集中力の限界

日本の子どもはアメリカの子どもより多くの日数を学校で過ごしていますが、日本の学校制度ではアメリカの学校より、厳しい学業の合間に休憩が多く設けられていることが特徴のようです。たとえば、日本と台湾の1年生と5年生は、アメリカの子どもよりも多くの休憩時間をとっていると言われています。どちらの国でも、学校の1日はきっちりと決められており、 40 ~ 45分の授業の後に、10~15分の休憩時間があります。西洋人がアジアの学校を観察して共通に感じるのは、いかに子どもたちが集中しているかということだそうです。そのような高い集中力がみられる一因は、授業の合間の休憩で活発な遊びをする機会が頻繁にあるためだと考えられています。スティーブンソンとリーの報告によると、ミネアポリスの学校の1年生と5年生には1日当たり2回の休憩しかないそうですが、日本の仙台および台湾の台北の学校の1年生は4回、 5年生は5 ~ 8回の休憩時間があります。

また、台湾と日本では、5年生が学校で過ごす一週間当たりの時間はアメリカの子どもより長いものの、1年生が学校で過ごす一日当たりの時間は、台北( 4時間)と仙台( 5時間)の方が、ミネアポリス( 6時間)よりも短いことは注目に値するとビョークランドは指摘しています。これは、幼い子どもの集中力の限界が認識されているためだというのです。

多くの実験的な充実研究では、一般的には物を使った遊びや、特にふり遊びや社会劇的遊びが子どもの社会認知的状態の多様な側面、たとえば、役割交代や語りの能力、連想のなめらかさ、問題解決などに与える効果について調べられているそうです。次に、たとえば、視点取りといった能力に与える効果が検討されています。これらの研究で用いられる基準尺度の大半は訓練から短時間後にとられているため、遊びには遅延的利益というより即時的利益があると仮定しています。

例示のため、物を使った遊びの実験的な研究を紹介しています。物を使った遊びは通常、物を使って問題を解決するという状況で研究されてきました。この領域の古典的な研究は霊長類学者のヴォルフガング・ケーラーが行ったもので、チンパンジーが問題解決をするものだそうです。チンパンジーは棒で「遊んで」おり、何の目標も抱いていないようでしたが、思いがけなく、棒がつながることを発見しました。そして、つながって長くなった棒を使って、手の届かないバナナを取ったのです。

子どもの発達におけるこのアプローチを代表する研究が2つあるそうです。シルヴァ・プルーナーとジェノヴァは、ケーラーに類似したパラダイム、それは、ばらばらの棒、留め金、掛け金をかけたほうび箱をテープルの端に置く方法を用いて幼児を対象に実験しました。子どもに与えられた課題は、3本の棒をつなげて掛け金に届かせて掛け金を開け、色とりどりのチョークを取り出すことでした。その際、 3つの条件である、遊び条件、統制条件、大人が棒をつなげるのを観察する観察学習条件が用意されました。大前提として、遊びは新奇な問題を解決するための行動的可塑性を生み出すというものでした。その結果、遊び条件の子どもは他の条件と比較して、次第に単純な解決策から複雑な解決策を、またより目標志向的な解決策を生み出すことが示唆されたのです。シルヴァたちは、遊びでは目的よりも手段が重要であるため、遊びにより、最小限フラストレーションで、自発的に問題解決をする機会が与えられたと論じたのです。

剥奪

剥奪研究は、子どもの遊びの文献より動物の遊びの文献、特にネズミの研究としての方が一般的だそうです。これらの研究では、通常、子ども、あるいは動物の幼体の、社会的遊びや身体的活動を行う遊びの一側面が剥奪されます。これらの研究の背後にある前提は、遊びの一側面を剥奪すると、それが発達的に重要であるなら、つまり、有益な結果をもたらすのであれば)、子どもに再度遊ぶ機会が与えられると「リバウンド効果」が生じるはすであるということである。

