ヤーンは、国家再建のために若者を集め、 1811年ベルリン郊外のハーゼンハイデに体操場を作り、器械を使った体操を行ったのが始まりと言われています。そして、日本には、器械運動として、明治初期に導入され、次第に学校体育の中に取り入れられました。
 学校体育のなかで、器械体操は、運動が苦手な子をかなり昔から悩ませてきました。なぜ、こんなことをやらなければいけないのでしょう。跳び箱や鉄棒、マットなど大人になってから、一度もやったことはありません。逆上がりなど、あんなにみんな残ってまでやらされたのに、何に役に立っているのでしょう。たぶん、戦争時代に、かなり役に立つ能力だったのでしょうが、今は、それを発揮する機会がない気がします。
 しかし、腕や腹筋の筋力、敏捷性とバランス、柔軟性など基本的な体力に関係してくることは間違いありません。そこで、もう一度、学校教育のなかでは、どんな位置づけになっているか調べてみました。小学校学習指導要領では、第1学年及び第2学年では、内容としては、「基本の運動」と「ゲーム」としか分かれていません。その基本の運動として、「―器械・器具を使っての運動遊び,用具を操作する運動遊びへの取組などを楽しく行うとともに,体の基本的な動きや各種の運動の基礎となる動きができるようにする。―」とある部分が、器械体操にあたります。基本的には、「楽しく」がメインです。それが、第3学年及び第4学年になると、はっきりと項目が立ちます。「 器械運動」として、
(1) 自己の能力に適した課題をもって次の運動を行い,技に取り組んだり,その技ができるようにしたりする。
ア マット運動及び鉄棒運動について,技に取り組んだり,できる技を繰り返したり,組み合わせたりすること。
イ 跳び箱運動について,支持跳び越しをすること。
(2) 互いに励まし合って運動をしたり,器械・器具の使用の仕方を工夫して安全に運動をしたりすることができるようにする。
(3) 自己の能力に適した技に取り組み,その技ができるようにするための活動を工夫することができるようにする。
とあります。それが、第5学年及び第6学年になって、「器械運動」は、
(1) 自己の能力に適した課題をもって次の運動を行い,技に取り組んだり,その技ができるようにしたりする。
ア マット運動及び鉄棒運動について,新しい技に取り組んだり,その技を加えてそれらを繰り返したり,組み合わせたりすること。
イ 跳び箱運動について,安定した動作での支持跳び越しをすること。
互いに協力して運動をしたり,器械・器具の使用の仕方を工夫して安全に運動をしたりすることができるようにする。
(3) 自己の能力に適した技に取り組み,その技ができるようにするための課題の解決の仕方を工夫することができるようにする。
となります。
 先の見通しを立てて、幼児期には、何をすればよいのか、特に筋力がまだできない時期としては、何を重点的においたらよいかを、もう一度整理する必要があるようです。

投稿者 fujimori : 18:15 | コメント (1)

2005年10月04日 近頃思うこと

初心

 昨日の表彰式は、同時に「名誉都民」の顕彰式も行われました。今年、名誉都民に選ばれたのは、元水泳選手で日本水泳連盟名誉会長の古橋廣之進さん、和泉流の狂言師、野村萬さんと木彫刻師の岸本忠雄さんの3人です。
 それぞれの謝辞の中で、野村萬さんが、「『初心 忘るべからず』と言ったのは、能の『世阿弥』でした。そのなかの『老後の初心忘るべからず』を肝に銘じて、今後も精進していきたいと思います。」と述べました。
初心忘れるべからず」という言葉は、よく聞きます。結婚式などでも使いますね。しかし、その意味は、少し違うように使っていることがあります。「何かを始めたころの気持ち、感動、希望など(初心)を忘れずにいよう。」というように使いますが、それでは、老後の初心は、ありえません。どうも、「初心」と「初志」を間違えているようです。「初心」とは、「まだ物事を始めたばかりで未熟で慣れない状態」のことをいいます。「初心者」という言葉の初心です。ですから、「初心忘れるべからず」の意味は「物事を始めた頃の未熟で失敗ばかりであった時の記憶やその時に味わった屈辱や悔しさ、そこを切りぬけるために要した様々な努力などを忘れてはならない」ということなのです。ですから、その仕事を始めたばかりの人が、「初心を忘れずに仕事をします。」というのは、おかしい使い方で、初心は、ある程度その道を経た人が、その時々に思う心なのです。その仕事をしていくうちに、自らの中弛み、慣れによって生まれる慢心を戒めるために使うのが正しいのです。ですから、逆に「初心」とは芸の未熟のことですので、「初心に返る」「初心に戻る」というように、戻ってしまってはいけないのです。
このことばは、世阿弥の晩年の著書「花鏡」にある言葉です。世阿弥は、室町時代の能(当時は猿楽といった)役者・能作者で、優れた能楽論書も残しています。能の大成者として、父、観阿弥といっしょに学生時代に覚えました。『花鏡』には次のようにあります。「しかれば当流に万能一徳の一句あり。 初心忘るべからず。この句、三ヶ条の口伝あり。 是非とも初心忘るべからず(是非によらず、修行を始めたころの初心の芸を忘るべからず ) 時々の初心忘るべからず (修行の各段階ごとに、各々の時期の初心の芸を忘るべからず ) 老後の初心忘るべからず (老後に及んだ後も、老境に入った時の初心の芸を忘るべからず ) この三、よくよく口伝すべし。」
 いつでも、その時々に、初心を忘れずにいたいと思います。

