誤った育児法

ハリスは、私がブログでその育児書の弊害を述べたスポック博士についても言及しています。スポック博士は後に多くのアドバイスを残してくれていますが、博士の母親はホルト医師の支持者の一人だったそうです。子ども時代のべンジャミン・スポックには禁じられていた食べものがたくさんあり、バナナもその一つだったそうです。ベンジャミンが16歳で家を離れ、アンドーヴァーに向かったときは「骸骨のように痩せていた」と伝えられているそうです。

また子どもの背中は特殊な装置や治療法でまっすぐに保たなければ曲がってしまうという考えも医者が広めたものだったそうです。19世紀に成長期を過ごしたあるドイツ人女性は、子どもの背中が曲がることへの「流行性恐怖症」に母親たちがどのように感染したのか、次のように説明しているそうです。今考えると、なんとも恐ろしいことです。

「姿勢がまっすぐであっても、悪いところが何一つ見あたらなくても、母親たちは安心しなかった。…女友だちの多くは家にいるときにはとんでもない装置を装着され、夜には整形外科の治療用べッドに寝かされていた。私の場合、骨格には問題はなかったのだが、右肩が左肩よりも強いことがわかり、毎日鉄棒のようなものにぶら下がり、毎日一時間ほど固い床の上に横になり、二週間ごとにヒルを4匹から6匹もその問題と思われている肩にのせなくてはならなくなった。」

中でも最も多くの人々が恐れていたのは、子どもを「甘やかしてしまう」ことだったとハリスは指摘しています。母親は子どもを愛するものだとされていましたが、どれだけ愛しているかを子どもに知られてはなりませんでした。なぜなら愛しすぎ、かまいすぎは子どもにはよくないと考えられていたからです。イヴォンヌ・シュッツェが説明するところによると、当時母性愛とは「子どもの側からするとやさしさが必要であるという考え方は存在しないので、母親自身はやさしさを表現したいのとうらはらに、自らその気持ちを抑えること」で表現されるものだったそうです。ドイツの母親たちは子どもが泣いても、その子を「わが家のわがままな暴君」にしないためにもその子を抱き上げてはいけないと教えられていました。

こうした厳格なアドバイスの流れが最高潮に達したのは、ドイツではなくアメリカ、しかもそれはジョン・B・ワトソンだったそうです。彼は、あの12人の乳児を提供するよう呼びかけた人ですが、どこからも乳児の提供者が現われなかったので、彼は子どもをどう育てるべきかを彼の著書によって人に伝授することにしたのです。

「子どもとの賢いつきあい方。それには子どもを小さな大人だと思えばいい。彼らに洋服を着せるときもお風呂に入れるときも大切に、そして慎重に扱いなさい。常に客観的に、そして毅然とした態度をとりなさい。抱きしめたりキスをしたりしてはいけない。膝の上に座らせてもいけない。どうしてもという場合は、おやすみのキスをおでこに一回だけ。朝起きたときは握手をしなさい。困難な課業を見事に成し遂げたときは頭をなでてあげなさい。そうすれば、一週間もすれば、子どもを客観的に見ること、そして親切になることがこれほど簡単なことだったのかと思うだろう。今までめそめそと感傷的になっていた自分がまことに恥ずかしく思えるはずだ。」

子どもとは何か

ハリスは、子どもの存在が大切に思うようになったいきさつを特に欧米における経緯を次のように整理しています。

男性が外ではたらくようになると、女性はますます家族の要求に応える役目を担うようになりました。とくに子どもが平穏無事に過ごせるようにする責任を、母親は一身に背負うようになりました。これもまた変化の一つだと言います。というのもヨーロッパの歴史上、ほとんどの時代では男性がこの領域でも主導権を握っていたからです。ドイツの社会学者イヴォンヌ・シュッツェによると、近いところでは1794年にプロイセンの慣習法で、母親がいつまで乳児に母乳を与えるかを決める権利はその夫にあると定められていたそうです。