この研究も面白いですね。と言うのも、園では、子どもの遊びを剥奪することがよくあるからです。「さあ、お片付けですよ。」「給食の時間ですよ。」というような場面が多いからです。研究によれば、子どもは高いレベルでより長い時間遊ぶことで、その剥奪の埋め合わせをするだろうと推測できます。大半の剥奪研究は、子どもから遊びを剥奪すると1つ以上のことが巻き添えにされるという理由で批判されやすいようです。つまり、子どもが社会的な遊びを剥奪されると、同時に他の形式の社会的相互作用も剥奪されることが多いからだと言うのです。

子どもから遊びの機会を剥奪することの影響に関する研究は、そのほとんどが身体を動かす遊びについて行われたものだそうです。3組のフィールド実験で、P.K.スミスとヘイガンと、ペレグリーニたちは、イギリスの就学前児とアメリカの小学生を対象にして、それぞれ身体を動かす遊びをする機会を実験的に剥奪したそうです。結果はすべての実験で一致し、剥奪度が高いと、遊びの機会が再度与えられた場合に遊びのレベルが高まったそうです。さらに、小学生では、休憩時間により、教室に戻って来たときの学校課題への集中度が最大化したそうです。この結果から考えると、子どもの活動を中断せざるを得ないときには、その続きをやる保障をすべきようです。

身体を動かす機会を剥奪されると、その埋め合わせをするためにより長時間、強い運動遊びを行うそうですが、それは重要な訓練機能を果たしていると論じられているそうです。さらに、身体訓練の効果は比較的一時的なので、その効果は即時的であり、生涯のどの時期でも起こりうることが示唆されているそうです。たとえば、年長児および若い運動選手の研究において、運動訓練によって成績がかなり急速に向上したそうです。しかし、その訓練の効果は急速に袞えもしました。運動選手ではない子どもの場合でも結果は類似していたそうです。たとえば、8~12歳の子どもで、長距離走の訓練によって心拍数が下がり、最大酸素摂取量が増加しました。

学校課題への集中に対する休憩時間の効果について、ビョークランドらは、認知的未成熟性仮説と一致して、休憩時間に見られるような、特に焦点をもたない遊び活動が、より集中して取り組む学業からの解放となると考えていると言います。幼い子どもが最適な学習をするために、焦点化されない遊び活動が必要であることは、多くのアジアの学校制度で認識されているようだとビョークランドは言います。そして、日本の例を出しています。日本の子どもはアメリカの子どもより多くの日数を学校で過ごしていることはアメリカでは有名な話だそうですが、日本の学校制度ではアメリカの学校より、厳しい学業の合間に休憩が多く設けられていることはあまり知られていないと言うのです。

性特異的な行動

女児が乳児やままごとに強い関心を示すことには、性ホルモンと間する面もあるようです。たとえば、乳幼児に対する女児の関心は初経後に高まり、出生前に高レベルのアンドロゲンを受けた女児はその影響を受けていない女児よりも、ままごとや乳児に対する心が有意に低いそうです。しかしホルモンがすべてではないようです。ほとんどの文化で、女児は男児より子どもの世話という仕事が割り当てられています。しかし、そういった責任が与えられていなくても、女児は男児よりままごとをして遊ぶことが多いそうです。進化的な点からすれば、そういった志向性が後押しして女児は子どもの世話に関する活動に注意を払い、母親になったときにうまくこなすために役立つスキルを練習しているのだろうと思われます。女性は世界中のすべての文化において男性より子どもとのやりとりや世話に多くの時間を費やしている。そして、このような育児の責任の配分は進化的過去においてもおそらく同様であっただろうと思われます。

それに引き換え、先に述べたように、男児は女児よりも物を使った遊びを行う傾向が強いです。進化的な視点からすると、物を使った遊びの性差は、伝統的に成人男性が女性より多種多様な道具を扱うことが多かったことと関連しているかもしれないとビョークランドは言います。伝統文化では男性も女性も道具を使ったり作ったりしますが、これは祖先にも当てはまることは確かだそうですが、男性が武器や楽器、儀式用具などの道具の大半を作ります。したがって、男性が物を操作することへの志向性が高いことは、道具の使用と製作が重要な役割を果たす成人の生活に関連した、個体発生的な適応を反映している可能性があります。

