2010年02月08日 [近頃思うこと]
バンクーバー
来週は、テレビも新聞も「バンクーバー」一色になるでしょうね。私は、30年ほど前にバンクーバーに行ったことがあります。それは、そのあと、そこから飛行機に1時間あまり乗ると着くカルガリーに行くためでした。カルガリーでは1988年に冬季オリンピックが開催されていますが、ロッキー山脈の麓とカナダ平原の間に位置し、氷河期の後に形成された湖に溜まった土砂が川に削られ、いくつもの丘が出来ているような場所です。ですから、そこからロッキー山脈とか、氷河に行ったのです。
また、バンクーバーへはまず、アメリカのシアトルで乗り換えていきました。ですから、バンクーバーは、シアトルとカルガリーの途中で立ち寄った街です。しかし、そこで宿泊をしたので、少し町を歩きました。その時の思い出がいくつかあります。
まず、町を歩いていると、アメリカ人の観光客に道を聞かれて焦った思い出です。どうも、現地の人だと思われたようでした。それは、たぶん私の顔がカナダの先住民族のカナダインディアンの顔をしていたからだったようです。カナダは、ずいぶんと昔から先住民族が住んでいたようです。今回のオリンピックのマスコットである3人の名前はSumi(スミ)、Quatchi(クワッチ)、Miga(ミガ)というのですが、スミは、 北米先住民の神話などにでてくるサンダーバードの羽を持つと言われている伝説の鳥です。また、バンクーバー冬季オリンピックのエンブレムのモチーフに選ばれたのは、INUKSHUK(イヌクシュク)という、カナダ先住民のイヌイット族が、石を人の形に積み重ねて作ったオブジェです。これを5色でカラフルに彩ったものを、この大会のマスコットとし、ILANAAQ(イラナーク)と名付けられましたが、これは、イヌイット語で「友愛・友だち」を意味するそうです。このように、先住民族を大切にしています。
もうひとつの思い出は、バンクーバーに行って食べるといいと言われてきたものが「ロブスター」でした。日本では、1990年ころにロブスターを食べさせるファミリーレストランができたのでなじみの食べ物になりましたが、私がカナダに行ったころは、まだ日本ではザリガニの大きいものというイメージでした。夜のレストランで、恐る恐る大きなアメリカンロブスターをいただいた覚えがあります。
もうひとつ、お土産に買うといいと言われてのが「ジンジャーチョコレート」でした。生姜入りチョコです。どうしてこれがバンクーバー土産なのかわかりませんが、もしかしたら、カナダドライジンジャーエールというように、カナダとジンジャーは相性がいいのかもいしれません。しかし、皆さんは、「ジンジャーエール」と「ジンジャエール」の二つの商標があるのをご存じでしょうか。「ジンジャーエール」の方は、コカ・コーラ社のカナダドライで、「ジンジャエール」の方は、アサヒ飲料のウィルキンソンです。
なぜ、カナダかというと1890年、カナダ人ジョン・J・マックローリンがトロントで生姜汁にフルーツジュースやフレーバーエキスを混ぜた飲料を製造し、ドラッグストアで売り出したのが始まりだからです。最近は、他にもジンジャー入りの飲み物が多くなりました。日本の生姜糖は今の季節にはうってつけですし、ジンジャーティー、ジンジャークッキーなどがありますが、最近、キャラメルジンジャーコーヒーというものを飲みました。これは、家庭でも簡単に作れますので試してみてください。カップにミルクキャラメル、せん切りにしたクリスタルジンジャー、牛乳を入れて、電子レンジで加熱し、湯で溶いたインスタントコーヒーを加えてよく混ぜ、好みでシナモンをふれば出来上がりです。体が温まり、冬の飲み物に最適です。
投稿者 fujimori : 23:12 | コメント (0)
2010年02月07日 [近頃思うこと]
冬の夜
ここ数日は、東京では寒波が勢いづいて、寒い日が続いています。先日、立春は冬と春の分かれる節目の日である「節分」が終わり、その翌日が「寒さがあけて春に入る日」いわば春の初日である「立春」でした。このように、暦の上で春になった途端に寒波が勢いづき、新潟、富山を中心に日本海側の山沿いでは大雪となっているだけでなく、雪雲は太平洋側でも覆っているようです。仙台で5cmの積雪(昨日正午)、名古屋周辺や北関東の平野部などでも、一部で雪となりました。これは、強い寒気が通過している最中に、雪雲に発達したからのようです。ニュースを見ると、アメリカでもワシントンなど北東部が、寒波に見舞われているようです。しかし、なかなか思うようにいかないのが「自然」です。北アメリカ大陸の西部には、まともな寒波はあまり来ていないようで、五日後、冬季オリンピックが開幕するカナダのバンクーバー周辺では、モーグルやスノーボードなどが行われる標高の低い会場は雪不足だそうです。しかも、この先、開幕まで寒気らしい寒気はやってこないようですし、開幕後も、少なくとも1週間は、まともな寒気は来ないようなので、足りない雪は人工雪を降らせないとならないようです。
