苫小牧と八王子

 今、支笏湖温泉にいます。支笏というのは、奇妙な名前ですね。もとは、アイヌ語で「シ・コッ(大きな窪地)」と呼び、つまり最初は支笏湖を指す名前ではなかったということなのです。松前藩によると、もっと広範囲が「シコツ」のエリアとされていて、千歳だけでなく、苫小牧や鵡川方面までもがその範囲でした。そのときの漢字表記は「志古津」(シコツ)。 しかし、江戸時代の1805年のこと、「シコツ」だと「死骨」を連想し、縁起が悪いので改名することになり、「鶴は千年」にちなむ逆に縁起の良い「千歳(ちとせ)」と名づけて今日に至っているそうです。河川名も「千歳川」になりましたが、支笏湖にはそのまま名前が残っています。
という訳で、支笏湖は、苫小牧の近くでもあります。苫小牧というと、「パルプ」を思い出しますが、なんと、私の住む八王子市と姉妹都市なのです。それには、こんな経緯があります。
徳川幕府は甲府との境にあった八王子を、関東入国に際して、甲斐・武蔵の国境警備の重要拠点、敵の侵入を阻止する重要な砦と考えました。この警備に武田家の遺臣250人を落城後間もない八王子城下に配したのでした。(この落城物語が絵本になっています)そして、徳川家康が江戸城を築城するにあたり、甲州との国境にあり、重要な逃走路となる八王子周辺の多摩地域に、在郷の武士団を配置して平時より警備にあたらせていました。その武士団を、「千人同心」といいます。身分は武士なのですが、通常は高持ちの百姓として、耕作にあたっていました。千人同心は当初の甲州境の警備だけでなく、のちには日光の東照宮の警備(火の番)や、江戸城や大阪城の修理などの活動も行いました。そして、「寛政12年(1800)に武州八王子から北辺の警備と北海道開拓のために未開の勇払原野に移住し鍬を振るいました。このことが本市開拓の第一歩となりましたが、厳しい気候条件などで不毛の原野の開拓は思うようにまかせず、多くの犠牲者を出し、入植4年目に開墾地を離れました。しかし先人たちのこのような筆舌に尽くし難い苦労が、200年を経た今日の苫小牧の礎となっています。」と、苫小牧市のホームページに記されています。現在ではこの縁で,日光市(栃木県)・苫小牧市(北海道)とは姉妹都市になっているのです。また幕末には長州出兵や横浜警備なども行っています。江戸幕府が安定すると,八王子千人同心の中から医師,文人,思想家などの多くの学識者を輩出し地域に文化的な影響を与えました。幕末、テレビの「新撰組」で有名になった新撰組6番隊隊長井上源三郎は、千人同心でした。今、千人同心の住んでいた屋敷跡には碑が建ち,その一帯は「千人町」という地名がついています。
各地を歩いたとき、その土地の由来を知り、それが身近かな関係であることを知ることは、ひとつの楽しみですね。

苫小牧と八王子” への8件のコメント

  1. 藤森先生のブログ楽しみに読んでいます。
    今日の八王子市千人町の話興味深くよみました。
    30年近く前初めて親元をはなれ学生生活を送ることになった時
    下宿したのが八王子市千人町でした。
    確かJR中央線の西八王子駅の近くですよね。
    どんな場所にも歴史があり人々が暮らしを紡いでいたことを知るのはわくわくしますね。先日高麗の話もお書きになっていましたが、ここも、私にとって懐かしい場所です。学生時代、たびたび日和田山の岩登りのトレーニング場にかよっていました。
    何十年の時を飛び越えてしばし思い出にふけってしまいました。

  2. 藤森先生の博識には驚嘆します。しかも勉強になります。温故知新。それにしても支笏湖温泉に帰ってからのブログ執筆。やはり驚き桃の木山椒の木です。

  3. 藤森先生、臥竜塾開設おめでとうございます。
    私も30年前、八王子市大和田町の住人でした。
    数年前、省我保育園を見学した際、私の住んでいたアパートの
    あったところを通ってすごく懐かしかったのを思い出しました。今こうして藤森先生の理念を広めるお手伝いができることをひそかに誇りに思っています。
    毎日ブログを書き続けるのは大変でしょうが、
    しっかり読んでいきますのでよろしくお願いします。

  4. 離れた土地であっても、このように長い時間をかけてつながりができていくということがあるんですね。そしてそのつながりをこうして確認することは、地域を歩く楽しみの1つだと思います。知らない土地を歩く際、その土地の姿を見るだけでなく、背景にあるものにまで目を向けることで、更なる広がりを楽しめることは覚えておこうと思います。

  5. その土地にはいろいろな歴史があるのですね。「ブラタモリ」を見ていてもその地の歴史の面白さに惹き付けられます。自分の地元でもまだまだ知らない歴史があるんでしょうね。いや、たくさんあると思います。もう少し、地元にも興味を持ってみようと思います。

  6. 調べると、「文化交流や親善を目的とした地方同士の関係」を“姉妹都市”と言い、姉妹都市提携の契機としては、「共通項(自然、歴史など)の発見」がもっと多くあげられるそうです。共通項といった、背景にあるものが同じだと、人は嬉しくなり、つながりを持ちたいと感じるのですね。現時点でのつながりも気になりますが、将来、自分にはどんなつながりができていくのかを、今から考えただけでもなんだかウキウキしてしまいます。

  7. 何かに導かれるように、藤森先生の訪れる場所には縁があるようですね。藤森先生のブログを読んでいく中で、自分が住んでいる場所、働いている場所、行ったことがある場所、これから行きたい場所など、場所と場所がつながる経験がこれから僕にもあるのだと思うようになりました。
    東京は立川で生まれ、立川で育ち、立川生まれ立川育ちの妻と出逢い、結婚をしました。最近のことで言えば、立川に縁を感じている今日この頃です。地産地消という言葉があります。自分の祖父が立川で店を開き、父が継ぎました。僕は、寛大な父のもと、自分の道を歩いています。自分の道がどこへつながっていくのかと考える中に、自分の生まれ育った場所が何かのヒントをくれることは、間違いないことだと思うようになりました。

  8. 支笏の読みかたを知るという所から、始まりました。文字には、その土地の由来や意味があることを知ると、その場所のことを深く知ることができるのですね。藤森先生のブログを読み、自分が普段は目を向けていない所に気づき、それらを保育に繋げる楽しさを知ることができます。これから読み進めていくなかで、様々なブログと出会い、保育の大切さを学んでいきたいと思います。

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