男性と女性はほぼ同一の脳や生物学、適性を進化させてきましたが、男女は異なるバイアスをもち、受け継がれてきた遺伝子が、出生前の環境を含みますが、種に特異的な環境において発現することにより、若干異なるものを志向し、少しばかり世界を異なって解釈するようになったと考えられます。これらの異なる志向性が環境に支えられて、男児と女児は異なる経験をし、異なる力量を身につけていくのでしょう。このように遊びは重要な性特異的な行動の側面を獲得し、習得する媒体として機能するようです。遊びにおける性差や、そういった違いを生み出す経験は、成人の行動における性差の近接的なメカニズムとして働いていると思われます。そういった性特異的な力量は、議論したように私たちの祖先にとって適応的であっただろうとビョークランドは言うのです。

男児と女児の遊びの志向性におけるそういったバイアスは、出生前の環境で、女児の胎児に過剰なアンドロゲンが作用した場合のように、出生前にも、出生後にも、強い環境的サポートを受ける必要はありません。子どもが遊びを通して獲得できるのは、環境が与えてくれるものだけだと言うのです。しかし、そういったバイアスは進化の時間を経て選択されたと考えられます。なぜなら、それらのバイアスは適応的な行動を生み出し、そのバイアスが今日まで存続しているからです。資源をめぐる競争や道具の使用における性差が最小限に抑えられている現代人にとって、これらのバイアスの利益は不確かですが、それでも哺乳類や霊長類の遺産の一部なのだと言うのです。

敵対と協力

実証研究では、 R&Tと子どもの活発なゲーム遊びとの密接な関連が見出されているそうです。R&Tで役割を交代したり、追いかけたりすることは、鬼ごっこのようなゲームで役割を交代したり、走たりすることと類似しているということがわかっているそうです。青年期に近づくにつれてR&Tは特に男児で、主張や社会的優位性の確立と維持へと次第に組み込まれていきますが、それというのも、優位性には敵対的戦略と協力的戦略を用いることが必要なためであると言われています。

さらに、 R & Tに特徴的な上位と下位の役割をどちらも経験することは、おそらく社会的コンピテンスと関連していると言います。たとえば、ヒト以外の霊長類の証拠から、リスザルの子どもは上位(相手を押さえ込む)や下位(相手に押さえ込まれる)の役割を経験する遊びの戦いを行う機会を奪われると、後にそれぞれ弱いものいじめをしたり、「臆病者」になったりすることが示されているようです。この研究は、ある意味では、いじめ問題のヒントになるかもしれません。よく、異年齢を経験したり、異年齢集団ではいじめが起きにくいと言うのも、このことが理由の一つかもしれません。異年齢では、強いものと弱いものが固定化せず、どちらの立場も経験することができるからです。3歳の時には、どんな強い子でも5歳の子に押さえ込まれ、5歳になると、どんな弱い子でも3歳を抑え込む経験をすることができるのです。

このようなことから、男児のR & Tには、骨格や筋肉の発達を促すといった即時的利益があると考えられますが、攻撃行動や戦い、社会的な竸争について男児に何かを教える働きもあるようだと考えられるのです。さらに、戦いごっこに特徴的な役割交代を行うことにより、男児は上位の役割と下位の役割を経験することができるのです。それはあらゆる競争的な相互作用において役立ちますが、とりわけ優位性や最終的に配偶者を選ぶことをめぐって他のオスと対決する上で役立つと考えられているようです。

これらのR & Tの利益は、男児は女児よりもR & Tを行うことが多いという事実と一貰しています。特に男児が優位性を確立し維持するのに用いる行動形式はR & Tに見られる形式に類似しており、狩猟採集社会におけるオス間競争(原始的な武力衝突)に関連した活動に酷似していると言います。さらにもっと大局的に考えると、R & Tに関連する狩りや戦いの利益はすべて、進化適応の環境におけるオスの役割をも反映していると考えられます。

