高麗神社とごんぎつね

 今日の散歩は、9.11ということで、都内はテロなどで危ないかもしれないということで、山のほうへ花を見に行くことにしました。八王子から1時間くらいの日高市というところに、「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)公園」があり、一面に彼岸花とも言う曼珠沙華が咲いているという公園があります。昨日から、公開されているということで行ってみました。西武池袋線の「高麗」という駅で降ります。近くにJRの駅で、「高麗川」という駅もありますが、高麗という字は、なかなか読める人はいないと思いますが、「こま」と読みます。この字を見ると、なんとなく朝鮮の高麗(こうらい)とか、高句麗(こうくり)を思い出します。しかし、特に関係ないと思いました。すると、駅を降りると、いたるところの看板に、日本語とハングルが書かれています。この辺は、多いのか、そんな時代になったと位しか思いませんでしたが、初めていろいろなことがわかりました。花はまだ咲いていなかったので、せっかくということで近くを散歩することにし、高麗神社に行ってみました。すると、そこに神社の由来が書いてありました。
紀元前1世紀ころ朱蒙(しゅもう)によって建国された高句麗が、668年に唐と新羅によって滅ぼされてしまったとき、高句麗の人たちが日本に渡ってきました。そこで、日本は、その人たちを受け入れるため、武蔵国に「高麗郡」を置いて、そこに住まわせました。その首長として当地に赴任したのが、高麗王若光(こまのこきしじゃっこう・「王」は他に「こしき」「こにしき」「こにきし」などとも読む)です。各地から移り住んだ高麗人(高句麗人)1799人とともに当地の開拓に当たり、若光が当地で没した後、高麗郡民はその徳を偲び、御霊を「高麗明神」として祀りました。これが当社創建の経緯だそうです。よく聞いている地名でも、その由来は、なかなか面白いものがあります。
 もうひとつ、日高市は、「栗」が有名です。「彼岸花」と「栗」というと、ひとつのお話が思い出されました。新美南吉の名作「ごんぎつね」です。こんな一文がありました。
「墓地には、ひがん花が、赤いきれのようにさきつづいていました。」
「そっと物置の方へまわってその入口に、栗をおいてかえりました。つぎの日も、そのつぎの日もごんは、栗をひろっては、兵十の家へもって来てやりました。」
この話は、私の息子も、娘も、小さいころとても嫌いな話でした。
「楽しい気持ちになりたいから本を読むのに、何で、本を読んで泣かなきゃいけないの!」
小さい子どもにしては、あまりにも悲しい結末が耐えられなかったのでしょう。