育児が女性の活躍の場となったからといって、男性がそこから抜け出したわけではありませんでした。今は亡き白人男性の中には子どもをどう育てるべきかと人に伝授することが自分の責務だと考えた者が多くいたそうです。その伝統をはるか昔までたどると、中には17世紀の清教徒の牧師もいます。その牧師はアメリカ人の大衆に向かって、すべての子どもは「生まれもった。プライドから喚起される頑固さと強靭な心をもち」、それらは「破壊され打ち砕かれ」なければならないと説いたそうです。他にはフランスの哲学者ジャン=ジャック・ルソーもいました。彼はまた違った考えを18世紀の聴衆に向かって説きました。子どもは皆善人として生まれ、過度にいじくりまわされなければ、そのまま善人でいつづけると。しかし、私が以前のブログで紹介したように、ルソーは自分の子どもは誰一人育てませんでした。彼が長年連れ添った愛人に生ませた赤ちゃんは、彼がすべて承知した上で乳児院に預けられたのです。ハリスは、ルソーの子どもたちは善人として生まれたかもしれませんが、決して運には恵まれませんでした。

イヴォンヌ・シュッツェによると、ヨーロッパの人々に哲学的思索の対象としての子どもに関心をいたかせたのはそのルソーであると言います。子どもを合理的にしつけるには、子どもとは何かについて考え、その上で子どもの本質的な素質を見極めるべきだと説いたのは他でもないルソーだったと言うのです。哲学者も医者も、そして教師や説教者もその後は競って自分の子ども論を具体的な提案に書き換えました。そのようにして生まれたアドバイスは、しばらくは公平無私なものでしたが、母親に直接訴えかけるアドバイスを掲載したパンフレットやハンドブックが出版されることが一般的になってくると、形勢はまた一変します。19世紀後半から20世紀初頭にかけて、母親に与えられるアドバイスはかなり過酷なものとなっていきました。そして女性、とりわけ教養のある女性はこれらのパンフレットやハンドブックを読み、そのアドバイスに従いました。

たとえば当時の医者はしばしば子どもの食べ過ぎを警告し、母親たちはそれを肝に銘じていたそうです。サー・アントニー・グリンは自分とその前の世代のイギリスでの生活を回想する中で、20世紀初頭のイギリスの子どもたちに与えられていた質素な食事について言及しています。新たな世紀が始まってアメリカで人気を博していた本にルーサー・エメット・ホルト著『子どもの世話と食生活』がありましたが、これも同様に子どもの食事制限を奨励しているそうです。

子どもの存在

確かに、ほとんどの親は自分の子に親愛の情をいだきます。しかし今日私たちの社会で見るような激しい感情的な態度は比較的最近のものだそうです。人類の歴史の大半は、そして世界中の多くの地域では、子ども時代とは苦難と危険の時代であり、決して安全で楽しい時代ではありませんでした。子どもたちは親の所有物であり、子は親、もしくは義理の親のしたい放題でした。赤ちゃんや子どもたちは無視され、虐待され、売り飛ばされ、捨てられる危険性もあり、実際そうなった子も少なくありませんでした。

この視点は、アメリカ合衆国の心理学者であるジュディス・リッチ・ハリスのものです。私は日本では、確かにそのように考えられた部分も少なからずあるとは思いますが、もう少し子どもを大切に思っていたような気がしています。幕末に日本を訪れた外国の人の感想にもあるように、日本人は世界の中では、とても子どもを大切に思う国である気がします。しかし、それがかえって、親の所有物であるという意識が強く、親信仰が強い気がしています。芸能人でも何か悪いことをすると、本人が大人であっても、その親を強く責める傾向があります。影響は、親だけから受けるのではなく、様々な環境から受けていきます。その点では、ハリスの主張は参考になります。

