千歳

 明日は、朝早く金沢に移動するために、今日は千歳空港のそばのホテルで宿泊です。
 この地のメッセージに「千歳一隅の出会い」というのがありました。これは、千年に1度の出会いということでしょう。しかし、これは、しゃれでしょうが、本当は、「千載一遇」といいます。この千歳(せんさい)と、千載(せんさい)とは、数で大きな違いがあります。というのは、「載」は数の単位で、1載は、10の48乗の数で、0が1の後に48個も並びます。私は、小学校のころクラブ活動で、「算数クラブ」に所属していました。なんだか、まじめそうな、難しそうなクラブですが、実は、毎回とても楽しみでした。数の不思議さ、数の楽しさを教えてくれたからです。その時間の中で、数の単位を教えてもらいました。普通は、「兆」くらいまでしか使いません。よく知っている人で次の単位の「京」くらいまでです。この後、ずいぶんと続きます。これは、覚えても意味がありませんが、数への興味を持つには役に立ちます。ためしに、並べてみます。
一(いち)・十(じゅう)・百(ひゃく)・千(せん)・万(まん)・億(おく)・兆(ちょう)・京(けい)・垓(がい)・ (し)・穰(じょう)・溝(こう)・澗(かん)・正(せい)・載(さい)・極(きょく)・恒河沙(こうがしゃ)・阿僧祇(あそうぎ)・那由他(なゆた)・不可思議(ふかしぎ)・無量大数(むりょうだいすう)です。万までは、0がひとつずつ増えていきますが、そのあとは、4つずつ増えていきます。ですから、最後の「1無量大数」は、0が68個つきます。(10の68乗)したがって、千載一遇でいう「千載」は「10の47乗分の1」と言う確立の事です。そのほかに、これら単位で面白く持ったのは、恒河沙、阿僧祇、那由他、不可思議、無量大数は仏教に由来します。10の52乗の「恒河沙」です。「恒河」とは、ガンジス河のことです。沙は、砂のことで、恒河沙とは、ガンジス河の砂の数ほど、と言う意味です。なるほどと思います。また、「阿僧祇」とは、梵語でアサンキヤの漢語で、インドの数量単位で極めて巨大で数えきれないという意味です。「無数」ということです。仏教用語で52段だかある悟りの極意を極めるために必要な時間だそうです。「那由他」は、訳梵語でナユタの漢語訳で、那だけでも大きいことを表し、やはり、きわめて大きい数の意味です。「不可思議」は、字の通り、梵語でアチンティアの漢語訳で「思い計る事ができない」という意味です。「無量大数」の無量とは、空間的に限られていない無限のことです。無量大数は時代によって、無量を10の68乗、大数を10の72乗と二つに分かれる場合があります。
 たった、「千歳」というひとつの言葉から、思考というものは、無限に広がっていくのですね。

