間違った見方

なぜ私たちはこんなにも長く赤ちゃんについて間違った見方をしていたのでしょう?4歳以下の幼児(この記事ではこの年齢の子どもについて述べる)をぱっと見ただけなら、たいしたことは何もしていないと思えるでしょう。なにしろ、赤ちゃんはおしゃべりができません。5~6歳の子どもですら自分の考えを言葉で表現するのが上手いとは言い難いです。平均的3歳児に自由に答えさせるような質問を投げかけると、ある意味面白いですが、思いついたことを連ねただけの不可解な独り言が返ってくるでしょう。

この分野の先駆者であるスイスの心理学者ピアジェなどの初期の研究者は、子どもの思考自体が不合理で非論理的、自己中心的で、原因と結果の概念すらない咽果関係がわかる以前”のレベルだと結論づけたのです。

1970年代後半になると、新しい手法として、赤ちゃんや幼児の話の内容ではなく行動に注目するようになりました。赤ちゃんは予測できることに比べ奇抜で予想外の出来事を長く見つめるので、そこから赤ちゃんがどんなことが起こると期待していたのかがわかるのです。そして、積極的な行動を調べれば、より強力な証拠を得ることができます。何に手を伸ばし這って近づこうとするのか、周りの人々の行動をどのように真似るのかを観察するのです。

幼い子どもは自分が思っていることを言葉で人にうまく伝えられませんが、実験者が注意深く工夫すれば、そこから子どもの考えを引き出すことができます。例えば、ミシガン大学アナーバー校のウェルマンは、子どもが自然に口にする会話を録音して分析し、子どもの考えを知る手掛かりとしました。よく的を絞った質問をする方法もあります。例えば、自由回答式ではなく2択の質問をするのです。

1980年代半ばから1990年代にかけてこのような方法を使って研究が進められ、赤ちゃんが周りの世界についてかなりの知識を持っていることがわかりました。赤ちゃんは、“今”や“ここ”の枠にとらわれない考え方ができるのです。

イリノイ大学のベイラージャンやハーバード大学のスペルクらは、幼児が運動の軌跡や重力、中に何が入っているかなどの単純な物理的関係を理解していることを発見しました。子どもは物理的に自然な出来事よりも、固い壁からおもちゃの自動車が現れるといった不思議な現象をより長い時間見つめるのです。

3 ~4歳になるころ、子どもは生物学的な基礎知識を得て、成長や遺伝、病気について理解し始めるということがわかりました。このような理解力があることから、子どもが見た目より深いところから物事について推論しているのがわかると言います。ミシガン大学のゲルマンは、幼児が動植物の“本質”に気付いていることを発見しました。生物には、外見が変わっても変わらない、目に見えない芯のような存在があると、子どもは理解しているのだと言うのです。

赤ちゃんと幼児が知っていることで最も重要なのは、他者に関する知識です。ワシントン大学(シアトル)のメルゾフは、新生児でも人間は特別な存在であることを理解していて、人の表情を真似ることを示しました。

意外な脳力

今年訪問したドイツの園で、どこでも行われていた「オープン保育」からは、自由遊びの価値をもう一度取り戻そうという考えが根底にあるようです。ですから、最初に取り組むきっかけとなった、OECDが行っているPISAの学力調査の結果から、乳幼児教育を見直す際に「遊び」を中心にすることはブレずに始まったのでしょう。

それから、取り組む際に懸念していた保育者たちを動かした子ども観には、白紙論が否定されてきたことがあると思います。このことについて、同じ別冊日経サイエンスの中で、以前ブログでも何回か紹介したカリフォルニア大学バークレー校の心理学教授と哲学の客員教授をしているA・コブニックが「子どもの意外な“脳力”」という記事を書いています。彼女は、他者も心を持つことを理解し、相手が自分とは違うものを信じたり、欲したりする場合があると理解する能力である「心の理論」の草分け的研究者として有名です。

これらの研究から、子どもは科学的取り組みをする存在であるということがわかってきました。それを根拠にしているかわかりませんが、ドイツにおける「小さな科学者たち」という取り組みでしょう。最初にドイツに行ってその取り組みを見た時には、随分と高度な、また、早期教育的なイメージが強かったのですが、ここ30年くらいの間に、子どもは科学者のように実験をしたり、統計的に分析したり、物理や生物、心理に関する理論を直観的に組み立てたりしながら、周りの世界について学んでいることも明らかになってきました。そのことを根拠に幼児期から科学的実験や科学的考察をさせる取り組みが始まったのかもしれません。

