江戸の子育て

 昨日は、アメリカの古きよき時代の親子像を描いた映画を見ました。そういえば、日本のよき時代の親子像を書いたものがありました。
 外国との交渉も持たず、安定した政権の中で庶民が過ごした江戸時代が終わろうとしたとき、そして、新しい明治という時代が始まったばかりのとき、さまざまな外国人が日本を訪れています。その人たちからすると、日本はかなり神秘の国だったでしょう。そして、日本の子育て、教育をどう見たのでしょう。それが「江戸の子育て」(中江和恵著)の序の部分に書いてありました。
イサベラ・バード(イギリス婦人):「私は、これほど自分の子どもをかわいがる人々を見たことがない。」「子ども崇拝は米国よりも日本の場合がもっと一般的である。私が思うには、日本の形式が最もよい。」
モース(アメリカ人):「世界中で日本ほど、子どもが親切に取り扱われ、そして子どものために深い注意が払われる国はない。」「小さな子どもを一人家へ置いて行くようなことは決して無い。」
オールコック(イギリス初代駐日公使):「ここには捨て子の養育院は必要でないように思われるし、嬰児殺しもなさそうだ。」
フィッセル(オランダ商人):「私は子どもと親の愛こそは、日本人の特質の中に輝く二つの基本的な徳目であるといつも考えている。このことは、日本人が、生まれてからずっと、両親がすべてを子どもたちに任せてしまう年齢にいたるまで、子どものために捧げ続ける思いやりの程を見るとはっきりわかるのである。」「日本人は、子どもたちの無邪気な行為に対しては寛大すぎるほど寛大であり、手を打つことなどとてもできることではないくらいである。」
ゴロヴニン(ロシア海軍少佐):「日本人は自分の子弟を立派に薫育する能力を持っている。ごく幼い頃からの読み書き、法制、国史、地理などを教え、大きくなると武術を教える。しかし一等大切な点は、日本人が幼年時代から子弟に、忍耐、質素、礼儀を極めてたくみに教え込むことである。」「日本人は天下を通じて最も教育の進んだ国民である。日本には読み書きのできない人間や、祖国の法律を知らない人間はひとりもいない。」
ニコライ(ロシア領事館付主任司祭):「読み書きができて本を読む人間の数においては、日本はヨーロッパ西部諸国のどの国にも引けを取らない。」
大げさであったり、一部しか見ていない感はあるものの、この頃の庶民の暮らしを見ると、納得する部分もあります。今でも、冷静に考えてみると、世界の中では、日本という国は、このような国かもしれません。

江戸の子育て” への6件のコメント

  1. そう言えばこの頃から江戸時代の子育てについて書いておられたんでしたね。あの時代の日本がどのように見られていて、そして日本人とは本来どのような民族であったのか、深いところから考え続けてこられたからこそ揺るがない軸があるんでしょう。そのまんまその頃にかえることはできませんが、学ぶことはできますね。

  2. 子ども中心に生活があったということが伝わってくるようです。自分を客観視することはとても難しいことのような気がします。だからこそ、自分の住んでいる国を客観的に見ることもまた、難しいのかもしれません。だからこそ、外国の方の意見というのはきっと日本を客観的に見てくれているものなんだろうなとも思ったりします。そのように、自分ではない他者からの意見にも丁寧に耳を傾けていきたいなと思います。

  3. 日本の子育てが、世界に誇れるものであったことが伺えますね。そこには『子ども中心の生活』が存在していたからであると感じます。幼い頃、親戚や近所の友人たちと集まる際、必ず子どもが話の話題になっていましたし、席も子どもたちを囲むようにして、楽しげな会話を繰り広げていた記憶があります。子どもは、自分の話をされて、照れくさいのか、嬉しいのかで、いつもよりテンションが高まっていたことでしょう。そのような経験があるからこそ、大人になってからも、自然と「子ども中心」に生活が行われていたのだと感じました。

  4. 心ある教育者は今でも「子どもが真ん中」と仰います。「子どもが真ん中」なのに乳幼児施設や学校では大人がいつでも真ん中、です。「担当制」、これは大人主導のシステムなのに、これによって「子どもが落ち着く」「自尊感情が得られる」としています。「日課」、これも専門的指導を受けた教師という大人中心のシステムです。私は「担当制」や「流れる日課」は脳の臨界期を超えた10歳以降に行われるべきだと思っています。なぜなら、脳の臨界期以降の子どもたちは興味関心が細分化し、よってその興味関心を促進してくれる「担当」の大人が必要だからです。自らをコントロールできるようになったら自分で一日を流れを構成し「日課」とすることができるからです。さて、幕末維新の頃の日本の子育て、たとえば「これほど自分の子どもをかわいがる人々を見たことがない。」、これは私たちの子育てそのものです。「親バカ」と言われます。「子どもが親切に取り扱われ、そして子どものために深い注意が払われる」ているのは私たちの園ですね。「子どもたちの無邪気な行為に対しては寛大すぎるほど寛大」・・・これはどうでしょうか。「忍耐、質素、礼儀を極めてたくみに教え込むこと」・・・これは形式的には存在しますが、実質は最早存在しません、欧米化の結果です。「祖国の法律を知らない人間はひとりもいない。」・・・これは???。「読み書きができて」・・・これは今も世界トップレベルでしょうが、将来的にはどうなのでしょう?読み書きも強制されているようでは、やがてダメになるでしょうね。将来の日本社会にもっとポジティブになりたいのですが・・・。

  5. 日本の根幹にある部分に大きな信頼をもって、これからの保育に臨みたい気持ちが沸々と湧いてきます。日本は今、試されています。何から学ぶのか。それは、多くの日本の偉人達が残したものの中に、答えがあるのだと、最近はっきりと感じるようになってきました。
    世界中で保育や教育の最先端とも言える取り組みがなされています。勉強不足で恥ずかしいのですが、日本はかつて、日本らしく、今の時代においてもとても最先端なことを行っていたようです。
    答えは、自国の過去にあります。戻るのではなく、進む中で寄る、そんな印象です。

  6. 日本の古き良き姿なのでしょうか。当時は、子どもが中心となって生活していたことがわかりました。海外からの評価も高かったのですね。客観的な意見があるというのは、とても良い事だと思います。良い意見や評価程、耳を傾けやすいです。しかし、批判や指摘などは、自分ではわかっているのですが実際に耳にすると痛いことがあります。そのような自分がいるのが事実です。自分を客観視できてこそ、質の高い保育や行動が出るものだと信じ、客観的に自分たちの保育を見てこそ、反省点やこれからの目標が見えてくるのですね。今までの自分はどのようなことがしたかったのか、振り返り、自己の反省を繰り返していきたいと思います。

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