苫小牧と八王子

 今、支笏湖温泉にいます。支笏というのは、奇妙な名前ですね。もとは、アイヌ語で「シ・コッ(大きな窪地)」と呼び、つまり最初は支笏湖を指す名前ではなかったということなのです。松前藩によると、もっと広範囲が「シコツ」のエリアとされていて、千歳だけでなく、苫小牧や鵡川方面までもがその範囲でした。そのときの漢字表記は「志古津」(シコツ)。 しかし、江戸時代の1805年のこと、「シコツ」だと「死骨」を連想し、縁起が悪いので改名することになり、「鶴は千年」にちなむ逆に縁起の良い「千歳(ちとせ)」と名づけて今日に至っているそうです。河川名も「千歳川」になりましたが、支笏湖にはそのまま名前が残っています。
という訳で、支笏湖は、苫小牧の近くでもあります。苫小牧というと、「パルプ」を思い出しますが、なんと、私の住む八王子市と姉妹都市なのです。それには、こんな経緯があります。
徳川幕府は甲府との境にあった八王子を、関東入国に際して、甲斐・武蔵の国境警備の重要拠点、敵の侵入を阻止する重要な砦と考えました。この警備に武田家の遺臣250人を落城後間もない八王子城下に配したのでした。(この落城物語が絵本になっています)そして、徳川家康が江戸城を築城するにあたり、甲州との国境にあり、重要な逃走路となる八王子周辺の多摩地域に、在郷の武士団を配置して平時より警備にあたらせていました。その武士団を、「千人同心」といいます。身分は武士なのですが、通常は高持ちの百姓として、耕作にあたっていました。千人同心は当初の甲州境の警備だけでなく、のちには日光の東照宮の警備(火の番)や、江戸城や大阪城の修理などの活動も行いました。そして、「寛政12年(1800)に武州八王子から北辺の警備と北海道開拓のために未開の勇払原野に移住し鍬を振るいました。このことが本市開拓の第一歩となりましたが、厳しい気候条件などで不毛の原野の開拓は思うようにまかせず、多くの犠牲者を出し、入植4年目に開墾地を離れました。しかし先人たちのこのような筆舌に尽くし難い苦労が、200年を経た今日の苫小牧の礎となっています。」と、苫小牧市のホームページに記されています。現在ではこの縁で,日光市(栃木県)・苫小牧市(北海道)とは姉妹都市になっているのです。また幕末には長州出兵や横浜警備なども行っています。江戸幕府が安定すると,八王子千人同心の中から医師,文人,思想家などの多くの学識者を輩出し地域に文化的な影響を与えました。幕末、テレビの「新撰組」で有名になった新撰組6番隊隊長井上源三郎は、千人同心でした。今、千人同心の住んでいた屋敷跡には碑が建ち,その一帯は「千人町」という地名がついています。
各地を歩いたとき、その土地の由来を知り、それが身近かな関係であることを知ることは、ひとつの楽しみですね。

運動会

2.jpg
今日は、保育園で、運動会の第1回予行練習でした。私の園では、「子どもの運動能力の発達を保護者に伝える」という目的と、「親子のふれあいを提案する」という目的と、「普段の保育をより深める」という目的に位置づけられています。したがって、毎日練習するとか、その年齢ではできないようなことを披露するということはしませんので、予行練習日が、初めてやる日のようなところもあります。日本での運動会の歴史は1874年、海軍兵学校で、イギリス人ストレンジという東京大学予備門の英語教師が、教官指導のもと行った「競闘遊戯会(きょうとうゆうぎかい)」が、初めて人に見せる運動会の最初といわれています。そんな運動会も、時を経て、様々な形にその姿を変えていきました。今、小学校の学習指導要領では、 学校行事については,「全校又は学年を単位として,学校生活に秩序と変化を与え,集団への所属感を深め,学校生活の充実と発展に資する体験的な活動を行うこと。」と定められており、その中で、運動会は、「(3) 健康安全・体育的行事:心身の健全な発達や健康の保持増進などについての関心を高め,安全な行動や規律ある集団行動の体得運動に親しむ態度の育成,責任感や連帯感の涵養体力の向上などに資するような活動を行うこと。」と位置づけられています。ということで、現在では全ての学校で運動会が行われています。日本の多くの学校で行われている運動会は、当日までに何度も練習があり、全体で予行練習を行い、万全の状態で本番をむかえ、当日は白線が何本も引かれ、明確に区画された会場で大勢の観客に見守られる中、生徒全員による入場行進、整列の後は開会式が行われます。引き続き全校生徒による準備体操がある。その後には、徒競走、ダンスやマスゲーム、団体競技、組体操、リレーなどの種目が続きます。これは、この学習指導要領によっています。また、競技内容も運動会の起源のひとつとして海軍兵学寮によるもの、その発展によって戦前は戦意高揚に利用されてきたことが影響しています。騎馬戦、棒倒しなどは、その名残と思います。では、幼児期では運動会は、どのように位置づけられているのでしょうか。保育指針には、「保育の計画作成に当たっての留意事項」として、「各種の行事については、子どもが楽しく参加でき、生活経験が豊かなものになるように、日常の保育との調和のとれた計画を作成して実施すること。」と書かれていますし、幼稚園教育要領には、もっと具体的に、「特に留意する事項」として、「行事の指導に当たっては,幼稚園生活の自然の流れの中で生活に変化や潤いを与え,幼児が主体的に楽しく活動できるようにすること。なお,それぞれの行事についてはその教育的価値を十分検討し,適切なものを精選し,幼児の負担にならないようにすること。」となっています。もう一度、この視点に帰って、ただ、やめるとかやるではなく、行事の目的、練習方法、プログラムなど見直してみたほうが良いかもしれません。

