窓からの景色

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 今日、園内研修に伺ったのは、中野富士見町にある園です。全国に、「富士見」とつく町や村が多いと思いますが、それは、そこから富士が見えるからでしょう。有名なところとしては、長野県の「富士見町」です。ここは、中央線に「富士見」という駅があり、富士見高原を控えています。このあたりは、氷河時代からの遺跡があり、古代の人が暮らしていたようです。また、この八ヶ岳一帯は、日本中の矢尻に使われていた「黒曜石」がとれるので、遺跡があちらこちらにあります。このように地域はかなり古いのですが、地名としての「富士見」はそれほど古くなく、戦国時代のようです。確か、中央本線の中で、最も標高が高い駅だったような気がしますが、江戸時代も、甲州街道沿いだったので、宿場もあります。もちろん、そこ(富士見町のどこかわかりませんが)からは、富士山がよく見えます。あと、埼玉県に「富士見市」があります。ここは、昭和31年に富士見村として名前を決め、発足しているので、特に由来はなく、当時、単純に富士が見えるからということで決めたのでしょうが、富士見市は、日本全国探しても、ここだけのようです。村になると、群馬県勢多郡(せたぐん)には、富士見村があります。赤木山のふもとのようです。今はわかりませんが、このあたりからも富士山が見えたのでしょう。また、駅名検索で、「富士見市」「富士見村」という駅名で検索すると、どこにもないと出ますが、「富士見町」と検索すると、2箇所出てきます。神奈川県と、鳥取県が出てきます。神奈川県は、鎌倉市にある駅なので、当然そこから富士山は見えるだろうと思いますが、鳥取県の富士見町駅は、米子にありますので、富士山は見えるはずはありません。どうして、そんな名前をつけたのでしょうね。たぶん、そこから見える山か何かが、富士山に似ているのでしょう。駅名でないと、全国には、富士見町はかなりあると思います。私の住んでいる隣町にも、「富士見町」があります。何かの特集で、全国の富士見町のなかで、どこまで富士山が見えるかをやっていました。昔は、かなり遠くまで見えていたようです。今は、大気汚染だけでなく、建物で見えなくなっているところが多いようです。この写真は、私の寝室から見える景色です。朝、窓のカーテンを開けると、晴れていると、このように富士山が見えます。毎朝、この富士山を見るのが楽しみです。四季折々、姿、印象がかわります。山頂の雪や、周りの雲の具合なども変わります。ただ、最近は、できたビルのせいで、半分しか見ることができません。また、保育園からも富士山を見ることができます。ただ、山頂付近だけですが。
このように、朝一番に見る景色は、人によってちがいます。地上階で目覚める人と、マンションの何階かで目覚める人では、朝一番に窓から見える景色は、人によって、ずいぶんちがうと思います。子どもにしても、普段見ている高さがちがうことが、その子の育ちに影響している気がします。大学生のころ、高層住宅の中の塾でバイトをしていたとき、そこに住んでいる子どもたちが我が家に遊びに来たとき、近くの切通しに連れて行きました。そこには、高い位置につり橋が架かっていたので、そこをわたらせてみたところ、第1感想は、「わあ、高いなあ。」ではなく、「うちと同じくらいの高さだ。」でした。日常、窓から外を見ている高さだったのですね。高島平の高層住宅の子どもが、何10階の高さで、隣のビルに飛び移っていることが話題になりましたが、高さに対しての感覚が麻痺してくるのでしょう。生活のGLがどの高さかが、心に影響していないか心配です。