そんなことを踏まえて、A・コブニックの「子どもの意外な“脳力”」を読んでみたいと思います。まず、触れているのは、白紙論の見直しです。いわゆる「赤ちゃんは白紙で埋めれ、その絵を描いていくのが保育の仕事である」と思ってきたことについてです。

30年ほど前には、心理学者や哲学者、精神科医のほとんどが、赤ちゃんや幼児は理不尽で自分本位なうえ、道徳概念がないと考えていました。子どもは“ここ”と“今”という枠に縛られていて、因果関係を理解できず、他者の経験を想像することも、現実と空想を区別することもできないと思われていました。いまだに子どもを未完の大人と考える人は多いようです。

しかしこの30年間で、ごく小さな赤ちゃんでさえ私たちの想像以上にさまざまな知識を持っていることがわかってきました。さらに、子どもは科学者のように実験をしたり、統計的に分析したり、物理や生物、心理に関する理論を直観的に組み立てたりしながら、周りの世界について学んでいることも明らかになってきました。

2000年頃から、このような幼い子どもの優れた能力を支えるメカニズムについて、コンピューター科学や進化、神経科学の観点を取り入れた研究が行われるようになりました。こうして得られた画期的な発見は、赤ちゃんや幼児に対する私たちの概念を変えただけでなく、人間の本質についての新たな見解をもたらしたのです。

生活に遊びを

最後に、別冊日経サイエンス」に「遊びが必要な理由」という記事を書いたサイエンスライターであるM・ウェンナーが最後に「勉強ばかりで遊ばないと…」というコラムでまとめています。

「発達中の脳に遊びがよい効果をもたらすことばかりが強調されがちですが、遊びが大人にとっても重要であることがわかりました。遊ばずにいると、大人もやがて「めちゃくちゃな忙しさのせいで燃え尽きてしまうかもしれない」とコロラド大学ボールダー校の進化生物学者ペコッフは言っています。遊ばない大人たちは、どうしてそうなってしまうのかわからないまま、みじめに疲れ果ててしまうこともあります。では、どうやったら大人は、生活にもっと遊びを取リ入れることができるのでしょうか?カリフォルニア州カーメルバレーの全米遊び研究所の創設者て精神科医のブラウンは3つの方法を勧めています。

・体を使う遊び

記録や成績のない運動に参加する。脂肪を燃焼させるためだけに運動しているなら、それは遊びとは言わない!

・物を使う遊び

楽しむために手を使って物を作る。どんな物でもかまわない。この場合も、特別な目標を定める必要なない!

・人と交わる遊び

とくに目的のないことをしている人々の輪に入る。「世間話でも討論でもいい。」とブラウンは勧める。

「自分の子どものころの遊びの”真の目標”は何だったのかを見つけ、そしてそうした思い出を、現在の状況にフィットする活動に移すといい」とブラウンは言うのです。子どもといっしょに少しばかリ時間を過ごすとうまく思い出がよみがえってくるかもしれないと、テネシー大学の進化生物学者、バーガードは言います。

結局のところ、大事なのは、どんな遊びをするかではなく、遊ぶかどうかだというのです。「必ず遊ぶようにするには、 1日のスケジュールに遊びの時間を組み込むのがよいだろう」と、ベコッフは提案しています。「仕事というのは.やリ終えられるものなのだ」と彼は言います。

「実際、遊ばなかったからといって、その分たくさん仕事ができるとは思えない」。遊ぶことによって得られる幸福感や新たなエネルギーは「“失った”時間を埋め合わせて余りあるものを与えてくれる。」とバーガードも付け加えています。」

遊びの大切さは、他の動物でもいえることのようですが、ここで挙げられた要素のうち、「物を使う遊び」には、「手を使って」が必要になります。それは、私たちホモ・サピエンスの他の動物と区別する要素を感じます。同時に「人と交わる遊び」からは、子ども集団の存在が必要であることから、少子時代での園の役割を感じます。自由遊びが最近減ってきた理由が、こんなところにも原因がありそうです。もう一度、園の保育の在り方を考えることが必要のようです。

 