他に、ままごとにも性差が見られます。男児と女児は6歳頃まで同程度に乳児に興味を示します。しかしそれ以後、女児は平均して男児より赤ん坊に対して応答的になり.このことはままごとの発生率にも表れているそうです。この傾向は伝統的な狩猟採集社会でもアメリカのコホートを通じても、文化を通して報告されており、現代の西洋文化に特有の価値に限定されるものではないことが示唆されているそうです。ままごとでは、母親、父親、赤ん坊などの、複雑で相互的な家族関係が構築されることが多いようです。ピッチャーとシュルツによると、「幼い頃からすでに女児はこれらの役割の詳細と繊細さにかなり精通している」と言います。対照的に男児のファンタジー遊びは、力や優位性、攻撃性が中心になりやすく、R&Tの一環として行われることが多いと言われています。つまり、男児と女児のファンタジーを遊びの特微は、後に成人して果たす、あるいは.進化適応の環境においてたしかに果たされてきた役割、たとえば、オス間竸争、子育てに先行するものと見なすことができるとビョークランドは言うのです。

費用便益分析

費用便益分析には難しい点もありますが、遊びを研究する方法として有望であると言われていますが、その主な理由は、自然な生態環境で子どもを研究することが可能だからです。コストの研究は一見、遊びを理解するための基礎的事項と思えますが、その研究は驚くほど少ないため、この方法に従って、遊びに伴うと考えられる利益の大きさをあげることはできないそうです。遊びに費やされる時間についての基本的な情報は先に述べたように非常に少なく、概ね学校状況に限られています。さらに、子ども期の事故が、遊びや遊び以外の文脈でどの程度生じているのかについてもわかっていないそうです。たとえば、溺死が遊んでいるとき起きるのか、入浴中に起きるのか?このような情報は、子どもに十分なサービスを提供するために間違いなく重要です。

このモデルに準じて考えられる遊びの機能についての手がかりは、動物の遊び研究から仮定することもできるそうです。全般的に、遊びは動物の生活時間とエネルギー量のうち限られた割合しか占めておらず、10 %程度だそうです。この比較的低い水準にもとづいて費用便益分析を行うと、動物が体を使った遊びをする利益はおそらくわすかで即時的なものであることが示唆されているそうです。乳児から成熟するまでの時期に直面するリスクを考えれば、その利益は遅延的なものではなく、即時的なものであるはずです。特に現代の狩猟採集民では、生殖年齢以前の死亡率が38~42 %と高率だそうです。このようなリスクを考えると、成熟期ではなく未成熟期に利益を得られた場合にそれを手にできる可能性が最大となります。しかし、このことは、ヒトの身体的な遊びのある側面に遅延的利益、たとえば、男児が成人の戦いの準備としてR & Tを行うということですが、それは、ある可能性を排除するものではないのです。そして、ファンタジー遊びはおそらく人類に特有ですが、子どもが大人になりきって役割を実践するのに特に有益であろうとビョークランドは考えているようです。

デザイン特性の議論は、遊び行動の諸側面と、機能的行動の類似した特性との間に見られる類似性を説明することに関わっていると言います。ビョークランドは、社会的遊び(互恵的な役割取得)の特性のひとつを例に取り上げています。時期1の遊びにおける役割取得は、協力ゲームを行う能力など後の時期2における別のより成熟した役割を取得する能力である概念的、経験的に関連している可能性があります。機能が確立するためには、時期1と時期2の特性や、遊び行動と機能的行動において論理的、実証的なつながりがあることが必要であると言います。

しかし、デザイン特性アプローチを使って機能を研究する上で、いくつか問題があります。まず、どんな遊び行動も、1つ以上の機能を果たしているでしょう。さらに、遊びと後の機能的行動には、行動的な類似性がないかもしれないと言うのです。それは、発達の不連続性です。同様に、ある成熟した行動が多くの異なる先行事項から発達したものでありうると言います。デザイン特性の議論は、R & Tやファンタジー遊びをめぐってたびたび行われてきました。R & Tについては、社会的、身体的に活発な遊びの側面がそれぞれ理論的に後の攻撃的/闘争的な状態や、心臓血管の健康と結びつけられてきたようです。