相模原公園

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 今日は、神奈川県立相模原公園に行きました。この公園は、平成4年に「第9回全国都市緑化かながわフェア」の会場になって以来、 整備され、市民がかなり多く利用しています。このなかには、花々が噴水を縁取るかのように咲く「虹の花壇」や、「水無月園」(その時期には、約26,000株のハナショウブが咲き競うようです。)などがあり、四季を通じて花が絶えることはありません。また、この公園のシンボルである「かながわグリーンハウス」は、大きな温室で熱帯植物が観賞できる(今は、胡蝶蘭が咲き誇っていました。)ほか、大アクアリウム、 映像ホール、ギャラリーなど、多彩な施設が揃っています。今日もちょうどよい気候だったために「芝生広場」では、たくさんの親子連れが訪れ、池には、カルガモが泳いでいました。ちょうど今の季節は、けやきの並木が、一本一本皆色が違い始めました。早い木ではとても赤くなっている木もあります。紅葉の季節の幕が上がり始めました。このけやきは、相模原市の市の木でもあります。そのほかにも、かなり市や町の木としているところが多いようです。それは、本州・四国・九州の各地に自生するからでしょう。八王子を通過している甲州街道や五日市街道などでも、けやき並木が多く見られます。特に、関東では、屋敷林の重要な樹木です。けやきの材は黄褐色で材は堅いのですが、加工性も良く、木目も美しいうえに、湿気にもよく耐えます。強度もあり、寿命も長いので、大径材も多いため、古くから建築(とくに社寺建築では、柱には欠かせません)、家具、楽器(太鼓)、漆器木地、家具など幅広い用途があり、日本の広葉樹で最上と言われています。ですから、公園樹や、街路樹にも多く使われます。(しかし、街路樹に使われ始めたのは、最近のようです。)今は、漢字で「欅」と書きますが、その由来はよくわかりません。昔は、「槻(つきの木)」と書いたようで、「つきけやき(強い木の意味)」ともいい、木目が美しいところから「異(け)やけき木」と呼ばれ、「けやけし」=他のものより目立っている)、「けやけきき」→「けやけき」→「けやき」と変化していったようです。その歴史は古く、古来から銘木とされ、古事記にも出てきますし、いろいろな名作にも出てきます。京都東山の清水寺の舞台は、数十本のけやきの柱で支えられていることで有名ですね。
 日本では、季節を感じるのに、花が咲くことで感じるほか、木々の紅葉で感じることができます。また、紅葉ほどきれいでなくとも、木々の葉の枯れ具合でも季節を感じます。枯れることでも感じることができるのは、日本くらいかもしれません。「枯山水」というように、「水」を枯れさせることで、実態としての「水」以上の存在を感じる精神は、究極の日本美のような気がします。そんなことを、初冬の公園から感じることができますね。

人の出会い

 今日は、大学の文化祭に行ってきました。昼から、あのキティーちゃんをデザインした「山口裕子さん」と私の大学生の娘のトークショーがあったからです。そのなかで、山口さんが、仕事に取り組むときに大切にしていることは、「何でも知ろうとする探究心。常にアンテナを張り巡らせていること。」と言っていました。一見、デザインの仕事をしている人なので、「オタク」のようにみえますが、やはり、あれだけの有名なキャラクターをデザインするためには、いろいろな人にあったり、いろいろなことを見たり、聞いたり、また、お客の意見を聞いたりしているようです。
 そのあと、妻の友達からチケットをいただいたので、上野の東京文化会館に「イタリア*音楽紀行」―オペラが乱舞―を聞きに行きました。私は、あまりオペラは普段は聞きませんから、眠くなりそうだと思っていました。しかし、曲がとてもポピュラーだったこともあって、聞き入ってしまいました。「椿姫」では、「あの美しいプロヴァンスのふるさとへ帰ろう。」と歌うのを聞きながら、昨日まで行っていた、あのプロヴァンス風の園舎造りの「高岡ほうりん保育園」を思い出していました。しかし、そんなことより、このオペラを聴きにきて驚いたのは、出演者がメゾソプラノが「玉敷やよい」さんで、バリトンが「蓮井求道」さんでした。蓮井さんは、2週間前に滑り台から落ちて、足を骨折してしまったそうです。それを押して、手術をして、今日出演していました。会場のみんなは、なんで、滑り台から落ちたのだろうと思ったのではないでしょうか。それは、蓮井さんは、現在、現役の保育園の園長先生だからです。福岡県にある「みのり保育園」の園長であり、浄土真宗大谷派興隆寺の住職さんでもあります。確かその園には、お寺なのに、ピッツァを焼く釜があったと思います。また、彼は、皆さんのなかで覚えている人がいると思いますが、私が、はじめて経営強化委員会で分科会を室田さんと二人で担当したときに、その分科会に参加していて、その分科会からの提案で、経営セミナーMLを立ち上げたのです。そのときの参加者が、ギビングツリーのメンバーにもいると思います。不思議な出会いです。
 昨日、帰ってくる新幹線の中の雑誌にこんなことが書いてありました。
「人は、人と会うことで知恵と力を授かり、大きな仕事をなす。シャープ相談役の辻春雄氏は、社外内の人との交わりから新しい発想を見出し、同社を世界に名だたる企業に至らしめた。―略― 使命感と誠意を持って相手の懐に飛び込んでこそ、情報を引き出せる。そんな付き合いを通じて人は成長する。ということで、次のようなことを言っています。「人は刺激しあうことで成長できますから、そういうネットワークを広げることが自分を大きくする。本来、日本社会は個人主義じゃない。協創こそ、日本の得意技のはずです。」―略― 人と会うことが軽んじられる社会になりつつある。たとえあっても、うわべだけの付き合いに終始するきらいがある。人と会うとき、辻のように使命感を持っているか、誠意を持って懐に飛び込もうとしているか。それは確かに骨が折れよう。しかし、そうして付き合った人こそが、自分の器を大きくしてくれるのである。」(WEDGE11 トップランナー)