学習体験

しかし、遊びが子どもの頭を良くするかもしれないのはなぜなのでしょうか?動物研究者は、遊びは予測していないことに対処する一種のトレーニングとして役立つと考えているそうです。「遊びとは万華鏡のようなものだ」とコロラド大学ボールダー校の進化生物学者べコッフは言っています。遊びは無作為で、創造的なものなのです。遊びは柔軟性と創造性を培い、それが将来の予期せぬ状況や新しい環境において有利に働くのかもしれないと彼は考えているそうです。

タフツ大学の幼児発育の専門家工ルキンドなどの児童心理学者はこれに同意しているそうです。「遊びを通して子どもは学ぶ。だから、遊びがないと、子どもは学習体験を逃すことになる」と彼は言っているのです。

遊びが非常に重要であるなら、十分に遊ばなかった子どもはどうなるのでしょうか?それはだれにもわからないそうですが、多くの心理学者がこのように懸念しています。遊びにはいくらかのリスクが伴うにもかかわらず、遊びが進化していまも残っているのは、生存における利点があるからだろうと考えられます。どんなリスクかというと、たとえば、もし、遊びに熱中して注意深さがなくなり、警戒を怠った動物は、捕食者に襲われる危険があります。「遊びが重要でないなら、このような精巧な形に進化したりはしなかったはずだ」とベコッフは言っています。

実際、遊びは進化的にかなり古いという証拠があるそうです。意識的思考や意思決定などの高次な思考にかかわる大きな脳領域である新皮質を切除されたラットは、それでも普通に遊ぶそうです。このことから、遊びの動機は、哺乳動物が進化する前からあった構造である脳幹に由来すると考えられます。1994年にこの実験を率いたパンクセップは「遊びのための中心的神経回路が脳の非常に古い部分に位置していることを意味している」と説明しているそうです。

もちろん今日の多くの親たちは、子どもたちにとって最良の道だと思うからこそ、子どもたちの自由遊びを削って、親たちが貴重と考える学びの活動をさせているのでしょう。また、母親や父親の中には、大人の監督なしに子どもを外で遊ばせるのをためらう人もいるでしょうし、戦闘ごっこや荒っぽい空想遊びで擦り傷をつくったり骨を折ったりするのを心配する親もいるかもしれないとカナダのレスブリッジ大学の行動神経科学者ペリスは言います。

親が心配するのはあたりまえですが、子どもを保護しすぎるのは「コストを先送りしているだけだ。子どもたちは将来、予測不可能で複雑な世界で、困難に対処しなければならなくなるのだから」とペリスは言います。「社会的な遊びの経験が豊富な子どもは、予測できない社会的な状況に対処できる大人になる可能性が高い」とも言うのです。

親たちは子どもを子どもらしくさせておくべきだと言います。それは単に子ども時代は楽しくあるべきだからというだけでなく、「子どもの束縛のない喜びを否定すると、子どもの好奇心や創造性が伸びないからだ」と、エルキンドは警告しています。

ゾーン遊びの意味

「遊びに対する見方を変えるべきだ。そして遊びを勉強や仕事の正反対に位置するものととらえるのではなく、むしろそれを補うものと考えなければならない」と彼は言います。さらに、「好奇心、想像力、そして創造性は筋肉に似ている。使わなければ、衰えていくだけなのだ」と主張しているのです。

このように、自由遊びには、様々な意味で、様々な分野において大切であることがわかります。この記事の中には、それを補足するコメントが書かれてあります。

この内容のキーコンセプトとして三つに整理されています。

・子ども時代の遊びは、社会的、感情的、知能的発達にきわめて重要だ。

・ゲームや体系的な活動とは全く逆の、空想的で荒っぽい「自由遊び」は必要不可欠な活動だ。

・幼少期に遊ばない子どもや動物は、社会にうまく適応できない不安を抱えた大人になる可能性がある。

また、文章の中に、こんなことが強調されています。

・遊びの創造的側面は、あらかじめ決められたルールに従うよりも、発達中の脳にとってずっとよい刺激になる。

・愚かな破壊行為だなんて、とんでもない。日用品を使って、ふつうとは違った方法で(ときに非常に散らかることはあるが)遊ぶ子どもたちは、創造性を発達させている。

・コミュニケ―ションの方法を身につける:犬が、軽く噛んだり、転げまわったりするのは、仲の良さと楽しさの証拠だと全身で語っている。同じように、遊びは人間の子どもたちにも、うまくコミュニケーションをとるやり方を教える。