ハリスは、子どもがどのように扱われるかは、彼らがどこでどの時代に生まれるかに大きく左右されてきたと言います。さらにこう言います。子どもの歴史は決して着実によい方向へと向かったわけではなく、よい時代とよくない時代を繰り返していました。ヨーロッパで生まれた子どもたちにとって、最悪の時期は中世から18世紀にかけてでした。ハーヴァード経済学者であるジュリエット・ショアーはその当時の親のあり方を次のように説明しています。

「ほとんどの場合、子どもたちは親に“面倒を見てもらっていた”わけではなかった。裕福な親は子どもたちが成長するまでは子とかかわることはほとんどなかった。乳母の手にわたれば放置されると広く知れわたっていたし、明らかに生命が危ぶまれたが、それにもかまわず乳児は乳母に育てられた。あらゆる社会階級において乳児や子どもが長期間ほったらかしにされることもめずらしくはなかった。面倒を起こさないようにと、赤ちゃんはきゅうくつな産着にくるまれ手足を固定された状態で、最初の数カ月を過ごしていた。

ヨーロッパやアメリカの子どもたちの状況が改善されたのは19世紀に入ってからだったそうです。男性が家とは別の場所ではたらくようになり、日中の大半を家庭の外で過ごすようになると、家庭は以前のような仕事の場ではなく、プライベートな空間、世間から隔てられた安息の場となりました。家族は、経済的な理由でつながっているというよりもお互いの気持ちによってつながっている一つの単位として、考えられるようになりました。ちょうど同じ頃、社会全般で人類の健康状態が改善され、成人まで生き延びる子どもの数も増えました。これらの変化は貧しい家庭よりも裕福な家庭に早く訪れたようですが、その変化によって子どもへの関心も高まりました。子どもは無償の労働力としてどの程度貢献できるかよりも、子ども自身の価値として尊重されるようになったのです。

一人ベッドに

欧米では、今日でも赤ちゃんを一人ベッドに寝かせ、部屋を離れます。なぜ赤ちゃんの中には何かを訴えるように泣き叫ぶ子がいるのだろうかとハリスは不思議に思っていたそうです。不思議に思うべきなのはなぜ赤ちゃんがその状態に耐えられるのかです。ほとんどの赤ちゃんが一人にされることに慣れるということこそ、人類の順応性を証明するものだとされています。さほど前のことではないそうですが、私たちの祖先がまだ進化をつづけていた頃、人類は狩猟と採集で生計を立てていました。狩猟採集民の赤ちゃんは一人にされることはありませんでした。一人にされるとすれば、それは捨てられるときだけだったのです。何者かに食べられる危険性があり、火の入った囲炉裏もあり、また彼らが何を口に入れるかわかったものではありませんでした。ですから赤ちゃんが十分歩けるようになり、明らかに危険であるものを避けるだけの知恵がつくまでは親が連れて歩いたのです。夜になれば、母親と一緒に寝たのです。

今日でも世界のほとんどの地域では赤ちゃんは母親と同じ部屋で、そしてその多くが同じベッドで寝ています。グアテマラのマヤ族における育児習慣を調査している研究者がマヤ族の母親に、アメリカでは一般的に赤ちゃんは別の部屋のべッドに寝かされるという話をしたところ、母親たちは非常に驚いたそうです。一人の母親は「でも他の誰かが一緒なんでしょ?」と聞き返したそうです。赤ちゃんが部屋に一人きりになることもあると聞くと、その母親は一瞬言葉を失い、アメリカの赤ちゃんを哀れんでいたそうです。別の母親はショックをうけ、信じられないという様子で赤ちゃんはそれでかまわないのかと聞いたそうです。さらにもし自分がそうしなければならなくなったら、とてもつらい思いをするだろうとつけ加えています。マヤ族の親の反応からすると、乳児や幼児を別の部屋で寝かせることは子どもを放置することと同じことだと親たちは考えているのでしょう。日本でも同じような反応をするでしょう。