写真

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 今日は、研究保育の二日目でした。ドイツでの夜の研修と同じ方法での研修をしました。昨日、参加者は、ほうりん保育園、高岡ほうりん保育園をそれぞれが見学しながら、写真を撮っていましたが、それぞれの人は、どの場所で、どのように思ったからその写真を撮ったのでしょう。気に入ったところ、気になるところ、参考にするところ、園に戻って職員に伝えようとするところなどの写真を撮っているのでしょう。そこで、何人かの人に、その人が撮った写真を見せてもらいました。(今は、デジタルカメラで撮っているので、フイルムの代わりにカードを借りると、パソコンから映写できます。)そして、自分は、何でその写真を撮ったかを説明してもらいます。たとえば、同じ保育園の職員でも、園長が撮ると何を撮るのか、保育士だったら何を撮ったかを比較してみると、とても面白いものです。また、自分では気がつかない観点に、気づかされることも多くあります。そんな研修でした。
 それを見ながら、私は、写真の不思議さを感じていました。実際の目で見ているときは、見ている対象は、時のなかで流れています。それを切り取ってみたときに、新しいものがみえてきます。まず、子どもとか、人の表情は、必ずその表情はどこかではしているのでしょうが、写真では、始めてみる顔の表情を発見することがあります。また、実際に見ているときは、見ている対象は絞られますが、写真で見ると、その周りも見えてきます。たとえば、実際には、保育士の行動を見ていて、それを写真に撮ると、それを見ている子どもの顔がわかります。また、写真は、本物を撮っているはずなのに、本物でないと思うことがあります。逆に、偽者をとっても、本物のように思ってしまうこともあります。そんな写真の不思議さを表現した写真展を見たことを思い出しました。それは、森美術館で、レオナルド・ダ・ヴィンチ展と同時に見た、杉本博司氏の「時間の終わり」という写真展です。杉本博司(1948年生まれ)氏は、この30年間に世界のアートシーンにおける有数のアーティストとしての地位を確立してきました人です。彼の写真は、最初はよくわからなかったのですが、順に見ているうちに、また、途中でそれを解説した映像を見て、なんとなく意図したことが見えてきました。彼の、その時間、場所、文化や歴史を通して、物事の本質を追求する独自の視点は、つねに国際的な注目を集めています。展覧会には、こんな作品が並んでいました。映画1本分の長時間露光による「劇場」、世界中の水平線を撮り続ける「海景」などです。そのなかで、わかりやすいものに「肖像」シリーズがあります。これは、名画を蝋人形にして立体化し、それを再度、絵画と同じライティングをして撮った写真です。あたかも、生きている人をその時代に撮影したかのような錯覚をします。また、「建築」シリーズも面白いものでした。設計家が、建物を設計するときに、まず、頭の中で、建物のイメージをします。そのイメージした映像は、あたかも完成された建物をぼかして撮ったものに近いのではないかということで、建物をピントをずらせて撮った写真です。写真というのは、なんとも不思議なものですね。

