学校評議員会

今日、近くの小学校で「学校評議員会」が行われました。これは、学校の教育目標、教育計画、教育活動の実施、地域との連携の進め方などの学校運営の基本方針や重要な活動に関する事項に関して意見を述べ、学校評価を行うことになっています。6月にドイツの保育園、幼稚園、学校のいくつかを訪問したのですが、まず、多くの施設で、入ったところの玄関ホールに、保護者の学校評価がはってありました。それを示しながら、まず、自分の園の評価は高く、保護者の満足度が高いということの説明から入ります。日本でも、今、保育園では第三者評価が行われていますが、この第三者というのが難しいと思います。保護者の評価は第二者(正確に言うと、二者の代弁者)であり、日本では参考意見にする程度です。というのも、どうしても人質論的な答えになったり、子どもの代弁ではなく、大人の都合での評価になってしまいがちだからでしょう。では、客観的に第三者が評価すればいいかというと、調査者が保育関係者では、自分の主観、保育観が入ってしまい、他の業種の人であれば、システムなり、書類への表現力の評価であることが多く、「保育の心」というものは評価することは困難です。今日の学校の話し合いも、データとして、市内の学校の中で、学力定着率度はかなり高いという評価はあるとしても、校長が課題として持っている「最近の子どもは、人と関わる力が落ちている」ということは、印象か、ある事例になってしまいます。しかし、そこが一番問題であり、その印象を受けての具体的な対策なり実践が、保育、教育では大切なことではないでしょうか。

GTサミット

昨日、今日の二日間、飯田橋で経営研究会議(GTサミット)が開催されました。この会議は、私が主宰しているギビングツリー(http://www.givingtree.jp/)の会員の情報交換会です。会員の集まりだけに、参加者は、みな同じ考え方を持ち、同じ理念の下、保育を進めようとする仲間ですから、とても心地よく、議論もかみ合い、とても楽しいひと時を過ごせたという思いが残りました。しかし、同じ考え、同じ理念というものは何かと聞かれると、明確には答えることができません。人はそれぞれ、自分ながらの価値観を持ち、考えを持っています。それらが、すべて同じということは、ほとんどありえません。ですから、その中の何かが共通するのでしょう。もちろん、「子どものための保育をしよう」とか、「子どもの立場にたっての保育をしよう」ということが同じであるというと、それは、保育者であれば、ほとんど共通します。たとえば、体罰をする人でさえ、本人に聞くと、「子どものためにやっている。」と答えるでしょう。ですから、子どものためかどうかではなく、何が子どものためであるかということを考えようということが共通するのです。では、体罰をしないで頭をなでることが子どものためであるという結論を出すことかというと、それも違います。人を相手にする仕事のなかで、人とのかかわり方を考えることは、なかなか難しいことです。

始めるにあたって

どうも、私は強くシンクロニティーを感じるタイプのようです。日本語で言うと「共時性」です。(心に思い浮かぶ事象と現実の出来事が一致すること。ユングの用語)このブログを始めるにあたって、「私は何がしたいのだろうか。」という問いを自分にしてみました。するとそのときに読んでいた本(司馬遼太郎著「峠」)の中の分が答えを代わりに言ってくれている気がしました。
「心を常に曇らさずに保っておくと、物事がよく見える。学問とは何か。心を澄ませ感応力を鋭敏にする道である。」
心を澄ませ、感応力を鋭敏にするための「ブログ」かもしれません。
心は万人共同であり、万人一つである。しかし、人間には、心のほかに気質というものがある。その気質によって、賢愚がある。気質には、不正なる気質と正しき気質とがある。気質が正しからざれば物事にとらわれ、たとえば俗欲、物欲にとらわれ、心が曇り、心の感応力が弱まり、物事がよく見えなくなる。つまり愚者の心になる。学問の道はその気質の陶治にあり、知識の収集にあるのではない。気質がつねにみがかれておけば心はつねに明鏡のごとく曇らず、物事がありありとみえる。その明鏡の状態が良知ということである。」
そして、よく知ることは知るだけでとどめず実行がともなわないといけないと思っています。今、子どもの身に起きている危機は、学んでいるだけでも、知識を蓄えるだけでも、憂いているだけでも、人に伝えるだけでもなく、何かの行動に移さないといけないという思いの一つが「ブログ」かもしれません。
「学問はその知識や解釈を披露したりするものではなく、行動すべきものである。その人間の行動をもってその人間の学問のを見る以外に見てもらう方法がない。」
「人の世は、自分を表現する場なのだ。」
「人の人生はみじかいのだ。己を好まざることを我慢して下手に地を這いずりまわるよりも、おのれの好むところを磨き、のばす、そのことのほうがはるかに大事だ。」
ということで、この「ブログ」を始めることにしました。