マヤ族の子どもが弟や妹のために母親のべッドから追い出されることになると、その子は父親もしくは祖母、または兄や姉と一緒に寝ることになるそうです。マヤ族にとって、一人で寝ることはつらいことなのです。

伝統的な文化で育った人にとっては北アメリカの子どもの育て方は「不自然」だと感じるでしょう。私たちは、子どもに独立心ある人間になってもらいたいと、自らの行為を正当化しようとします。確かに私たちの子どもにはそれなりに独立心があるように見えます。しかし彼らを一人でベッドに寝かせたから独立心が養われたという証拠は何一つないとハリスは言います。彼らが一人でベッドに寝かされたのは、北アメリカの人たちが子どもは独立心をもつべきだと考えるからです。育児習慣は文化の産物であり、それは必ずしも文化を代々引き継ぐためのバトンではないとハリスは言うのです。

子どもには独立心ある人間になってもらいたい。それでいて私たちと精神的な絆で深く結ばれていてほしいとも願います。親子の愛情はすっかり神聖化され、数知れない映画やテレビコマーシャルで、子どもたちが親の胸に飛びこむ姿や、目を潤ませながらやさしい表情で子どもたちを見つめる親の姿が映し出され、親子の愛情が称賛されます。母性愛、父性愛は決して文化の創造物などではありません。もちろんそれは万国共通のものであるはずです。

プライバシー

20世紀末の北アメリカやヨーロッパの子どもにはほとんど重複することのない二つの生活があるとハリスは言います。家庭内の生活と家庭外の生活だというのです。家庭内の生活とは私的なもの、他方は公的なものであり、それそれに違った行動が要求されます。家庭内では許される感情の表出は、家庭の外では歓迎されません。小学生にとって人前で泣く、かんしゃくを起こす、そして愛情を表すことはご法度なのです。家庭では些細な出来事としてすまされること、たとえば床に吐く、おもらしをするといったことが学校では大惨事にまで発展するのです。身なりをきちんとする、髪型を整える、よい行ないを心がける、これらはすべて家庭内よりも外で重視されるものです。家庭内では、家族それそれが肩ひじ張らずにより自由に感情を表出できるし、そうするよう求められもします。しかし他人の家庭生活を見ることはできませんし、その閉ざされた扉の向こうで何が起きているのかは知る由もありません。友人の親やきょうだいが人目を離れてどう行動しているのかは子どもたちにはわかりません。自分のきょうだいのことですらその詳しい生活まではわかりません。現代の家族は小家族であり、それでいて住む家は広く、親は子どもたちに一部屋ずつ与えてあげたいと願います。プライバシーは私たちにとって基本であり、奪うことのできない、さらには法律で保護されている権利なのです。

ところがプライバシーは最近の概念なのです。「プライベートな生活」と「公の生活」が区別されるようになったのも最近のことです。「家庭」という考え方ですら最近のものです。3、400年前の家は私たちが今日住むような家とは大きくかけ離れていました。当時は仕事場が家と別にあることはありませんでした。家は仕事場であると同時に、人が食べて寝て、話や喧嘩をし、そして愛情を確かめ合う場所でもありました。

300年前、フレデリックとマートのブルン夫妻がノルェーのオスロ郊外の小さな街に住んでいました。歴史家ウィトルド・リプチンスキーが描写した彼らの家庭の様子から当時のヨーロッパでの家族生活を垣間見ることができます。フレデリック・ブルンは製本屋であり、仕事はそれなりに繁盛し、当時その地域では比較的広い家に住んでいました。今日の小さめのバンガローといったところでしょう。その家は彼の仕事場であり、店舗であり、さらにフレデリック、マート、彼らの8人の子どもたち、3人の男性従業員そして2人のお手伝いさん、総勢15人の住居でもありました。その他親戚、友人、客の出入りも多かったのです。フレデリックとマートに二人だけのべッドはありませんでした。彼らは下の3人の子どもたちとともに四柱式のべッドを使っていました。食事をとり、客をもてなす一階の大広間、つまり家の中心となる部屋に、そのべッドは置かれていました。年長の子どもたち、男の子2人と女の子3人は二階の小さめの部屋にある二つのべッドにそれそれ分かれて寝ていました。