看護師

今、看護学校から実習に来ています。現在、准看護師の資格は持っていて、正看護師になるために、「健常児と触れ合う」という課題を持ってきています。
2002年3月より保健婦・保健士、助産婦、看護婦・看護士、准看護婦・准看護士の名称は、それぞれ保健師、助産師、看護師、准看護師という名称に変更になりました。「保母」が「保育士」に変わったのと似ている状況があります。ひとつは、女性だけではなくなったということで、男女共通の呼び名に代えたということです。しかし、もともと、女性を「看護婦」男性を「看護士」と呼んでいたため、共通として、保育士のように「士」を使わずに「師」を使うことにしたのでしょうね。もう一つは、「婦」という字です。これは、なかなか難しい問題があります。「婦人」「主婦」なども議論を呼んでいます。漢和辞典(学習研究社「漢字源」)では、そもそも「婦」の原義は、「女+帚(ほうきを持つさま)で、掃除などの家庭の仕事をして、主人にぴったりと寄り添うよめやつまのこと」であり、「つまり、婦人、主婦、○○婦など、「婦」の使用は、女性は家にいて家事をという男性優位社会の固定観念を認め、それを助長することになるという主張です。しかし、語源というものは、いろいろな説があり、「掃く」という行為は、旺文社の「標準漢和辞典」によると、「女と帚(ほうき)とを合わせて、一家の祭事を行なう女・よめの意。のちにひろく、おんなの意に用いる。」とあり、帚(ほうき)は家事を行なうためでなく、祭事を行なうためのものと解しています。昔は家事ではなく、祭礼であるというのです。そのほかにも、どうも神聖な仕事をするようなイメージの解釈が多いようです。また、陳舜臣氏によれば「婦」は古来、上流の女性の階級名であり、掃くという意味はないといいます。しかし、もし「婦」という字を当てられたり、その呼称で呼ばれることが不愉快な人が多ければ、新しい字を考えてもいいかもしれません。また、「士」と「師」も難しいですね。ある辞書を調べると、「士には仕える」「師は先生をさす」とあり、別の辞書は、「士は資格・役割を持つ者」保育士や弁護士や栄養士などで、「師は技術者」のことで看護師や医師や美容師がこれに当たるといいます。また、准看の「准」も、「準」とどう違うのでしょうか。眠れなくなりそうですね。

江戸の子育て

 昨日は、アメリカの古きよき時代の親子像を描いた映画を見ました。そういえば、日本のよき時代の親子像を書いたものがありました。
 外国との交渉も持たず、安定した政権の中で庶民が過ごした江戸時代が終わろうとしたとき、そして、新しい明治という時代が始まったばかりのとき、さまざまな外国人が日本を訪れています。その人たちからすると、日本はかなり神秘の国だったでしょう。そして、日本の子育て、教育をどう見たのでしょう。それが「江戸の子育て」(中江和恵著)の序の部分に書いてありました。
イサベラ・バード(イギリス婦人):「私は、これほど自分の子どもをかわいがる人々を見たことがない。」「子ども崇拝は米国よりも日本の場合がもっと一般的である。私が思うには、日本の形式が最もよい。」
モース(アメリカ人):「世界中で日本ほど、子どもが親切に取り扱われ、そして子どものために深い注意が払われる国はない。」「小さな子どもを一人家へ置いて行くようなことは決して無い。」
オールコック(イギリス初代駐日公使):「ここには捨て子の養育院は必要でないように思われるし、嬰児殺しもなさそうだ。」
フィッセル(オランダ商人):「私は子どもと親の愛こそは、日本人の特質の中に輝く二つの基本的な徳目であるといつも考えている。このことは、日本人が、生まれてからずっと、両親がすべてを子どもたちに任せてしまう年齢にいたるまで、子どものために捧げ続ける思いやりの程を見るとはっきりわかるのである。」「日本人は、子どもたちの無邪気な行為に対しては寛大すぎるほど寛大であり、手を打つことなどとてもできることではないくらいである。」
ゴロヴニン(ロシア海軍少佐):「日本人は自分の子弟を立派に薫育する能力を持っている。ごく幼い頃からの読み書き、法制、国史、地理などを教え、大きくなると武術を教える。しかし一等大切な点は、日本人が幼年時代から子弟に、忍耐、質素、礼儀を極めてたくみに教え込むことである。」「日本人は天下を通じて最も教育の進んだ国民である。日本には読み書きのできない人間や、祖国の法律を知らない人間はひとりもいない。」
ニコライ(ロシア領事館付主任司祭):「読み書きができて本を読む人間の数においては、日本はヨーロッパ西部諸国のどの国にも引けを取らない。」
大げさであったり、一部しか見ていない感はあるものの、この頃の庶民の暮らしを見ると、納得する部分もあります。今でも、冷静に考えてみると、世界の中では、日本という国は、このような国かもしれません。