そんな寒い冬ですが、最近、私は夜帰るときに1時間くらい歩いています。大体目安として1日1万歩としたら、そのくらい帰りに歩かないとその歩数にならないからです。そんな時に寒い半面、冬の星空はとてもきれいです。冬の大三角形をはじめとして明るい星がいくつも夜空を飾ります。それらの星は、このブログによく登場する星々です。星座も、オリオン座をはじめとして、すばるなど東西ともに有名な星座も並びます。
その中でひときわ明るい星が、おおいぬ座の1等星「シリウス」で、マイナス1.4等と,全天で最も明るい恒星で、東京でも容易に見つけることができます。シリウスの語源はギリシア語の「焼きこがすもの」という意味ですが、まさに天を焦がしているようです。この明るさは、太陽の数十倍も明るいのですが、それだけでなく、地球に近いということが明るく見える理由です。その距離はわずか8.6光年で、太陽系からの距離ランキングでは第6位,肉眼で見える恒星としては第2位です。
先日、千葉の九十九里町に行ってきました。この町は、房総半島の外房にあるのですが、南端にある布良(めら)の地名に由来した冬に見える「布良星」という星があります。それは、この布良町より南に行かなければ見ることができない星という意味でしょうか、関東地方では水平線ぎりぎりに出現するという特性があり、古くから沿岸漁業を生活の糧としてきた人びとにとっては、まれに見ることのできる怪しげな星として、あるいは遥か南方の沖合を意識させる星として捉えられてきたようです。
実は、この星は、カノープスと呼ばれ、-0.7等の白い恒星で、その明るさはシリウスについで恒星として全天で2番目に明るい星です。しかし、北半球ではあまり高く昇ることのないため、南の地平線すれすれに現れる奇妙な赤い星として知られるようになりました。カノープスは優秀な水先案内人であるギリシアの船乗りからとられた名前です。中国ではこの星を、「南極老人星」や「寿星」と呼んでいます。南極老人とは、日本の七福神の寿老人あるいは福禄寿の元になった神様で、長寿をつかさどるとされてきました。そのため、この星を見ることは縁起がよいとされ、特に、一目見ると寿命がのびるという話です。
東京ではほとんど見ることができないかもしれませんが、関東以南に行ったときに、ぜひ見つけたい星です。
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2010年02月06日 [近頃思うこと]
庭と川
庭園の演出で欠かせないひとつが「水」です。手水鉢のような小さなものから、池や川なども庭園に意味を持たせます。なぜ、庭園に水が欠かせなかったかということを「庭と日本人」のなかで上田篤さんは「日本人のメンタリティの底に水を恋う意識があったから」ではないかと推測しています。その気持ちは、同じ上田さんの著書「日本の都市は海からつくられた」の中で、「日本人は縄文時代の1万年以上をほとんど海辺で生活してきた。弥生時代になって稲作をはじめても、おおくは海岸の低湿地に稲を植えて、近くの洲島に生活の本拠をおいた。つまりながらくのあいだ、海辺が人々の生活空間だった。そういう海辺の生活空間への回帰願望が、人々の心のなかにいつまでも生きつづけてきたのではなかったか?」と分析しています。それもあるでしょうが、もうひとつ精神的に水の流れや、その音に癒しを感じるということもあるでしょう。それは、人間は胎児の時、母親の胎内で羊水という小さな海で過ごしているからといわれていますし、私たちの身体の半分以上が水で出来ていると言う事もあると言われています。また、そのゆらぎには、「1/fゆらぎ」という人間の心をリラックスさせる効果のある波形があるのです。