ブルン夫妻はプライバシーを恋しいと思うことはありませんでした。もともとなかったのですから。私たちの祖先にとって、一人になるということは日常的な状況ではありませんでした。今日では赤ちゃんを一人べッドに寝かせ、部屋を離れます。なぜ赤ちゃんの中には何かを訴えるように泣き叫ぶ子がいるのだろうかとハリスは不思議に思っていました。

運命によって

カラプルの赤ちゃんはアメリカの赤ちゃんのように「不安の対象」にはならないのは、子育てに失敗して、子どもたちが将来成功する可能性をつぶしてしまうのではないかなどとは、カラプルの親たちは思わないからだそうです。

子どもの発達に親がどの程度響を及ぼすのか、もしくは影響を及ぼすのか否か、子どもとは何か、そして子どもはどう扱うべきか、それらの考え方は時代や場所によってさまざまだとハリスは言います。カラプルの母親の運命論的な態度は今日では滑稽なほど受動的に思えますが、西洋でもそれが当たり前だった時代もあったそうです。デンマークの社会学者ラルス・デンシクによると、子ども時代の出来事が人の「運命」を大きく左右するという考え方は比較的新しいものだと言っています。彼は、運命についてこんなことを言っています。

「人の“運命”にとって子ども時代は重大な意味をもつという考え方は今日では観念的な教義となってしまった。数世代前まではむしろその逆だと思われていた。人がその人であるのは、まさに「運命」によって定められていると考えられていた。成人後の人生は素質やその他の覆すことのできない要因によって運命的に定められていた。子ども時代は一生の中で特別重視すべき時代ではなかったし、ゆえにそれが今日のように多くの人の不安を駆り立てることもなかった。同時に子どもたちは放置、虐待されやすい状況にあり、しかもそれを誰も問題視しなかった。さらに誰もそのことに罪の意識をもっていなかった。子どもにとって何が大切なのかに十分目を向けなかったことへの罪の意識、今日では親や他の保育者がそれにさいなまれているが、その感情は実のところごく最近のもので、われわれの生きる現代特有のものなのだ。」

子どもにとって何が一番大切なのかに目を向けなくてはならないと私たちが思う理由は二つあるとハリスは言います。一つは今日では子どもは正当な扱いを受ける権利をも含む自己の権利を保持する一人の人聞としてみなされているためであり、もう一つは、成人後の人生はそのほとんどが子ども時代に決定されるというデンシクが言うところの「観念的な教義」によるものだと言います。この定説を信じる者はさらに経験の中でもある決まった種類の経験、とりわけ親とかかわりのあるものが子どもの将来を決めるのに特に重要な役割を担っていると考えている場合が多いようです。その信条こそが子育て神話なのだとハリスは言います。

子育て神話は今日の西洋社会では、万人共通とまではいきませんが、広く普及しているある家族像、育児像と結びついていると言います。その家族像、育児像とは、一人ずつの母親と父親そして一人もしくは複数のきようだいで構成される核家族で子どもが育つという像です。さらに親が「主たる保育者」となり、親は子どもに愛情と関心を注ぎ、必要に応じて規律を教えることも求められます。このすべてが家庭という人の耳目の届かない空間で行なわれます。友人や親戚が訪ねてくることはあっても、核家族の一員である者しか居住しない空間です。唯一許される例外は祖父母だけです。家族史研究家であるタマラ・ハーヴンはその状況を短くこうまとめているそうです。「現代の家族は私生活を重視する核家族であり、家庭中心、子ども中心である」