投稿者 fujimori : 18:34 | コメント (2)

2005年10月03日 近頃思うこと

突然

いつのころか忘れましたが、突然、市役所から電話がありました。そして、電話に出るなり「監査のときに、確か、2,3口頭指摘があったと思うのですが、それは、もう改善しましたか?」というのです。私の園では、監査がなかなか来てくれず、前回来たのも3年前なので、何が指摘だったか忘れてしまっていました。すぐに答えなかったら、「当然、お宅だったら、改善しているでしょうね。」というものですから、「たぶん。」と答えました。すると、「いろいろと本を書いたり、講演に行っているそうですね。」と言うのです。「何が、言いたいのだろ。」「誰かが、なにか告発したのだろうか。」と思ったので、「何で聞くのですか?」と言うと、「それは、答えられません。」といいます。そして、「他にもいろいろやっているそうですね。それらの資料をすぐに市役所に持ってきてもらえますか?」というのです。「すぐといっても、少し時間がかかりますが。」「夜8時まで市役所で待っていますから、持ってきてください。」なんだか変ですよね。聞いても、「何のためか、答えてはいけないことになっています。」と頑として、答えてくれません。「いいじゃ、ないですか。誰にも言いませんから。」「管轄が違うので、いえません。」「まあ、いいか。」ということで、夜8時に、市役所に資料を持っていきました。そのときは、変だと思ったのですが、そんなことは、すぐに忘れてしまいました。それが、また突然、先日、市役所から電話がありました。「今度、東京都功労者賞の受賞が内定しました。授賞式には出席できますか?」というのです。なんだかわかりませんが、予定を見ると出席できそうなので、「はい。」と答えると、「そのとき、車椅子を使用しますか?」「えっ?」私をよく知っている市役所の人が、すまして聞くのです。私は、笑いながら、「まさか、使いませんよ。」また、すまして、「では、介添人はつきますか?」「いいえ。」と不審そうに言うと、すると、「すみません。受賞者は、高齢の方が多いものですから、東京都から、確認するようにといわれました。」その授賞式が今日、都庁でありました。(ついでに、グッドデザイン賞受賞も、今日、公式発表があり、内緒ではなくなりました。)
 最近、役所の人は若い人が多くなりました。まじめで、一生懸命ですが、何か、マニュアル通りにしようとすることが多いようです。特に、保育関係の仕事は、人を相手にする仕事ですから、もっと、人としての付き合いや、その時々の対応に融通をつけるとか、法の後ろにある思いを感じて欲しいと思うことが多くあります。

投稿者 fujimori : 20:49 | コメント (1)