研究保育

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 今日から、三重県のほうりん保育園、高岡ほうりん保育園での研究保育が始まりました。朝早くから保育実践を見た後、午後それぞれの保育についての説明と、会場から参加者を募って、パネルディスカッションです。参加者は、みんな実践をしている人ばかりなので、悩みを共有し、感動を共有し、新しい発見をしたようでした。また、夜の懇親会は、それぞれの園の自己紹介をはさんで、情報交換会です。今回は、1園だけですが、幼稚園からの参加もあり、とかく狭くなりがちなこの世界に少し、広さを持たせてもらった気がします。それ以上に、園長の話で面白いと思う部分は、それぞれの園長の経歴がさまざまであるということです。たとえば、教員の集まりでの話は、ほとんどの教員は、教員しか経験がありません。校長の集まりにしてもそうです。また、出身大学にしても、基本的には、教育学部です。それは、幼稚園の園長でもほとんどそうです。それは、資格が必要だからです。その点、保育園の園長は、特別な資格が要りません。そのために、よく、保育園の園長は専門性がないという言い方をされますが、逆を言えば、幼児の世界をさまざまな角度から見ることができるということになります。私も、保育士の資格はありません。大学は、建築学科ですし、職歴は、小学校教員です。そして、今は、幼児教育とかかわっています。そのために、私は、保育という仕事を、ただの幼児教育とは捉えないで、人間としての行き方、社会のあり方として捉えます。
 昨日、ホテルの部屋に届けられた「日本経済新聞」にこんな記事がありました。
学校変える異色指導者」―自治体、教育委などに起用― 犯罪の低年齢化、不登校、フリーターなどの学校を取り巻く課題は尽きない。自治体では教育現場に新風を吹き込んでもらおうと、有名作家や元個性派教師、気象キャスターなど異色の若手指導者を教育委員などに採用し始めた。彼らの“熱い思い”は改革へとつながるのか。」と投げかけています。今、子どもの身におきているさまざまな現象、事件、その解決策は、かつての概念、考え方、方法だけからでは生まれてきません。この記事の中で、その例として、ベストセラー「五体不満足」で知られる乙武さんは、子どもと接する中でこんなことを言っています。
「お互いの違いを認める、教育のなかで大事な部分を体験してもらえたと思う。むしろ気になるのは、教室正面の額縁の中にある言葉という。明るい子、考える子、丈夫な子がベストスリー。でも、本当に明るい子がよいのだろうか。暗い性格も立派な個性。それを認めず、「明るい子」を押し付けることが子どもたちを苦しめると懸念する。」 そのような言葉は、教員だけを歩んできた人からは、なかなか出ないような気がします。もっと、社会を広く知り、さまざまな立場の人の言葉にも耳を傾け、総合的に子どものことを考える必要が、今こそ必要な気がします。