シンデレラマン

シンデレラマン.jpg
 最近、映画を見るとき、片方が50歳以上の夫婦であれば、二人とも1000円で見ることができる企画があります。昨年その企画があったため、かなり映画を見ました。1年限りの企画だったのですが、好評のため、今年も継続されています。
 今日は、台風の影響で雨が降る予想があったために、映画を見ることにしました。その映画は、「シンデレラマン」です。実在のボクサー、ジム・ブラドックの半生を描いた伝記映画です。内容は、主人公のジムは愛する妻、3人の子供と幸せに暮らしながら、将来を期待されるボクサーでした。ところが拳の負傷から負けが込み、やがてライセンスを剥奪され失業者となってしまいます。経済的な困窮から家族はやがて何度も離れ離れになってしまいそうになりましたが、ある日、元マネージャーから一夜限りの復帰戦の話がきます。強豪ボクサーの相手がおらず、ジムに白羽の矢が立ったのです。じつは、単にKO経験の無い彼が滅多打ちにされるという筋書きを期待されてのことだったのです。しかし、意外な試合結果を呼びます。その後、ジムは一念発起、猛トレーニングを開始し、復活するという話です。タイトルの「シンデレラマン」は、アメリカの好きな「シンデレラストーリー」をイメージします。最後には、ハッピーエンドという安心して見られる内容です。しかし、いろいろと考えるところがあります。たとえば、ボクシングで戦うときに、よくスポーツ選手が言いそうな「夢をつかむために戦い、勝利をつかむ」という様子は、主人公には微塵もありません。逆に、自意識過剰で夢を追いまくる権化のようなボクサーと戦うことで、その考え方を否定しているかのようにも見えます。では、彼は何のために戦ったのでしょうか。彼は劇中のインタビューでそう聞かれたとき、生活のためという言い方の「パン」のためと答えずに、「ミルク」と答えます。これが、実は、この映画の主題の気がします。彼は、普段はおとなしいのですが、貧しさのために妻が子どもたちを親類に預けることを決めたときだけは猛烈に怒ります。また、家族を養うために、いとも簡単に選手としてのプライドを捨て、かつての仲間の元へ無心にも行ったりします。こうした行動からわかるように、この映画の主人公の生きていく中心は、子ども、家族なのです。これが、「ミルク」で象徴されている気がします。ボクシングをすることは、単に「自分の夢をかなえる」ということとか、「生活の糧」とかではなく、「家族とともに暮らすこと」「子どものため」がすべてなのです。生きる中心に常に子ども、家族を置くことが、人を強くするということを教えている気がします。

