シンデレラマン

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 最近、映画を見るとき、片方が50歳以上の夫婦であれば、二人とも1000円で見ることができる企画があります。昨年その企画があったため、かなり映画を見ました。1年限りの企画だったのですが、好評のため、今年も継続されています。
 今日は、台風の影響で雨が降る予想があったために、映画を見ることにしました。その映画は、「シンデレラマン」です。実在のボクサー、ジム・ブラドックの半生を描いた伝記映画です。内容は、主人公のジムは愛する妻、3人の子供と幸せに暮らしながら、将来を期待されるボクサーでした。ところが拳の負傷から負けが込み、やがてライセンスを剥奪され失業者となってしまいます。経済的な困窮から家族はやがて何度も離れ離れになってしまいそうになりましたが、ある日、元マネージャーから一夜限りの復帰戦の話がきます。強豪ボクサーの相手がおらず、ジムに白羽の矢が立ったのです。じつは、単にKO経験の無い彼が滅多打ちにされるという筋書きを期待されてのことだったのです。しかし、意外な試合結果を呼びます。その後、ジムは一念発起、猛トレーニングを開始し、復活するという話です。タイトルの「シンデレラマン」は、アメリカの好きな「シンデレラストーリー」をイメージします。最後には、ハッピーエンドという安心して見られる内容です。しかし、いろいろと考えるところがあります。たとえば、ボクシングで戦うときに、よくスポーツ選手が言いそうな「夢をつかむために戦い、勝利をつかむ」という様子は、主人公には微塵もありません。逆に、自意識過剰で夢を追いまくる権化のようなボクサーと戦うことで、その考え方を否定しているかのようにも見えます。では、彼は何のために戦ったのでしょうか。彼は劇中のインタビューでそう聞かれたとき、生活のためという言い方の「パン」のためと答えずに、「ミルク」と答えます。これが、実は、この映画の主題の気がします。彼は、普段はおとなしいのですが、貧しさのために妻が子どもたちを親類に預けることを決めたときだけは猛烈に怒ります。また、家族を養うために、いとも簡単に選手としてのプライドを捨て、かつての仲間の元へ無心にも行ったりします。こうした行動からわかるように、この映画の主人公の生きていく中心は、子ども、家族なのです。これが、「ミルク」で象徴されている気がします。ボクシングをすることは、単に「自分の夢をかなえる」ということとか、「生活の糧」とかではなく、「家族とともに暮らすこと」「子どものため」がすべてなのです。生きる中心に常に子ども、家族を置くことが、人を強くするということを教えている気がします。

シンデレラマン” への6件のコメント

  1. 考えさせられる内容です。誰が言っていたか忘れましたが、「人は自分のためにと考えると1人分の力しか出ないが、他者のためにと考えるととてつもなく大きな力を出すことができる」という言葉を思い出しました。家族のため、子どものためと自分以外の存在を自分に重ねることができる人が強い人なんでしょうね。

  2. 本当の幸せとはなんなのだろうかと、どうも必要以上に考える癖があります。こういうことを考えることはあまり健康的なことではないと自分でも思ってはいるのですが、どうもうまくいきません。どこかで、誰かと比較しているのかもしれません。そして、自分勝手なんだと思います。なので、ミルクのため、家族のためにという姿勢を持ったこの映画の主人公には憧れてしまいます。私も誰かのため動くことが自分の幸せという部分を大きくしていきたいと思っています(Facebookのアイコン画像にそんな思いを忍ばせていたりします。いや、忍んではいなかもしれません)。誰かのためにという意識、まだまだ、足りません。

  3. いつからか、心がスッキリしたり、後腐れがない映画より、鑑賞後にモヤモヤっとして、たくさんの“?”が思い浮かび、席がなかなか立てない感じのヒューマン映画を好むようになりました。伝えたかったことは何だろう…と考えるのが楽しいのか、様々な人の生き方に興味があるのか分かりませんが、鑑賞する映画の種類は変わってきています。生きる中心には、何があるのか。その中心がガチッっと決まっている人の心や芯の強さと言ったら測りしれませんね。行動する意図がはっきりすれば、人は迷わなくなるのでしょうかね。

  4. 「シンデレラマン」、「ミルク」のため、・・・その通りです。私にも、嫁や1人息子がいます。私は多趣味で、常に自分の世界でものを考えることがあります。それでも、家族のことを考えます。「「家族とともに暮らすこと」「子どものため」がすべてなのです。」も全くその通りで、それ以外の何があるの、と私は思っています。結婚前は1人でもやっていける、と思っていました。しかし、家内と暮らしていくうちに、一人の時よりはいろいろといいですね。そして、幸い、子どもを授かりました。これはまたまたいい。おかげさまで、幸せに暮らしています。ありがとうございます。

  5. 家族の大切さは、何ものにも変えられないはずなのに、当たり前の中にいると見えなくなってしまうことがあります。病気は健康の大切さを教えてくれますが、家族の大切さは離れ離れにならなくてはわからないものではありません。
    「妻が入院するまで、花を買うことを待つ必要はないだろう」と言います。家族を大切にする気持ちはもちろんのこと、言い方は拙いですが、家族を大切にする行為や行動も、日々の生活の中で大切にしたいと思います。

  6. 自分にとっての幸せとはなんだろうかと考えることができました。幸せとは、一人ではなく人との間で生まれるものなのでしょうね。日本では、幸福度か低いようですね。先進国のなかでも、低いと言われていますね。戦争もない、核もない国でなぜ低いのでしょうか?今は、様々なことが社会で起きて、ネガティブになっているのかもしれません。福島での地震、放射性、世界ではテロが起こっています。不安になることが多い世の中だからでしょうか。
    引きこもりやニートなど社会知性が低いことも言われています。幸福ということを考えたとき、きっとみんな一緒がみんな幸せという教育的な面が強く、自分らしさや個人差が認められず、社会や集団が 嫌になってしまうことがあるからであると思います。保育士として、子どもの将来の幸福を願っているものとしては、子ども社会や大人との安心できる関係がとても必要なのではないかと思います。子どもが生まれ持った力を信じ、子どもたちの幸福を願って保育をしたいと思います。

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