仮説を支えるデータ

年長の子どもたち、もしくは思春期の子どもたちであれば、学校の教室や研究室で面接を受けたり、質問用紙に記人したりすることが多いです。この方法は親の育児スタイルを研究する人たちの常とう手段です。彼らは子どもたちに自己記述形式の性格検査を実施し、最近巻きこまれた問題などに関する質問用紙と、またそれとは別に親の自分への態度に関する質問用紙を記入してもらいます。そこには状況による作用だけでなく、統計学でいうところの「同一評価者による作用」と呼ばれるものもはたらいています。

これは、今週マリファナを四本吸い、数学のテストで落第点をとったと報告しているその同じ子が自分の親の悪口を言うという状況です。研究チームが自分たちの研究に参加した被験者の正当性を調べたものがあるそうです。中高生に親の育児態度に関する質問用紙をわたし、その親本人にも同じ質問用紙に記人してもらいました。親の結果と子どもの結果の相関係数はわずか0.07だったそうです。つまりまったく一致していないということです。それにもかかわらず社会化研究者たちは、家の中での様子に関する子どもの説明(および親の説明)をそっくりそのまま解釈し、それを自分たちの仮説を支えるデータとして活用するのだとハリスは言います。

社会化研究者たちは一つだけはっきりと、反論できないことを証明しているそうです。「子どもに対する親の行動は、親と一緒のとき、または親を連想する状況で、子どもがどう行動するかに影響を及ぼす」ということです。それにはまったく問題はありません。ハリスもそれには賛成しています。親の行動はまた子どもが親をどう思っているかにも影響します。もし親が一方の子を他方よりもかわいがれば、子ども同士がお互いに苦い思いをするだけでなく、あまりかわいがられない子が親に対して苦い思いをいだくようになってしまいます。このような思いは一生つづく場合もあるそうです。

親にアドバイスを与えくれる本、子どもを育てる際に、何が間違っているのか、どうすれば、よりよい育児ができるのかを教えてくれる本は多数出版されています。自分に合う本を一冊見つければ、自分の子どもが家の中でどうしてそのように行動するのかわかるかもしれないとハリスは言います。ハリスは、最終的な目的として、子どもたちが残りの一生を過ごすことになる家の外の世界で子どもたちがどう行動するか、さらにそれを決定づけるものは何かを.解明することだと言うのです。

1950年代半ば、二人のアメリカ人研究者がインド北部の僻村カラプルの住民の育児習慣を調査したそうです。ある日、彼らはカラプルの母親の一人に幼い息子には将来どのような男性になってもらいたいかと聞いてみたそうです。するとその女性は、肩をすくめるようにして「私が何を望もうとそれは彼の連命だから」と答えたそうです。

当時も、そしてそれまでの何百年間も、インド郡部の農家に生まれた赤ちゃんの将来はその子の健康状態と性別によってほぼ決定づけられていました。生き延びられた子は、男の子であれば農民に、女の子であれば農家の嫁にと決まっていました。カラプルで研究者が気づいたのは、カラプルの赤ちゃんはアメリカの赤ちゃんのように「不安の対象」にはならないということだったそうです。「不安の対象」にならないのは、子育てに失敗して、子どもたちが将来成功する可能性をつぶしてしまうのではないかなどとは、カラプルの親たちは思わないからだそうです。

研究の片手落ち

二度と生まれ育った家には戻らないというのであれば、そこで獲得した性格は二度と表舞台には現われないかもしれません。シンデレラは王子との結婚後、二度と継母のいる狭い家には戻りませんでした。彼女の控えめな性格は、ほうきとみすぼらしい衣服とともに忘れ去られたのです。

たいていの人は生まれ育った家に戻ります。そして玄関を入り、台所にいる母の「〇〇ちゃんなの?」という声を聞いた途端に、成長してすっかり脱したと思っていた昔の性格が甦

り、体全体を覆ってしまいます。家の外では成功を手にした堂々たる女性や男性が、実家の一家団欒の夕食の席につくと、まもなく口げんかをはじめたり、ぐちをこぼしはじめたりします。まるで幼い頃のように。どうりで休暇に実家に帰りたがらない人が多いわけだとハリスは言います。