いろいろな見方

 今日は、鯖江市の「草の実保育園」の職員全員26名で見学に来ました。その園には行ったことがあって、私の話を聞いたりしている人は多いのですが、実際に見てみようということで来ました。私の園には、いろいろと見学は多いのですが、園の誰が来るか、それを園に戻って、他の職員にどう伝えるかが課題のようです。そういう意味では、全員で見に来るということはとてもいいことです。しかし、園では、なかなかそれを実現する日程が組みにくいようです。どうしても、土曜日か日曜日になってしまいます。しかし、土曜日は園児の登園が極端に減りますので、普段の保育を見ることはできずに、環境を見て、想像してもらうしかありません。「人が生きている象を見ることは希である。だから、死んだ象の骨を見て、その姿を考え、その生きていた姿を想像した。」と、たしか韓非子にありました。
 象といえば、もう一つこんな逸話を思い出します。「群盲(ぐんもう)象を評(ひょう)す(群盲象を撫でる、とも言う)」と言うことです。昔、王様が、目の見えない人を数人連れてきて、その人たちには見たことも聞いたこともない「象」というものにさわらせ、それがどのようなものなのか、王様に説明させたという話しです。手を引かれて大きな象の回りに立った数人の、目が見えない人々が生まれて初めて「象」の身体にさわります。そして一人ずつに象とはどういうものかを説明させます。
「象は、骨のように堅くて、つるつるして、先が尖って曲がっている丸い棒のようなものです。」
「いえいえ、太い柱のようなもので毛が生えております。」
「いや、毛は生えているが柱ではなくて壁のようなものです。」
「違います、薄くて平べったい、大きな団扇のようなものです。」
「とんでもない、象は綱のようなものです。」
「何を言うか、象は柔らかくて動く丸い管のようなものです。」
こうしてそれぞれが触れた部分だけが「象」というものなのだと思い込んで、ケンカが始まったという話です。これは、人々は自分が体験したつもりのものでも、実は、ほんの一部分だけの情報や一つの側面の解釈であり、全体を正しく理解することはなかなか難しいということを言っているといわれています。たとえば、円柱の形を人に説明をするとき、上から見ると円に見えます。真横から見ると長方形に見えます。また、斜めに切った切り口を見ると楕円に見えます。どこを、どのように見たかで、形が違ってくるのです。(しかし、この逸話の解釈も様々あるようです。)
もう一つ象というと、「星の王子様」を思い浮かべます。あの、最初の象を飲み込んだうわばみの絵です。この絵を見た大人たちは、帽子が書いてあると思います。そこで、こう思います。「大人の人ってものは、よくわけを話してやらないと、わからないのでした。」また、こう言います。「僕は、がっかりしたのです。大人の人たちときたら、自分たちだけでは、何一つわからないのです。始終、これはこうだと説明しなければならないようだと、子どもは、くたびれてしまうんですがね。」
本質を見るのは、難しいですね。

昔話の親子パート2

 日本の昔話が、「むかしむかし あるところに おじいさんとおばあさんが すんでいました」と始まることで有名ですが、外国の昔話の親子関係というと、まず、どんなイメージを持つでしょうか。わたしは、知っている有名な話で思い浮かぶのは、「シンデレラ」「白雪姫」「ヘンゼルとグレーテル」などですが、これら外国の話の多くは、母親がなくなり、父親に後妻が来て、その後妻が意地悪だったり、魔女だったりして子どもを追い出してしまう話が多いようです。母親の強さに引き換え、父親は人がよく、やさしいが、母親の意見に逆らえない存在として描かれています。そして、外国の話は、子どもよりも夫婦としての結びつきを優先することが多いようです。日本で、最近、再婚した相手の気を引くために実のわが子を虐待してしまう親がいるというニュースを思い浮かべます。なんだか、外国の残酷な昔話に似ています。日本では、各国の中でも子どもを優先に考え、大切にする国といわれてきました。最近は、子どもを別の存在と考え、夫婦間を優先に考える海外の考え方に近くなっているのかもしれません。
しかし、日本でも、継母にいじめられるという話は、よくありますが、それは、ちょっと違うようです。有名なものに、落窪物語(平安時代に作られた中編の物語で、作者・成立年ともに不明)がありますが、テーマは”継子いじめ”、すなわち、養女として引き取られた家で継母にいじめられる姫君のお話です。そのほか、この”継子いじめ”というテーマは、物語のひとつのパターンとして、室町時代の物語や御伽草子などでよく扱われました。平安時代当時から人気のある物語だったようです。しかし、最後は、幸せになったり、継母に仕返しをすることで終わるので、なんとなく救われますが。
といえば、思い当たる草花があります。ちょうど今の頃、夏から秋にかけて、少し湿気の多い野原や土手に、しばしば群生している花です。園でもたまに咲くことがあり、私はその花を見つけると、すぐに取り除くように指示します。花は、小さくてかわいらしいのですが、茎にびっしりと下向きの刺(トゲ)を持ち、子どもが触ったり、大人が他の草を抜こうとして、思わず触ったりすると、とても痛い思いをするからです。また、花のかわいらしさに反して、この花の名前は何とも凄まじい名前です。「継子の尻拭い」(ままこのしりぬぐい)といいます。継母(ままはは)が継子(ままこ)の尻をこれで拭いて継子いじめをする例え(たとえ)に付けられた名前です。なんだか、切ないですね。