学校評議員会

今日、近くの小学校で「学校評議員会」が行われました。これは、学校の教育目標、教育計画、教育活動の実施、地域との連携の進め方などの学校運営の基本方針や重要な活動に関する事項に関して意見を述べ、学校評価を行うことになっています。6月にドイツの保育園、幼稚園、学校のいくつかを訪問したのですが、まず、多くの施設で、入ったところの玄関ホールに、保護者の学校評価がはってありました。それを示しながら、まず、自分の園の評価は高く、保護者の満足度が高いということの説明から入ります。日本でも、今、保育園では第三者評価が行われていますが、この第三者というのが難しいと思います。保護者の評価は第二者(正確に言うと、二者の代弁者)であり、日本では参考意見にする程度です。というのも、どうしても人質論的な答えになったり、子どもの代弁ではなく、大人の都合での評価になってしまいがちだからでしょう。では、客観的に第三者が評価すればいいかというと、調査者が保育関係者では、自分の主観、保育観が入ってしまい、他の業種の人であれば、システムなり、書類への表現力の評価であることが多く、「保育の心」というものは評価することは困難です。今日の学校の話し合いも、データとして、市内の学校の中で、学力定着率度はかなり高いという評価はあるとしても、校長が課題として持っている「最近の子どもは、人と関わる力が落ちている」ということは、印象か、ある事例になってしまいます。しかし、そこが一番問題であり、その印象を受けての具体的な対策なり実践が、保育、教育では大切なことではないでしょうか。

学校評議員会” への14件のコメント

  1. 「保育の心」という評価は難しそうですね。それは環境から感じ取れる部分もあるのかもしれません。しかし、それだけでは判断しにくいでしょうね。「印象を受けての具体的な対策なり実践が…」現場にいる人間は子ども達の様子がよく分かるはずです。そこで感じ取った思いをそのままにせずにどのように子ども達に対応するのかを丁寧に実践していかなければいけません。現状を嘆くだけでなく、実際に行動していかなければなりませんね。その姿勢は自然と周りに伝わるような気もします。

  2. 子どものためを思ってのことと、保護者からの意見。これらのバランスは非常に大切であると感じます。片方をないがしろにするということではなく、両者にとって必要な環境を構築し、それをしっかりと説明できる力が必要ですね。また、「評価」というと、どうしても緊張してしまう感じが私にはあります。良いところを認めつつ、よりよくできるであろう部分を助言していくといったスタンスがしっくりきます。「最近の子どもは、人と関わる力が落ちている」ということは、私たち大人の環境も大切であるということであり、評価をする上でも、人と関わる力が必要ということになりますね。

  3. 私たちが住む町にも「学校評議員会」というものがあるようですが、その会によって学校がどんなふうに変わってきたのか、学校に子どもを通わせている親の一人として疑問に思うことがあります。せめてお願いしたいのは、楽しい学校、開かれた学校、を言葉だけではなく、実感できる創意工夫ということをしてもらいたいと思うのですが。まぁせめて学校の先生たちだけでも楽しく生徒たちの学習をサポートしてもらいたいものです。さて、第三者評価、これについてはその事業施行当初より私は否定的だったのですが、現場で評価をすでに数回経験し、保護者の調査については毎年実施してみて、当初の思いは結局変わっていません。にもかかわらず、昨年評価者の資格を取得しました。「保育の心」「人と関わる力」を正当に評価できるか?評価者の私自身が問われることになりました。

  4. 学校評議員会というものに私も参加していますが、全くの第三者が参加することの難しさは絶対にあると感じています。ちょっとした関係者の難しさも同様です。やはり最終的には自己評価、しかも生徒による自己評価ができるような教育をおこなっていく、そんな視点が大事なのではないかと思っています。