・脳の発達に効果:だれか別の人の服装をしたり真似をしたりするのは、心理学者の言う「自由遊び」のひとつだ。系統だっていない空想的な遊びは、脳の発達に最も効果がある。

・問題解決脳力を育てる:多くの子どもたち、とくに男の子は.戦闘ごっこや取っ組み合いが大好きだ。交代で「勝者」になることで、子どもたちはギブ・アンド・ティクなどの社会的スキルを学ぶ。このような戦闘ごっこは、創造性や問題解決能力の発達にも役立つことが示されている。

・言語発達を促す可能性も:ある研究で、積み木で遊んだ子どもは、積み木を持っていない子どもよりも、言語のテストで高い得点を上げることがわかった。その理由は、積み木を持っている子どもは、テレビを見るなどの非生産的な活動をする時間が単に少ないからなのかもしれない。いずれにせよ、その結果、良い効果が生まれたことは確かだ。

これらの考察を見ると、ゾーン遊びはとても意味あるもののようです。ブロックゾーンでは、積み木遊びが展開されています。そこでは、言語発達が促されていくでしょう。制作ゾーンでは、廃材などを使って様々なものを子どもたちは創造していきます。時には非常に散らかることもありますが、創造性を発達させていきます。また、ごっこゾーンでは、別の服装をしたり、真似をしたりしています。その遊びには空想力が必要なため、脳の発達に効果があるでしょう。特に男たちはじゃれ合って遊ぶこともするでしょう。そこからは問題解決能力が育っていきます。異年齢集団の中では、役割を交代することから、子どもたちはギブ・アンド・テイクなどの社会的スキルを学んでいきます。

問題を解決する

ペレグリーニはこんなことを問いかけています。こうした研究からどのような因果関係を引き出せるのかということです。「遊びはどんな作用をもたらすのでしょうか?遊びは何かを学ぶための下地となるため、スキルを学び取る前に遊ぶことが必要なのでしょう?それとも、すでに発達しつつあるスキルの単なる練習、つまりスキルを強化するだけなのでしょうか?」などの疑問です。しかし、それはだれにもわかりませんが、「どちらにせよ、遊びはある程度は有益なのだろう」と彼は結論を下しています。

では、遊びが不足すると問題解決スキルの発達が妨げられるのでしょうか?動物実験によると、そうだと思われているそうです。1978年にDevelopmental Psychobiology誌に発表された論文では、若いラットを金網の仕切りで隔離しました。ラットどうしは見たり、匂いをかいだり、他のラットの声を聞いたりはできますが、遊ぶことはできません。隔離はラットが最もよく遊ぶ発達期間に20日間続けられました。その後、これらのラットと、制約なく自由に遊ばせたラットのグループの両方に、おやつを手に入れるためにゴムボールを引張ってどかす訓練をしました。数日後、実験のセッティングを変えて、おやつを手に入れるためには同じポールを押さなければならないようにしました。

隔離されていたラットは遊ばせたラットよりも、新しいやり方を試みるのに、つまり間題を解決するのに、はるかに長い時間がかかったそうです。論文の著者は、動物は遊びを通して新しい試みをすることを学ぶのだろうと推測しているそうです。遊びをしなかった動物は、こうした行動の柔軟性を獲得しないのでしょう。

どうもここまで自由遊びの効果を見てみると、どうも1歳児おける探索活動の効果に似ている気がします。ということは、自由遊びは、一種の探索活動のようです。それは、その行動自体の意味だけではなく、その後に起きるであろう様々な状況においての、一種の下見に近いものである効果が示されているようです。探索活動も、指示された行動ではなく、自由行動の一種なのです。探索活動は、大人が決めた場所、ルートに沿っての行動でなく、とくに目的がなく、あらかじめ決められたルールに従うよりも発達中の脳にとってずっと良い刺激になるのではないでしょうか?