2005年10月02日 研修

質問

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 今日は、9時から15時まで、石川県の4つの園の職員が集まって、合同研修会がありました。1時間半の基調講演の後、同じ思いの職員が、それぞれグループを自主的に作り、普段の保育の課題や悩み、実践を話し合いました。
 合同研修といえば、私の保育園で、開園当時、こんな研修をしたことがありました。近くの園の職員にみんなで来てもらって、まず、私の園の職員が「異年齢児保育を導入しようとしている保育園の職員役」、近くの園の職員が「異年齢児保育を導入すると園から言われた保護者役」になって、ディベートをします。「こんな理由で、異年齢児保育を始めます。」「このように移行していきます。」というと、「では、3歳児は、5歳児にいじめられませんか?」とか、「5歳児は、3歳児に引っ張られて幼稚になりませんか?」「子ども一人ひとりを見ていけるのですか?」と心配をぶつけます。そして、それに答えていきます。保護者対応のシュミレーションの意味もありますし、異年齢児保育の意味の確認にもなります。とても面白かった印象があります。このような研修を、園内でやってもいいですね。しかし、本当は、もっと、他園との園児、職員の交流、保育の見合い、意見交換などが必要です。でも、近くほど難しいですし、同じ理念を持っているなど、共通の基盤がなければなりません。そんなことで、今、各地で、「見守る保育」という共通の基盤、「新しい異年齢児保育」という共通課題を持った園が集まりはじめています。そのひとつが、石川県でも起きてきました。
 午後は、私への質問です。話した後に、「何か、質問のある人?」と聞くと、ほとんど何も出ません。私もそうですが、聴きたいことはいっぱいあるのですが、答えを聞きたいより前に、質問内容をみんなに聞かれることが恥ずかしいのです。こんな質問の答えは、みんなは、とっくに知っているだろう。こんな質問は、なんか場違いではなかろうか。この質問の答えは、話の中で 言ったかもしれないと思うのです。しかし、「みんなで話し合いながら質問内容を出し、それを昼の間に紙に書いて、提出してください。」というパターンが、たくさんでます。今回は、そのやり方でしたから、それは、たくさんでました。その内容を見たとき、いつもまず第一に思うことは、「こんな質問だったら、私だって、答えを聞いてみたいよ!。」と思います。次に、「これに、明確な答えがあるのだったら、とっくに保育の世界や、教育の世界のいろいろな問題は、解決しているだろうに。」と思います。そして、少し冷静になって、「現場は、ずいぶん悩んでいるのだなあ。」「どの本を読んでも、誰の話を聞いても、問題は解決していないのだろう。」と思います。そして、気を取り直して、平気な顔をして、質問に答え始めるのです。そして、答えながら、「これでいいのだろうか?」という思いが絶えず頭の中でぐるぐる回ります。しかし、やはり気を取り直して、「私がぐらついたら、聞いている人も迷ってしまう。」と思うのです。これは、講演のあとの質問だけでなく、どの園長も、職員や保護者から質問されたときに思うと思います。きちんとした対応ができるためにも、私たちも、研修が必要かもしれません。

投稿者 fujimori : 21:14 | コメント (1)

2005年10月01日 由来

きっかけ

今日、千歳から羽田までの飛行機に乗りました。到着したゲートは19番。そこで、小松空港行きに乗り継ぐために、出発ゲートを見ると、なんと19番。そうです。千歳から羽田に乗ってきた同じ飛行機で、今度は金沢へ。席もふたつずれているだけです。そのまま乗っていたい気分です。とりあえず一度外に出て、準備ができたので乗り込んだら、なんと、添乗員も同じです。添乗員も気がついて、「さっきも乗っていましたよね。」と言われました。添乗員は、どんなローテーションをしているのでしょうね。最近、保育園のローテーションが複雑になって困っていますが、もっと複雑なのでしょうか。よく、私が、千歳から金沢というと、「タフですね。」といわれますが、添乗員は、もっとタフですね。しかも、私は座っているだけですが、添乗員は、常に歩き回っているのですから。私は、それを見るたびに、申し訳ないのですが、「こんなにハードで、生産性の何もない職業が、何でこんなに人気があるのだろう。こんなきれいで、優しい人が、こんな大変な仕事について、飲み物をただ配っているだけでは、もったいないのに。」と思ってしまいます。それに比べて、なんと、保育者という仕事は、明るい将来に向けて、人材を作るという、生産性ある、最も重要な仕事であると思わざるを得ません。しかし、感じ方や、その職業を選ぶ観点が一人ずつ違うので、世の中、よくできているなあと思います。
 同様に、各地に行くと、そこに住んでいる人は、何でこの地を選んだのだろうと思ってしまいます。かつて、保育園の駐車場のライトの上に、ツバメが巣を作ろうとしたことがありました。途中まで作りかけたのに、夜になると電気がついて、その場所が熱くなるのであきらめたのですが、一生懸命、つがいで巣を作っている姿を見て、どうして、ここに作ろうと決めたのだろうか。夫婦で、ここがいいと話し合いをしたのだろうか、オスかメスが提案をして、もう片方が合意をしたのだろうか、夫婦どちらの意見が強いのだろうか、それとも、何も考えないで、昨年もここに作ったから今年もここと思ったのだろうかなどと考えてしまったことがありました。
今日、宿泊しているホテルは、加賀百万石の繁華街の中心の,香林坊にあります。中心部になったのは、位置として、兼六園、金沢城址、武家屋敷、寺町寺院群の間の中心にあたり、昔から人が集まりやすいところであったからなのでしょう。香林坊という地名は、元、朝倉氏の家臣であった香林坊という人が、朝倉氏滅亡の後、比叡山延暦寺の僧になっていたのですが、同じく朝倉氏の元家臣で金沢城の近くで薬屋を営んでいた向田家に養子に入るために還俗して、目薬屋を始めたところから由来するようです。
何がきっかけで、そこにすむようになり、何がきっかけでその職業をすることになったかというのは、ほんの偶然かもしれませんし、与えられた「天命」であるのかもしれません。

投稿者 fujimori : 23:52 | コメント (0)