  5. 日本における第三者評価というものに、僕は信頼を置けずにいます。僕の知る限りでは、その機関が保育園に与える影響力や保護者に与える影響力はとても低いです。なぜなら、僕がこの園は酷いなと思った園がその後何年も存続されていたり、指摘された部分が表面上訂正されたのみで、実質何も変わっていない、変えずに済んでしまうといったことが往々にしてあるからです。
    僕は、実際にその園で働き、その保育の中身を知らないと見えないことが多いと感じます。それは、保育園に就職しようとする学生にも言えることだと思います。その上で、僕は第三者評価を、保育士を志す学生が、数週間にわたって保育園に入り、その中で評価をしたらどうか、と考えます。子ども達に対してどんな保育を行っていたか、職場環境はどうだったか、意見は言いやすかったか、保護者対応はどうだったか、向上心はあるか、改善点はあるか、その園には就職したいと思える魅力があったか、またなかったか、それはなぜか。そういった質問事項も学生間でのやりとりの中で、話し合い、その園を評価していくことができれば、今よりは意味のあるものになるのではないか、と思いました。
    最近の子どもは、人と関わる力が落ちている、ということはこの時代からも言われていることなのですね。そこから年数が経ち、その校長先生も含め、そこから何が出来たか。公立の校長先生や職員の多くは移動してしまうのでしょうが、その学校の子ども達の今の姿が、その学校が何を積み重ねてきたかを、物語るのでしょう。

  6. 学力の低下というものは学校の評価につながりのあるもので、情報がないときに学校を見るとき、選ぶ1つの要因として、見てしまう時代ですね。こう言った見方になってしまうのはやはり、高学歴が活躍する時代と思っている社会だからでしょうか。
    学校と言うものは勉強もありますが、他では学ぶことができない心の教育という人が生きていくなかで必要な力を身に付けることが、社会で順応していくため、他の人と共存していくための要因となると思いました。
    子どもの頃からの積み重ねが大切になってくると思い、私たち、子どもと関わる仕事をしているということを重要視していかなければ、なりませんね。

  7. 確かに第三者評価が日本では難しいという理由を見るとできない理由に納得します。「保育園に満足しているか」と質問が出ても、子どもたちの様子からでる意見よりも、保護者のサービスへの評価のほうが先に出てきそうですね。そういった意味では「保育の心」というものに目が向くにはもっと時間がかかることなのかもしれませんね。
    今の社会、「人との関わる力」というのは課題に上ることが多いですね。今の社会や日頃起こる事件を見ていても、その異常さが見えてきます。そして、そのほとんどが人との関わりといったものに問題があることも多いですね。ものが便利になり、人と直接関わることなくとも、生きていける世の中になっています。第三者評価のことを考えてみても大人の子どもに対する考え方は今の日本の社会を物語っているように思います。そして、その姿勢が多く子どもたちにも影響を与えて、最後には社会にも影響がdているようにも感じます。子どもの発達の連続性や積み重ね。勉強や学力だけではなく、人の気質の大切に気づいていかなければいけないですね。

  8. 保育の心を評価するのは、とても難しい事ですね。評価と言われるとどうしてもかまえて物事を考えてしまいます。本当に良い保育の心を持った園正しく評価されることが多くなればと思います。人と関わる力ということで、今対人知性やスキルについて、考えることが多くあります。関わり合える環境をしっかりと設定することが大切であるということで、関わりの場を奪ってしまっているのは、大人であったり、社会なのだなと感じました。今、保育園の場で出来ることを発信できたらと思います。

  9. 確か日本での第三者評価は大きく影響するという事は無いような気がします。保育園や保護者の方にも様々な方がいらっしゃいますが、保育をサービスと勘違いしている方だったり、ただ預かってさえいればいいと思う人もいると思います。そんな間違った人たちもいる中で、藤森先生はギビングツリーを立ち上げ、今や全国に何百という保育園さんがあつまり現在に至るまでになったのですね。保護者の方の意見を聞く事も大切ですが先ずは前回のブログにもあったように「何が子どものためであるか」ということを念頭に置いて考えていかなくてはなりませんね。

  10. 日本の社会はまだまだ学歴社会であると思いますので、どうしても学校の評価となると学力が一つの大きな目安となっていることは仕方ないことなのかもしれません。
    ですが、学校で〝子どもの人と関わる力〟を課題に挙げ、話し合おうとすることは今後につながっていくものであると思います。
    そのような社会の流れを作るためにも、自分たちができることはごく小さなことかもしれませんがやってみることが社会に貢献することにつながるのだと思います。

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