「庭と日本人」のなかで「人々の願望を示す水景が、庭の遺構から発掘されている。それは川だ。では、その川で何をしたかというと、陰暦3月3日に天皇や貴族が庭園のなかの曲がりくねった川のそばにすわって、上流から流れてくる盃がまえをとおりすぎないうちに歌をよみ、盃の酒をのんでつぎの人にながす。という遊びだった。「曲水の宴」といわれる。」一昨年、鹿児島の「仙巌園」を訪れた時に、曲水の庭を見ました。
これは、1959年に発掘されたもので、現存する国内の曲水の庭の遺構の中でも最大のもので、建造当時の様子が良好に保存されている貴重な文化財として高く評価されているものです。その流れは、そこで曲水の宴が行われたであろうという映像が浮かぶだけでなく、曲水と言われるように曲がりくねった川の流れは、庭を切り取り、そこに変化を持たせ、その変化がある動きを作り、その動きがかえって安定をもたらします。
私の園で、湧水を利用して「ししおどし」を作りました。それは、水の流れを音として強調して五感に訴えようとした試みです。今年は、また新たな試みを計画しています。
東京では、ここ数年、ゲリラ豪雨といわれる少しの間にたくさんの雨量が記録されるほどの雨が降りました。園でも、昨年、園の裏から、園内に水が浸入し、床上浸水がありました。そこで、建築業者から裏道の端に「ドレーン」という下水溝を作る計画を持ちかけられました。裏道のところには、普段から湧水が出ています。それを、ドレーンを通して下に流そうという計画です。そこで、私がこんな提案をしました。その溝は、ただの下水溝とするのではなく、水路にしてもらえないか。その水路は、途中でその幅を広くして、その縁はただのコンクリートではなく、なにか丸太とかにできないかと持ちかけたのです。そして、そこに鯉を飼いたいと言ったのです。そうです。あの津和野などにある鯉のいる水路です。そして、その鯉が糞をし、その糞が流れによって以前作った稲が植えてある水田に行き、その水がメダカのいる水路に流れていくことの計画です。そして、鯉の糞をカワニナが食べて、そのカワニナを蛍の幼虫が食べるのです。
これは、川の営みであり、その営みが子どもの心に何かを訴えると思っています。蛍が飛ぶというのは夢ですが、水を使った計画は面白いですね。
投稿者 fujimori : 20:53 | コメント (3)
2010年02月05日 [近頃思うこと]
演出
園に見学者がほぼ毎日見えます。その方々を園内に招き入れるルートがいくつかあります。それは、来客の目的によって園児と動線を分けるためです。当然、業者の動線もあります。それは、動線というように単に入口が違うというだけでなく、入口に至るまでの経路も重要になるのです。そして、その入り口から部屋に通すための動線もあります。昨年、私の園に大臣が見えた時には、事前に動線計画の打ち合わせをしました。また、その後、警察署の方々に依る動線チェックを行いました。その動線チェックは、それぞれの担当によってポイントが違うためです。私が決めるのは、どこをどのような順序で案内すればより効果的かを考えることであり、事前チェックは、歩く途中での付き添いや取材者や、大臣の位置の確認、警察では警護の在り方からのチェックです。
寺や神社は、参道と呼ばれるそこにお参りするための動線から、ありがたさを増すように計画されていることが多いようです。それは、下に玉砂利が敷かれているということや、両脇を杉の木が植えてあるというのもそういう演出のひとつでしょう。手前の方に鳥居があり、まずそこをくぐらせるというのもある意味では演出かもしれません。一昨日の近くの神社への節分会参加でも、まず、鳥居をくぐります。
昨年末に、妻と宇治の「平等院鳳凰堂」に行ってきました。そこへの参道について、上田篤さんが「庭と日本人」の中で、こう紹介しています。
「京都の川はいっぱんに北から南に流れるが、宇治川は地勢上、一時、南から北に向かう。ために京都から宇治にやってくる人は、宇治が京都の東南にあるにもかかわらず、宇治にいくのに宇治川を西北から東南にわたるのではなく、逆に東北から西南に向いてわたる、という体験をする。その宇治川を渡る手前の堤から川むこうをながめると、平等院鳳凰堂がみえる。それは西の方向である。極楽浄土で説法をしておられる阿弥陀さまの方角だ。そして夕暮どき鳳凰堂に灯がはいると、夕日をバックに西方の極楽浄土の阿弥陀さまが鳳凰堂の格子窓のなかに姿をあらわす。という仕組みになる。」