即時的利益

別の考え方では、遊びは成人行動の不完全版や未完成版ではなく、子ども期の特定のニッチに対して利益があるとされています。ベイトソンの用語では、遊びの直接的な機能は変身性であるとしています。特に、遊び行動やその有益な結果は、発達の特定の時期に特有のものであり、たとえば、発達が不連続的であるといった理由からそれらの結果が後の発達に及ばす利点がわかりにくい場合もあります。即時的な機能は、ある特定の時期に対する遊びの効用を反映しているかもしれないのです。このように、ビョークランドらは遊びを子ども期という文脈に対する限定的な適応と考えていると言います。たとえば、子どもの遊びに伴う達成感や自己効力感はおそらく、子どもが新しく異なった活動を試みていくことに関連しているだろうと言います。いったん活動が選択されると、維持されるべきなのです。そして維持することによって今度は特定のスキルを学習する機会が得られると言うのです。

同様に、男児のR& Tは大げさな動きと遊びの表情で、遊びの意図を伝えながら社会的シグナルを学習し、実践する方法として役立っているだろうと言うのです。さらに、R & Tは男児が仲間集団内でリーダーシップを形成し、他者の力を評価する方法でもあると言うのです。R&Tには社会的ではない即時的な利益もあると言います。骨格や筋肉の発達に重要な、活発な身体的運動をする機会を与えていると言うのです。

機能は、費用便益分析や、遊びのデザインや文脈的特性を考慮すること、遊びの構成要素を実験的に高めたり、剥奪したりすることなど、さまざまな方法で推測することができると言います。

費用便益分析は、機能的重要性が明白なケースを立証するために用いることができ、行動生物学の文献で一般的に用いられているそうです。この方法では、自然淘汰されるものは利益がコストを上回るはずであることを前提としているそうです。すなわち、コストと利益の見合いが前提とされるのです。高いコストには高い利益があるはずであり、コストが低い場合には、利益が低い場合も高い場合もあるのです。

遊びに関するコストは、カロリー消費や時間、生存という点から定義できると言います。たとえば、研究の証拠によれば、遊びの文脈で子どもが負傷することがあり、多くの子どもが、自転車に乗っているときの負傷が原因で死亡しています。遊びに関するカロリーのコストもあります。遊び、特に身体的な遊びにはエネルギーが必要であり、遊びに必要なエネルギーは、たとえば、基礎代謝や成長、より直接的な個別学習に必要なカロリーなどの他のカロリー必要量と照らし合わせて考慮しなければならないと言うのです。遊びのカロリーコストに関する多数の動物の文献や、もっと数は少ないのですが、子どもの文献から、遊びは使用可能な総力ロリー量の10%以下しか消費しないことが示唆されているそうです。

費用便益分析には難しい点もありますが、遊びを研究する方法として有望であると言います。その主な理由としてあげられるのは、自然な生態環境で子どもを研究することが可能なことです。コストの研究は一見、遊びを理解するための基礎的事項と思えますが、その研究は驚くほど少ないようです。そのため、この方法に従って、遊びに伴うと考えられる利益の大きさをあげることはできないと言うのです。

遅延的利益

ティンバーゲンは、行動の意味の理解に不可欠な、4つの問いを提唱したことは随分と前になりますが、紹介しました。その古典的な問いは、「その行動によって生物にもたらされる即時的利益は何か?」「その行動によって生物にもたらされる即時的結果は何か?」「その行動は種の中でどのように発達するのか?」「その行動は、種としてどのように進化してきたのか?」であり、これらの問いに答えるには、発達的視点が不可欠であるとしています。この古典的な「4つの間い」に従うと、機能には社会科学と行動科学において、少なくとも2つの意味があるとビョークランドは言っています。究極的には、機能はその種にとっての生物学的適応の進化の歴史という点から定義することができるというのです。それは、何世代にもわたって、主として個体がうまく生存し繁殖することを高めるようある行動が付加されてきたなら、その行動はこの「究極的な」意味で機能的であるからです。