それだけではないことが他の研究でも占めさえています。The Archives of Pediatrics & Adolescent Medicine誌に2007年に発表された研究によると、遊びは言語発達も助けるようです。ワシントン大学(シアトル)の研究者たちが、中所得から低所得の家庭の18カ月から2歳半の子どもに積木の箱を与えました。その子どもたちの親と、積み木を与えなかった同様のグループの子どもたちの親に、どれくらいの頻度で子どもが遊んだかを記録し続けてもらったそうです。6カ月後、積み木で遊んだ子どもは、他の子どもたちよりも、言語テストの得点が明らかに高くなったそうです。しかし、こうした改善が積み木遊びそれ自体の効果なのかどうかはわからないといいます。なぜなら、積み木で遊ぶことによって、テレビを見るなどの非生産的な活動の時間が減った面もあるからです。

ストレス軽減

また、動物実験でも、遊びがストレスを軽減するのを助けるという考えが裏付けられています。このような概念は神経科学では「社会的緩衝」と呼ばれているそうです。2008年に発表された研究で、ゲティスバーグ大学の神経科学者シヴィは、複数のラットを1つの箱に入れ、その箱に、以前にネコが付けていた首輪を入れました。するとラットは目に見えて不安を示しました。その後、箱を清掃して、ネコのにおいがない状態にしてから、ネコの首輪は入れずにラットだけを箱にもどしましたが、ラットは即座に不安な様子を見せはじめたそうです。おそらくラットは、その場所とネコを関連づけたのでしょう。

ところがシヴィたちがその後、ネコの首輪をそばに置かれたことがなく、不安を感じていない別のラットをその箱に入れると、先に箱に入れられていたラットと新しいラットは、追いかけっこをしたり、転げまわったり、じゃれあったりして遊びはじめたそうです。そしてしばらくすると、最初に箱に入れられていたほうのラットはリラックスして穏やかになったそうです。遊びがラットの不安を軽減させるのを助けたと思われます。ストレスとか不安は、仲間との遊びが軽減させたようです。

ストレスを緩和し、社会的スキルを身につけるのに、どうやら遊びが役に立つらしいことがわかりました。それだけではないようです。研究データによると、遊びには第3の、直感には反する効果があることが示唆されているそうです。遊びは実際に子どもを賢くするようなのです。

1973年、Developmental Psychology誌に発表された古典的な研究で、研究者は90人の就学前児童を3つのグループに分けました。第1のグループは、ペーパータオルの山やドライバー、木の板、クリップの山といった日用品で自由に遊ばせました。2番目のグループはその4種類の品物を使用する実験者の真似をさせました。最後のグループはテープルに座って、何も見ずに自由に絵を描かせました。それぞれ10分間活動させた直後、これらの品物の1つを指して、それをどう使うかを子どもたちに考えてもらったのです。品物で遊んだ子どもは平均すると他の2つのグループの子どもの3倍も、一風変わった創造的な使い方を挙げたそうです。このことから、遊びが子どもたちの創造的思考を伸ばしたと考えられています。

この研究は、私たち保育者にはとても意義あるものです。いわゆるゾーンでの遊び方のヒントがあるのです。ある大学の造形が専門の研究者が、造形指導といって、多くの子どもたちに造形の指導をして作ってもらった作品と、造形ゾーンで自由に子どもたちに造形活動をした作品の違いを研究した論文を読ませてもらったことがありました。はっきり覚えていませんが、それは、どちらがいいということではなく、その作品はだいぶ違っていたというようなものだった気がします。

戦闘ごっこもまた、間題解決能力を育てることがわかっています。1989年にペレグリーニによって発表された論文によると、小学生の男児のうち、大暴れして遊んだ子のほうが、社会的な問題解決のテストでの得点が高かったそうです。テストで研究者は、仲間の子どもからおもちゃを手に入れようとする子どもの写真5枚と、母親に叱られないようにしている子どもの写真5枚を被験者の子どもたちに見せました。それから被験者の子どもたちにそれぞれの社会的間題を解決できる方法をなるべくたくさん挙げてもらったのです。彼らが考えついた戦略のパラエティーに基づいてスコアを決めたところ、戦闘ごっこをした子どもはスコアが高い傾向にあったそうです。

脳の行為の領域を社会化

遊ばないと社会的スキルが身につかないという考えを裏付ける動物実験結果があります。1999年にBehavioural Brain Research誌に発表された研究によれば、ラットを生後4~5週の最もよく遊ぶ発達時期に2週間隔離しておき、その後の他のラットといっしょにすると、同時期に隔離されなかったラットと比べて社会的な活動が非常に少なかったそうです。

また、2002年にDevelopmental psychobiology誌に発表された研究では、幼若時に隔離して育てられた雄のラットは、優位な雄のラットから繰り返し攻撃を受けても、正常な回避行動を示さないことがわかったそうです。遊びの欠如が、こうした社会的問題を引き起こしたのでしょうか?それとも、社会的隔離そのものがいけなかったのでしょうか?