権利と義務

 明日から、三重県のほうりん保育園での研究保育が始まります。そこで、三重に前日入りをしたのですが、その前に、午後、「埼玉県保育士秋の研修会」に参加するために、まず、浦和に向かいました。その行きの電車の中でこんなことがありました。ある駅で、お年寄りが一人乗ってきました。その電車はとても空いていて、そのお年寄りが乗り込んだ周りの座席は誰も座っていません。しかし、そのお年よりは、そこに座らず、車内を歩き出しました。どこに行くのだろうと思って見ていると、ずっと端まで歩いていき、そこの優先席に座りました。優先席は、3人がけで、もうすでに2人座っています。そこに座ったのですが、かなり狭そうです。他は、ほとんどがらがらなのに、そこに窮屈そうに3人で座っています。とても、律儀だとは思いましたが、どうも、年寄りなので、ここに座るのが「義務」だと思っているのかなと思いました。この優先席は、ここに座ることが必要な人にとって、座る「権利」があるということなのです。
 よく、「義務教育」というときに、こんなことが言われます。義務教育というのは、子どもが学校に行くことが義務ということではなく、大人が、子どもを学校に行かせる義務があるということで、子どもにとっては、学校に行くことは、権利であるといいます。(今は、親の中に、行くのは、権利なので、行かなくてもいいということをいって、行かせるという義務を怠っていることが多いようですが)権利と、義務は、なかなか難しいですね。
 近くの学童の指導員にこんな話を聞きました。(この学童は、はじめ運営委員会での運営でしたが、途中から、社協に移管しました。)お昼になると、休憩をとるように言われるそうです。そして、職員室に入って、一歩も外には出してくれません。子どもたちが呼びに来ても、「今、休憩中だから、みんなとは遊べないから。」と言って、会わせてくれません。自分にとっては、子どもと一緒にいるほうが、休憩になるからといっても、だめで、さびしく一人で、職員室で食事をしていると嘆いていました。そのとき、私は、休憩時間は、それをとる権利があり、とらなければいけないという義務ではないのではないかといってみました。あとで、そう言ってみると、社協の組合の人に、「いや、休憩は、義務です。せっかく獲得したものなので、それを使うことは、義務です。使わないといけないのです。」と言われたそうです。せっかく勝ち取った権利に、今度は拘束され、生活がより窮屈になるようなことはなんだか変だなと思います。権利にしても、義務にしても、私たちが生活をしていく上で、お互いが心地よく、自分ながらの生き方をするために必要なものであって欲しいですね。

授賞式

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 今日は、グッドデザイン賞の授賞式でした。会場に向かうタクシーの中で、ふと前を見ると、目の前にボックスがぶら下がっており、そこには、ハンカチを片手に持って、手を振っている絵といっしょにこんなコピーが書いてありました。
「さらば、ダメ園長。」あせって、そのボックスに入っている小冊子を手にとってみると、その表紙に書いてあるのは、「犯人は、園長です。」その下に小さい文字で、「脳がくるくる働かない園長の思考停止こそ、保育が停止する原因。成長を妨害する犯人は、園長です。」とあります。1ページ目を開けると、「その1、最悪のさぼり屋は、園長の脳ミソかも。」あせりました。目をこすってみると、園長ではなく、社長と書いてありました。「その2、社長は、目をつぶって経営しています。」市場にも、自社を取り巻く戦況にも暗い。よく見えていない。「考える時間が足りない社長ほど、汗と努力が足りない!と社員のせいにします。理系の発想がない経営は、つぶれます。と続く小冊子は、会場に着くまでの間、読み応えがありました。
 そのうちに会場に到着しました。前回もそうですが、賞をもらった人たちは、ただ受付で、賞状を受け取るだけです。何も、感激はありません。ただ、私がいつも感激するのは、そこに展示されている大賞候補作品です。今の時代のデザインをリードするものが、並んでいます。今年は、15点ありました。その中で、一つ、大賞をその会場で選ぶのです。賞を取った人も、1票を投じることができます。ベスト15には、もうすでに有名なものもあります。たとえば、アップルコンピューターのiPod shuffle という、デジタルオーディオプレーヤーです。ほかに、単1でも、単2でも、単3の電池でも、引き出しにあるどの電池でも使える懐中電灯とか、有名なデザイナーである深澤直人氏の加湿器などは、もうすでに発売されていて、昨年買おうと思った商品です。これらは、商品部門での受賞です。また、先日、職員旅行でみんなで行った「金沢21世紀美術館」は、建築環境デザイン部門から選ばれています。今度、私が受賞した「新領域デザイン部門」での金賞は、あの愛知博でも話題になった、トヨタグループ館出展の未来モビリティ社会デザインプロジェクトです。あの、奇妙な乗り物です。
 そして、それらのなかで、大賞を取ったものに対して、私は、少し感動しました。今年の大賞は、なんと、「注射針」でした。あのダイヤモンドなど宝石を入れるようなふたのついたケースに入っているのは、1本の注射針なのです。これが、今年1番のデザインなのかと疑いました。しかし、当然、ただの注射針ではありません。この賞品の説明には、こう書いてあります。
「糖尿病治療で使用するインスリン注射用針。世界一細い0.2mm。従来のものより20%細い。注射は誰もが嫌なこと。それを一日に数回もならなおさらである。現在糖尿病でインスリン自己注射を行っている患者さんは、国内でも60万人。インスリン注射を止めることはできなくても、その痛みを少しでも和らげることに貢献したいとの思いで世界一細い針に挑戦し製品化に成功した。」 
 これに、大賞をあげることに、納得しますね。