なんともにくい演出です。太陽を背にして建つ鳳凰堂は、光を放っているかのように見えるのですが、逆に写真を撮ろうとすると、どうしても逆光になってしまって真黒になってしまい、なかなか美しい姿をとることができませんでした。また、その前にある池の演出があります。「さて平等院のなかにはいる。鳳凰堂のまえの阿字池の岸に立つ。すると水面に阿弥陀さまが大きくせまってくる。こういう阿弥陀さまとの対面は、庶民にとっては至福のときだったろう。仏を心のなかで念ずるのを「念仏」、心のなかで観るのを「観仏」というが、ほかに「見仏」ということがある。じぶんの目でじかに仏身を見ることだ。ふつうに寺の本堂で仏像をおがむのも見仏であるが、するとこれは「最高の見仏」ではないか。この「最高の見仏」を保証するものが鳳凰堂の庭の阿字池である。」
この池にハスの花を咲かせ、極楽浄土の効果をより上げていたであろうこともわかっているそうです。このもとの構図は、「浄土曼荼羅図」だそうで、そこには宝池があって、多数の菩薩がハスの花のうえにすわって、うしろに中島があって弥陀三尊がいるというものです。
空間演出の効果、動線の工夫、部屋の方角、目的は違いますが、保育室にもそんな配慮や工夫が必要です。
投稿者 fujimori : 21:31 | コメント (3)
2010年02月04日 [江戸文化]
氷川
横浜市指定有形文化財にも指定され、横浜市山下公園前の横浜港に係留されている「日本郵船氷川丸があります。この氷川丸という船名は、埼玉県さいたま市大宮区にある氷川神社に由来しています。それは、この船のブリッジの神棚に氷川神社の祭神が勧請されていたからです。この氷川神社は、スサノオを主祭神とする氷川信仰の神社で、大宮を総本社として、全国260以上もあるようです。そのひとつが、私の園の近くにある落合氷川神社です。ここは、八岐大蛇退治の物語で有名な「素盞鳴尊」と、その妻である「稲田姫命」と、別名を大国主命であり、大黒様と呼ばれている「大己貴命」を祭ってあります。その中で、高田の氷川神社が素戔嗚尊を主神とするため「男体の宮」と呼ばれているのに対して、こちらはその妻の奇稲田姫命を主神とするため「女体の宮」といわれています。
この氷川神社の創建は相当に古く、孝昭天皇の時代だといわれていますが、鳥居は第二次大戦で焼けてしまい、再建されたものだそうです。この神社の面白いのは、入口に対の狛犬があるのですが、左側の狛犬は一匹ではなく、下から子どもの狛犬が見上げている像なのです。自分の子どもに厳しい試練を与えて、立派な人間に育て上げることのたとえである「獅子の子落とし」を表しているのでしょうか。このような狛犬は、赤坂の氷川神社をはじめとして、何箇所かにあるようです

昨日、この神社で行われた「節分祭」に年長の園児と行ってきました。それは、境内での豆まきへの参加だけではなく、室内で神楽を見るためです。神楽とは、神道の神事において神に奉納するために奏される歌舞で、宮中で行われていた神楽とは別に「里神楽」というものがあります。里神楽とは、神社の祭礼を中心に、神社の神楽殿などで行われている芸能です。この中で有名なのは、島根などで行われている「石見神楽」ですが、「江戸里神楽」というのもあります。この江戸里神楽にも大きく分けて江戸流と相模流の二つの流派があります。今回見せていただいたのは、相模流の代表的団体の一つである「はぎわら会」の里神楽です。里神楽の音楽は、笛、大拍子、大太鼓などを中心に演奏し、演者は、面、装束を付け、身振り、手振りによる表現で演じます。台詞のない、無言劇であることは里神楽の特徴の一つです。演目には、「古事記」「日本書紀」といった日本の古典神話を題材とした神代神楽、「お伽草紙」を題材としたお伽神楽、能や歌舞伎の演目を素材にした「現代神楽」がありますが、今回見たのは、おめでたいということもあり、相模流でしか演じていない「七福神」もので、打ち出の小槌を持った大黒様とひょっとこ面の従者が演じるものでした。

里神楽は、能、狂言、歌舞伎などの流行を取り入れたり、江戸で興業された壬生狂言にも影響を受けるなど、各時代に対応した発展をしつつ、現在に至っていると言われています。はぎわら会が伝承する相模流里神楽は、江戸時代中期に発展した里神楽が相模地方に伝わったものであるといわれています。
また、今回、里神楽以外にも、寿獅子を見ることもできましたが、これも、はぎわら会で伝承し、各行事やイベントなど幅広い場で演じているようです。

それらの活動により、はぎわら会は1991年に新宿区より無形民俗文化財の指定を受けています。
今年は、賀詞交歓会から始まり、どうも日本伝統に縁があるようです。