別の研究では遊びが、情動反応と社会的学習にかかわる「高位の」脳領域での神経の発達を促すことが示されているそうです。戦闘ごっこをすると、新しいニューロンの成長を促進する脳由来神経栄養因子(BDNF)というタンパク質がそうした領域で放出されることが2003年に報告されています。

対照群として13匹のラットを3、5日間自由に仲間と遊ばせる一方、同じ期間、別の14匹のラットを1匹ずつ隔離しておきます。ラットの脳を調べたところ、遊ばせたラットの皮質、海馬、偏桃体、橋は、遊ばなかったラットに比べて、はるかに高い濃度のBDNFを含んでいたのです。この論文の共著者であるワシントン州立大学の神経科学者パンクセップは「遊びには脳の行為の領域を社会化する重要な作用があると考えられる」と言っています。

さらに心の健康にも遊びがきわめて重要であることを示す研究結果があるそうです。おそらく、子どもは遊びよって不安やストレスに対処できるようになるのだろうと考えられているのです。1984年にChild Psychology and Psychiatry Journal誌に発表された研究では、 3歳児と4歳児の計74人を対象に、幼稚園の入園初日の不安の度合いを調べたそうです。不安レベルを測る指標として、だだをこねる、めそめそ泣く、懇願するといった子どもたちの行動と、手のひらの汗の量を用いました。研究者の観察に基づき、子どもたちひとりひとりについて、不安状態にあるかないかを評価した後、 74人の子どもを無作為に4つのグループに分けました。

半分の子どもたちは、おもちゃでいっぱいの部屋に連れていかれ、ひとりで、あるいは仲間の子どもたちと15分間遊びました。残り半分は、ひとりまたは複数の子どもといっしょに小さなテープルに座らせ、 15分間、教師が語るお話を聞かせました。

その後、子どもたちの不安レベルを再び評価したのです。すると、もともと不安だった子どものうち、遊んだほうの子どもは、話を聞いた子どもに比べて不安レベルが半分以下に下がったのです。初めから不安を感じていなかった子どもの不安レベルはほぼ同じままだったそうです。興味深いことに、仲間と遊んだ子どもより、ひとりで遊んだ子どものほうが、よりいっそう落ち着いていたそうです。それは、どうしてでしょうか?空想的な遊びを通して、子どもは幻想を築き上げることができ、それが困難な状況に対処するのに役立ったのだろうと研究チームは推測しているそうです。空想的遊びはひとりでいるときに最もうまくできます。

仲間との遊び

社会的スキルは、仲間と交流して、何が許容され、何が許容されないかを学ぶことで習得するのです。子どもたちは公平さや、交代することを学びます。ペレグリーニはこんな例を出しています。「いつも自分が妖精の女王にならないと気が済まない子には遊び仲間はいなくなってしまいます。子どもたちは遊びをずっと続けたいので、喜んでちょっと我慢して、他の子の願望を満たしてやるのだ」と説明しています。子どもたちはその活動を楽しんでいるため、欲求不満に直面しても、算数の問題が解けないときと違って、簡単にあきらめたりはしません。こうして粘り強さと、交渉能力が育っていくというのです。

まわりと円満にやっていくには、うまくコミュニケーションをとることが必要です。コミュニケーションは、社会的スキルの中でも、ほぼ間違いなく最も価値の高いものです。仲間との遊びは、この点で最も重要です。いくつかの研究で、子ども同士で遊ぶときのほうが、より洗練された言語を使うことがわかっているそうです。例えば、ごっこ遊びでは「実際には存在していないものについて話し合わなければならないので、仲間に自分が言おうとしていることをうまく伝えられるように、込み入った言葉を使わなければならない」とペレグリーニは説明しています。

例えば子どもが仲間に空想上のアイスクリームコーンを手渡しながら、ただ「パニラがいい?それともチョコレート?」と聞いてもだめです。何か手がかりになる言葉を加える必要があるのです。「パニラアイスとチョコアイス、どっちが食べたい?」といった具合にです。ところが相手が大人だと、大人のほうが足りない部分を補ってしまうので、子どもは楽をします。