第6勘

 今日は、保育者採用試験日でした。各園では、採用方法についてさまざまです。できるだけよい保育者が欲しいのはどこも同じですが、何がよい保育者かというとさまざまです。たとえば、ピアノが上手に弾けることがいい保育者と思うところは、そのテストをするでしょうし、漢字力が必要であれば、漢字テストをするところもあります。また、あるところでは、高いところに掲示をする必要があるということで、脚立に上らせて、一番上に立って、手をたたくというのも聞いたことがあります。受ける側は、さまざまなところがあるので、面白いでしょうね。(本当は、緊張して、一所懸命かもしれません。)その点、私の園では、かなりいい加減です。というより、私はいい加減です。私の採用基準は、ほとんど、勘だけだからです。
私が教員のとき、通知表をつけるときにある試みをしてみました。すべて、成績を勘でつけてみたのです。A君を頭に浮かべます。そして、国語は、3、算数は、2というように、すべての教科を勘だけでつけてみたのです。そして、それを渡すときに保護者に、「私の通知表なんて、そのくらいいい加減なものだから、あまり信用しないように。」と保護者会で説明しました。(ただ、本当は、あとで、すべてのテストの平均点を出して、それと、勘の評価を比べてみたら、90%以上、正確でした。だから、「何だ、あんなに苦労して、いろいろなデータを出してつけても、勘でつけてもかわらないなら、大変な思いをしないで勘でつけよう。」と思ったのです。まあ、たった、3段階ですから。)しかし、「そんないい加減なことを、よく保護者が承知したなあ。」と、今になってみると思います。ただ、その代わり、所見欄は、あんな数行だけでは表わせないので、一人ずつレポート用紙1枚分にびっしり書いて渡しました。そこで、12月末に渡す通知表を、12月はじめから、数人ずつ毎日書いて渡したのです。子どもの評価を点数だけで表わすことは、どうしてもできなかったのです。
今、話題のライブドアの堀江氏は、クイズ番組の中で、どうしてその答えになるのかと聞かれ、「それは、単に勘です。私の人生の80%は、勘です。」と答えていました。当然、勘は外れることはあります。職員採用も、外れることもあります。しかし、その確率は、よく考えても、どんな試験をしても、なんだか同じような気がします。だから、5勘のほかに、6勘目の力をつけるようにしています。当然、6勘目は、5勘すべてをフル活用して生み出されるものだと思うからです。