淘汰に関する進化の歴史には関係なく、どんな個体にとっても生涯の間に有益な結果が生じるという点から機能を定義することもできると言います。したがって、この意味の機能は個々の遊ぶ者の生涯に生じる成果のことなのです。利益は子どもの頃にすぐさま生じるかもしれないし、大人になるまで遅延するかもしれません。たとえば、社会的な身体的遊びは仲間集団との交友という点で、即時的な価値をもつでしょう。あるいは、遅延的利益をもたらし、後に社会的な合図を符号化し、解読できるようになる能力と関連しているかもしれないのです。

ケイガンによると、ピアジェやヴィゴツキーも含めて大半の発達理論家は、遊びの利益は子ども期ではなく、後の発達でどのような価値があるかという点から理解されると主張しています。彼らの主張は、とても重要なことを示唆していると私は思います。なぜならば、子どもの行動、行為は、これから先の人生において、意味あるものとして準備期であるからです。保育所保育指針にも、「子どもが現在を最も良く生き」るのは、「望ましい未来をつくり出す力の基礎を培うために」です。以前のブログで、ビョークランドが愛着について考察しているところで、最近の愛着に関する知見では、愛着システムは、乳児の生存を促すことに加えて、個体がその後の環境に適応するために進化してきたという説明がされているそうです。現在、情緒が安定する、しないだけでなく、その後の環境に適応するためにそのシステムを進化させてきたというのです。それが、遅延的利益というのでしょう。

ケイガンは、遅延的利益という考え方は、発達心理学者がヒトの発達における初期経験の重要性にとらわれていることに原因があるのではないかと指摘しています。この考え方では、遊びは後に成人としての機能を果たすための準備として役立つと言うのです。そのため、遊びは成人行動の不完全版と見なされてしまうのです。先に述べたように、遊びにおける性差は、男児と女児がそれぞれ成人して担うと考えられる異なる役割を果たすための準備として解釈されることが多いのです。

べイトソンはこれを遊びの足場作り的な見方と呼びました。つまり、遊びはスキルを組み立てていくなかで機能し、スキルが完成すると解体されるというのである。遅延的利益をもつ遊びの古典的な例は男子に特徴的な戦いごっこであり、成人の狩りと戦いのスキルの訓練と見なされるのです。

様々な形式の遊び

「ジョアン:うわぁ、赤ちゃんがベトベトだ。スーザン:うわぁ、ベトベト。ジョアン:きれいにしてあげて。スーザン:終わったよ。ジョアン:赤ちゃん病気なの。」という会話の最初の4つの発話は、共通のテーマである汚れた赤ちゃんが中心です。しかし、5番目の発話でテーマが変わっています。年齢と共にこれらのテーマはより関連するようになり、道具に依存的でなくなります。医者の道具のように、明示的なテーマをもつ道具はどのような相互作用をすべきかを明示することによって、ふりの相互作用の「足場」や支えとして働きます。そしてそのときの相互作用は、意味やふりによる変換をことばであまり詳細に説明しなくてもいいのです。就学前期の終わりまでに、大半の子どもは曖味な道具を使って最小限の大人の支えだけで、社会的なふり遊びをうまく開始し、続けていくことができるようになるのです。

就学前期のファンタジー遊びにも確実に性差があるようです。女児は男児よりも頻繁に、かつ精緻なレベルでファンタジー遊びをするようです。女児のふり行動は、家庭に関するテーマや劇的なテーマを中心に繰り広げられる傾向がありますが、男児のふり行動はより空想的で、身体的に活発であり、戦いごっこやスーパーヒーローのテーマが同時に起こることが多いと言われています。そのような性差の潜在的な機能的性質について要約すると、ファンタジー遊びは、就学則の子どもが家庭や学校で過ごす時間の12~15 %を占めています。性も遊びにおける社会的な相手もやはり、その割合に影響を与えると言われていますとビョークランドは言います。

