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2005年09月01日 [来客]
浜田廣介
昨日、むくどり保育園の理事長先生が他2名と園に見えました。園名の由来は、浜田廣介の作品である「むくどりのゆめ」からとったという思いをたぶん伝えたくて、お土産のその本を持ってきてくれました。しかし、直接その本を出さずに、同じ作者の名作といわれている「ないた赤おに」とどちらがいいかと聞かれ、私の希望で「むどりのゆめ」のほうをいただいたのです。
浜田廣介といえば、思い出す本があります。昭和35年4月に中央公論社から発行された「子どもと文学」という本です。これは、かなり児童文学者の間で世評を呼び、問題とされました。その後絶版になったを、福音館書店で昭和42年5月に再度新しい版で出たのです。それを人から借りて読んだのが忘れられず、20年位前に古本屋で見つけ買ったのです。
それは、題名の通り、子どもと文学について、石井桃子、いぬいとみこ、瀬田貞二、松居直など6名の共著で、書かれています。その中で、浜田廣介の作品について福音館書店の松居直氏が書いています。当時、この内容にショックを覚えました。いただいた「むくどりのゆめ」についても、その解説が丁寧に書かれているのですが、皆さんがよく知っている「泣いた赤おに」についての記述の最初の部分を少し見てみます。
この話は、次のような書き出しではじまっています。
「どこの山か、わかりません。その山のがけのところに、家が一けんたっていました。きこりが、住んでいたのでしょうか。いいえ、そうではありません。そんなら、くまが、そこに住まっていたのでしょうか。いいえ、そうではありません。そこには、わかい赤おにが、たったひとりで住まっていました。」
まず、はじめの、「どこの山か、わかりません」という書き出しはまったくむちゃくちゃです。導入部は、時、場所、人物などを、読者にはっきりとわからせるような書き出しが、なによりもたいせつです。「むかしむかい、あるところに」ということばは、「どこの山か、わかりません」などというあいまいなことではなく、「むかしむかし」であり、「あるところ」という一つの場所を、はっきりと示している約束事です。「どこでもいいよ」というような親切心は、子どもの文学上ではもっとも不親切です。つぎに、「きこりが住んでいたのでしょうか」ということばがでてきます。読者はきこりを頭の中にえがきます。すると、「いいえ、そうではありません」と否定されます。「くまが、そこに住まっていたのでしょうか」で、こんどはクマを思いえがきます。すると、「いいえ、そうでもありません」とまたやられます。やっと、若い赤おにが一人住まいをしていることがわかりました。なぜ、こんな書き方がされるのでしょうか。子どもを混乱させ、物語の発展をとめる以外に何の効果もありません。
こんな調子で、さまざま部分を、子どもの文学として不適切なことを述べて行きます。そういう意味で、どんな昔話も、「むかしむかし あるところに おじいさんとおばあさんが すんでいました。」とはじまるのは、子どもの心の動きにそって、いつ、どこに、誰が、何をしたかを思い浮かべやすいように、まず説明するように始まります。だからといって、この作品が、文学としての価値が低くなるわけではないのですが。
来客は、いろいろなものを持ってきてくれます。
投稿者 fujimori : 2005年09月01日 16:38
コメント
「ひろすけ童話」と、聞いただけで、小さなお胸が暖かくなります。私は、幼稚園の時にてにした、ひろすけ童話が、大大大好きでした。特に、「むくどりのゆめ」が、最高に好きでした。
題名を聞いただけで、幸せな気分になれます。小さいときに出会う本や、人、いろんなものって、やっぱり大切なんだなあ。
投稿者 白雪姫 : 2005年09月06日 20:03
私も、ひろすけ童話 大好きです。幼い頃から思春期・子育て期・更年期といつも、その時々で違った感じで支えてくれました。 内容も語り口も、ひろすけさんそのものも全部大好き!
悪い人がほとんど出てこない。冬のひだまりみたいにほっと あったかい・・・でも、それは冬の厳しい寒さを知り尽くしてるから 尚あたたかいんでしょうね。
子供たちが小さい頃毎日読んであげるのが楽しみでした。ただ感情移入しすぎるのか、涙声で詰まったりするのでこどもにはあまり評判良くなかったかな。 でも、大きくなった子供がひろすけ絵本をプレゼントしてくれたりします。
投稿者 Anonymous : 2006年05月23日 18:24