レオナルド・ダ・ヴィンチ

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今、巷の話題は、ヒルズ族です。村上、三木谷、堀江等々。今日は、ちょっとヒルズ族の仲間入りをしてみました。といっても、六本木ヒルズに行ってきました。そこで、今、レオナルド・ダ・ヴィンチ展をやっているので、見に行ったのです。
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人類史上最も偉大な天才、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452?1519年)は、私と同じ4月15日生まれです。子どものころそれを知って、うれしくなったものです。今回の展示は、とても貴重なものだそうです。それは、研究の集大成として遺した直筆ノート「レスター手稿」が、日本で初公開されているからです。この「レスター手稿」は、いま、マイクロソフト社のビル・ゲイツ会長が所蔵し、一年に一度、一カ国だけしか公開されない手稿なのです。ですから、世界でも稀少な展覧会です。この趣向は、ローマの画家G・ゲッツィから英国の貴族レスター卿へ、レスター卿から米国石油王アーマンド・ハマーへと大富豪の手を渡り歩いたものが、現在は、あのビル・ゲイツ氏の手に渡り「ビル&メリンダ・ゲイツ氏個人所蔵」となっているのだそうです。それぞれの時代での金持ちがどんな職業かがわかりますね。
レスター手稿は、レオナルド・ダ・ヴィンチ晩年の手稿で、彼が生涯をかけて取り組んださまざまな科学的考察の集大成としてまとめられた極めて貴重な研究ノートです。500年前の最先端メディアである「紙」に、月の満ち欠けや天体の運動などの天文学、渦や波紋などの水の性質とその利用に関する水力学、そして地殻変動や地球の構造についての地球物理学などの考察が、鏡面文字で書き込まれています。鏡面文字で書かれているということにとても興味を持ちました。いわゆる鏡文字で書かれており、字だけでなく、そこに書かれている図もすべて逆に描かれています。ですから、それを読むのには、鏡に映さなければなりません。そのような特徴を持つ奇異な文字で書かれているのはなぜかというと、「暗号」ではないか、「印刷をするため」にそのように書いたとも、「彼が左利きだったため」等、今なお様々な説が論じられています。ダ・ヴィンチは、両利きだったそうで、また、天才であることを考えると、ただ、左利きだったというのは、単純すぎるように思います。レスター手稿は72ページから成りますが、彼は、ここに記されたさまざまなことは多分野にわたり、先見性と独創性に満ちた考察が、次から次へあふれ出てくるのを受け止めるのが大変かのように熱気あふれんばかりに記されています。その中で、月の光の起源、天体における重力の影響など、ガリレオやニュートンの先駆ともいえる探求は、近代の幕開けを告げるものでした。彼は、川の流れを見ていても、月を見ていても、化石を見ていても、そこに物事の真理を見ようとしていたようです。同じものを、同じように見ていても、そこから何を感じることができるかで、天才を作るものなのですね。

過剰育児パート2

 10月18日のブログで書いた、1963年の「暮らしの手帳」の続編です。
「勤勉な日本人の女性である母親は、いま、育児知識をきわめて貪欲に摂取して、これを自分の子どもに実行することを天職としてやりはじめた。子どものころから、少しの間も目を離さない母親が、普通の家庭のなかに続々と出てきたのである。子どもは密室の中で監視され「育児」されることになった。
 この時代の過剰育児は、今の時代に見られるような少子化が原因ではなかったようです。家の周りに子どもの遊び場がなくなり、道は車で危なく、子どもを外に出せない。そして、家で、漬物や煮物もしなくなり、衣服の繕いもしない。掃除、洗濯、風呂の沸かしなどが楽になり、育児に全エネルギーを注げるようになったということのようです。今は、子どもが少なくなり、子どもは地域に出ても他の子どもと接することはできず、兄弟は少なく、結局は、密室育児なっています。
子どもを預かってくれる施設である保育園がなぜそんなに少ないのか。子どもを家庭以外のところで保育することが、現在の日本で教育上必要であると国家が認めていないからである。家庭では子どもを育てることができないと国家が認めた家庭の子どもだけを、国家が昼間だけ一時預かりするのが保育園である。それが、教育でない証拠に、保育園を監視しているのは文部省でなく厚生省である。子どもの虐待を防いだり、捨てられた子どもの世話をする児童福祉法という法律に基づいて保育園は運営されている。―略― 名は保育園になったけれど、国家の考えは戦争前の託児所とあまり変わっていない。」
 国家だけでなく、保育園のなかには、いまだに託児所だと思っている園があるような気がします。今は、子どもにとって、教育上必要な施設です。それは、この記事のリード部分にある「今の子どもたちを、いわゆる過剰育児から守るためにこそ、保育園がいるのである。」ということです。過剰育児というよりも、今は、子どもへの母親の過干渉が問題になりつつあります。この過干渉は、学級崩壊を生み、キレる子を育て、勉強への意欲のない、仕事への意欲のない(ニート)若者を生み出してきているのです。今こそ、次世代を担う子どもたちを育てる園への転換が必要です。