遊びが子どもの社会化を助けるなら、遊びの不足は社会的発達を妨げるはずです。それを示唆する研究があるそうです。ミシガン州イプシランティの教育研究財団ハイ・スコープ・エデュケーショナル・リサーチ・ファンデーションが1997年に発表した論文によれば、落ちこぼれになる可能性が非常に高い貧しい家庭の子どものうち、遊びを重視する保育園に通った子どもは、絶えず教師によって命令される幼稚園に通った子どもよりも、大きくなってから、より社会的に適応していることが示されました。教師から絶えず指示される幼稚園に通った子どもの1/3以上は、 23歳までに重罪で逮捕されていました。一方、遊びを重視する保育園にいた子どもたちの場合は、逮捕者は1/10に満たなかったのです。

この文章を読んで、これを書いた人のイメージを知って、少し驚きました。もしかしたら訳した人の感覚かもしれませんが。ここで、保育園と幼稚園という施設の使い分けを、教師が絶えず指示する施設として幼稚園、遊びを重視する施設を保育園と言っています。ドイツでは、3歳以上の子がいる施設を幼稚園、3歳以下の子どもたちがいる施設を保育園と訳します。言葉は難しいですね。

しかし、そのイメージは大方のもので、同じ幼稚園でも、遊び重視の幼稚園に通った人のうち大人になってから停職処分を受けたのは7%未満なのに対し、直接教師から命令を受けていた人たちの1/4以上が停職処分を受けていたというデータがあるそうです。

どのような益

遊びは大切と言われながら、なぜ必要かをはっきりと分かっていない人が多いような気がします。また、遊びには、子どもにとってどんな力が育つのか、子どもの将来にどのように役に立つのかも知っておく必要があります。それは、子ども自身ではなく、その場、時間を保障しなければならない大人がする必要があります。そして、子どもにとっての遊びは、大人のそれとは違う役割があるとも言われます。しかし、どうも、大人にとっても遊びは大切なようです。特に、ルールに縛られない自由遊びが大切なのです。そんな特集が別冊日経サイエンスに取り上げられています。

遊びには、あらかじめ決められ、従わなければならない、優先されるべきルールはないので、より創造的な反応ができると言われています。このような創造的な側面は、発達中の脳にとって、あらかじめ決められたルールに従うよりもよい刺激となるため、きわめて重要であることがわかっています。子どもたちは想像力を使って新しい活動や役割を考え出すのです。

子どもは、自由遊びを自発的に始め、創造します。お医者さんや王女様のふりをしたり、ままごとをしたりといった、ごっこ遊びもあるでしょう。また戦闘ごっこをすることもあります。子どもたち(とくに男の子)は、取っ組み合いをしたり、投げっこをして遊びます。ときどき役割を交代するので、だれかがいつも勝つというわけではないのです。

これを聞いて、戦闘ごっこがいいのだろうかという疑問を持ちます。私たちは、子どもたちの遊びの中で、テレビからの影響された戦いごっこをする子どもたちに手を焼いています。しかし、どうもここで言う戦闘ごっことは、私たちが最近目にする子ども達の戦いごっことは少し違うようです。それは、そこにある要素が含まれているかです。それは、ここに書かれてあるように、ごっこ遊び同様、「ときどき役割を交代するので、だれかがいつも勝つというわけではないのです。」が必要です。特に、「ときどき役割を交代する」ということで、勧善懲悪の戦いでなければならないようです。

さらに、自由遊びは、動物に見られる遊びに非常によく似ていることから、重要な進化的ルーツがあることが示唆されているそうです。「動物の遊びの起源」の著者、パーガードは、 18年をかけて動物を観察し、遊びをどう定義したらよいかを学んだそうです。そこで、こんな条件を示しています。反復的であること(動物が新しい物体を一度軽くつついただけでは、その物体で遊んでいるとは言わない) 、自発的であること、そしてゆったりした状態で始められることが条件です。動物も子どもも、栄養を十分与えられないときや、強いストレスにさらされているときには遊びません。これは、とても大切な条件ですね。そして、最も大事なことは、観察されている状況において、その活動に明白な機能があってはならないことだそうです。つまり明らかな目的がないことが条件だと言うのです。

このような一見無意味な活動が子にどのような益もたらすでしょうか?おそらく最も重要なのは、遊びは強力な社会的スキルの発達を助けるのではないかという点です。「先生の言うとおりに行動しているだけでは、社会的竸争力を身につけることはできない」とペレグリーニは言っています。