乳児や幼児の生活時間とエネルギー量における、さまざまな形式の遊びが生じる割合を概観した結果をまとめてみたのが次の表です。

引用したデータから、すべての形式の遊びが逆U字型曲線を描き、遊びの形式によってピークが異なることが示唆されています。たとえば、身体的に活発な遊びとファンタジー遊びはどちらも5~7歳頃にピークを迎え、それぞれ子どもの生活時間の10 %と25 %を占めています。これだけの時間が投資されていることから、遊びはたしかに何らかの機能を果たしていると言い切ってよいだろうとビョークランドは言います。これだけのコストをかけていることを考えると、機能が何もないのに自然淘汰によって遊びが残ったとは考えにくいからですs。この議論をさらに検討するために、遊びのコストと、考えられる利益の関係についてあらに彼は考察しています。

これまで見てきたように、行為者に明らかに即時的利益が何もないように見える場合、行動は遊びと分類されることが多いようです。しかし、おそらく逆説的になりますが、遊びは通常子どもの発達に重要な機能を果たしていると見なされています。この逆説は、次のように仮定することによって、一定程度折り合いをつけることができるようです。つまり、遊びには一見、即時的な機能が欠如しているのですが、実際には、発達における遅延した機能、あるいは、遊ぶ者、そして観察者さえが気づかない即時的な機能が隠されているとするのです。動物の遊びや、子どもの遊びの研究者は、遊びに仮定される無数の発達的機能について議論してきました。それらの大半は、遅延した機能に関わるものであり、遊びの即時的な機能は子どもの発達に関する文脈はほとんど見られないとビョークランドは言っています。

ファンタジー遊びの性差

女児の方がファンタジー遊びを好むという性差は、言語課題で女児が男児より優れているという結果と一致しています。ファンタジー遊びにおける性差に関するさらなる考察をビョークランドは行っています。

遊びのテーマは一般的に、利用できる道具に内在するテーマに従うことになります。驚くことではないのですが、子どもが医療に関するテーマを示す道具を使って遊んでいるときには、その遊びはその医療のテーマに従って進んでいきます。いわゆるお医者さんごっこをしているときです。しかし、プロックや廃物の発泡スチロールなど、道具に明示的なテーマがあまりない場合には、遊びのテーマにはもっと多様性があります。さらに、道具にあるステレオタイプ的な性役割は、ふり遊びの精緻さの度合いやレベルに影響を及ぼすことがわかっています。人形など女児が好むおもちゃを使って男児が遊ぶ場合は、男児が好むプロックなどのおもちゃを使って遊ぶ場合よりも精緻ではないそうです。実際、年長の就学前の男児が、女児が好む道具を使って遊ぶときには、年少の男児がそれらで遊ぶときよりも精緻ではありません。私たちは、このあたりをもっと意識して保育の中で観察する必要がありそうです。

このことから、子どものふり行動は、この時期に性役割のステレオタイプに準拠し始めることが示唆されます。つまり、男児は女児が好む道具を使って遊ぶことは避けるべきものと見なすようになります。この議論と一致して、女児が男児の好む道具を使って遊ぶ場合は、女児の好む道具を使った遊びよりも精緻ではありません。

歩行期の男児は女児より、異性の活動や遊び道具を避ける傾向が高いことを実証した研究もあるそうです。たとえば、25ヶ月の女児はステレオタイプ的に男性的な活動、女性的な活動、中性的な活動を同程度に模倣しましたが、男児は対照的に女性的な活動よりも男性的な活動と中性的な活動を模倣することが多かったそうです。さらに男児は2歳の時点で、中性的な道具を使って相互作用する時間が長く、性のステレオタイプについての知識をもち、女性的な活動を避けていました。男性役割に与える社会的価値の大きさもたしかにこの性差の一因となっているでしょうが、これだけ幼い時期に性差が現れることから、男児は女児よりも早くから強く性ステレオタイプ的な行動をとりやすい可能性があることが示唆されます。

3歳を過ぎるまでに、ふり遊びは、仲間と共にかなり精緻に社会的役割遊びを行うスキルを伴うものとなるようです。こうした社会的な役割遊びをスミランスキーは「社会劇的遊び」と名づけていますが、かなり複雑な物語が演じられていることは、よく現場では見ることができます。たとえば、 2人の3歳児が、医者の道具と人形を使って、相互に関連した一連の短い会話のやりとりをつなぎ合わせて遊ぶかもしれないのです。たとえば、こんな子ども同士の会話をビョークランドは紹介しています。ジョアン:うわぁ、赤ちゃんがベトベトだ。スーザン:うわぁ、ベトベト。ジョアン:きれいにしてあげて。スーザン:終わったよ。ジョアン:赤ちゃん病気なの。

このような会話を私たちも聞くことが多くありますね。

異年齢によるふり遊び

ファンタジー遊びは社会的な変数にも、さらには遊び道具にも影響を受けるようです。たとえば、幼児がファンタジー遊びをすることが多いのは、 1人でいるときよりも誰かと一緒に遊んでいるときであり、特に母親は子どもの高レベルの象徴遊びを引き出しています。ヴィゴッキーの発達の最近接領域という考えと一致して、より技量が高く、適切に場を構築していける相手と相互作用する幼児は、そういう支援がない場合より、より早くスキルを進歩させるということがわかっています。たとえば、母親と21ヶ月児の遊びを調査した研究では、多くの母親は現在子どもが示すレベルか、それより少し上のレベルの遊びに調整することが観察されたそうです。さらに、遊びの発達をよりよく知っている母親は、あまり知識のない母親よりも、子どもとの遊びのレベルを上げていく傾向が強く、適切に取り組みがいのある遊びの相互作用を生み出していたそうです。もちろん、遊びの発達をよく知っている保育者では、当然子どもの遊びのレベルを上げているのでしょうね。

子どものファンタジー遊びは、年長の子どもやきようだいと遊ぶというかたちで年長者の支えを受けているという観察は、狩猟採集社会のデータや、進化適応の環境についての仮説とも一致しているそうです。狩猟採集社会において、子どもは他の子どもと過ごす時間が多かったのですが、子どもたちは同年齢ではなく、異年齢集団だったようです。幼児のファンタジーはこの場合、年長の同種個体によって支えられているのです。小学校の勉強ではなく、子どもの遊び相手を同年齢に限定するような就学前施設はおかしいですね。子どもの遊び相手は、人類の誕生以来ずっと異年齢であることが多いのです。

関連研究で、母親と安定した愛着を築いている子どもは、愛着の不安定な子どもと比較して、より巧みなふり遊びをすることが示されているそうです。たとえば、安定した愛着をもつ子どもは遊びの相互作用を始めることが多く、遊んでいるときの母親との相互作用は、不安定な愛着をもつ幼児よりも積極的な傾向があったそうです。さらに、母親は息子とよりも娘と頻繁に象徴遊びをする傾向があったそうです。また、子どものふり行動は顔見知り程度の相手と比べて、友達と遊んでいるときの方が持続的で複雑であったことがわかりました。友達との相互性や情緒的な関わりは、子どもたちに協力的な相互作用を維持する意欲を与えるのかもしれないと推測されます。

このあたりの研究と考察は、保育をするうえでとても参考になりますね。子どものふり遊びを促進するために、どのような人という環境を用意すればよいのかの参考になります。

社会的なファンタジー遊びに関して、子どもは通常、役割を交渉する過程で、たとえば「お医者さんはそんなこと言わないよ」など、心的状態や認知的状態を口にします。社会的なふり遊びでは、ことばで明確に意味を表現しなければならないので、子どもはことばについてより考えるようになると言われています。このことは、現実の会話よりも遊びの中で起こることが多いのです。それは、遊びの中の会話では、詳細に説明しなければ抽象的で曖味になってしまいやすいからです。ことばで話す能力は、特に子どもの、自分の母語の音のシステムを支配する規則への気づきである音素意識や、後の学校で行われる読みと関連しています。読みの学習における重要な構成要素に、子どもが文字と音の一致を学習することがあり、ファンタシー遊びはメタ言語能力や初期の読み能力を促進する重要な要因であるのです。