はじめに子育て神話は人為的な神話であるとハリスが述べたときに、私たちはすんなりとそれを信じることができなかったのは、信じることができないだけの根拠があまりに多かったからです。私たちは、親が子どもに影響を及ぼすのを自分の目で見て知っています。しかも社会化研究者はそれを証明するデータを山ほどもっています。

ハリスは確かにそうだと言います。しかし、こんなことを問いかけています。「自分の目で見たというのは一体どこで見たのか。研究者はそのデータをどこで集めたのか。確かに親は子どもに影響を及ぼします。しかし親が一緒でないときにもそれらの影響が引きつづき残っているという証拠はあるのだろうか。親の前では気むずかしい子も、もしかしたら同級生や先生の前ではすっかりとりすましているかもしれない。」

社会化研究者たちが信じる子育て神話を裏づける証拠の多くは、親の前での子どもの行動観察、もしくは母親が記人した子どもの行動に関するアケートなどに基づいているというのです。確かにそうですね。今までハリスが述べてきたように、子どもたちの多くは親の前と外での姿が違うのです。ですから、研究者は家庭環境の影響、たとえば離婚による影響などを実証しようとするので、家の中での子どもの様子を観察すますが、その場所は最近子どもにとって不愉快な出来事が多発した場所でもあります。さらにひどいことに、研究者たちは、とりわけ離婚の混乱後で決して中立的な観察者とはいえない親に、子どもの行動について質問しているのです。およそ予想はつきますが、この方法では離婚した親の子どもは、婚姻関係を継続している親の子どもより、はるかに悪い状況にあるという結果が出る場合が多くなるのです。もし親から離れた家の外で観察を行なえば、離婚した親の子と離婚しない親の子との差はぐんと縮まるかまったくなくなるだろうとハリスは考えています。そうはいっても、差はいくぶん残るでしょう。それは成人になっても変わらないそうです。

このようなある意味で片手落ちの研究結果によって、子どもを判断し、決めつけてしまうことが多いようです。状況の作用は発達心理学がかかえる大きな問題のようです。状況の作用によって、研究者が考えるもの、もしくはそうあってほしいと願っているものとは違った意味をもつ相関関係が生み出されてしまうようです。相関関係は研究室内でも、家庭内においても見られます。

性格研究

研究とは、数量的に、また客観的に示さなければならないということを聞きますが、心の問題のような目に見えないものの調査は難しいものがあると思っています。たとえば、性格に影響するものを特定できないからです。また、人においてのかかわりについての研究も難しいと思っています。日常的ないろいろな人とのかかわりは、研究室での調査ではなおさら難しくなります。また、アンケートをとれない、本人から事情聴取できない乳幼児の研究はさらにむずかしくなります。ハリスの指摘を読むと、その思いが強くなり、今まで刷り込まれてきたもの、信じ込まされたものへの新たな視点に気づくことができます。

性格心理学者ジェイムズ・カウンシルは大学生を対象とし、架空の活動にどれだけ専念で

きるか、その能力を測定する自己評価検査を実施し、その後被験者に催眠術をかけたそうです。専念する能力が最も高いと測定された被験者は、催眠術が最もかかりやすかった被験者と一致したそうです。しかしそれは自己評価検査が実施されたのと同じ部屋で被験者に催眠術を施した場合に限られていたのです。

検査が行なわれた部屋とは別の部屋で催眠術が施された場合には、有意な相関関係は見られませんでした。別の実験では、カウンシルは被験者に子どもの頃の肉体的・性的虐待といったトラウマ的体験についてのアンケートに記入させ、その直後に情緒的な問題の徴候を探る性格検査を実施しました。子どもの頃に心的外傷を受けた経験の有無と情緒的な問題の有無との間には有意な相関関係が認められたそうです。しかしカウンシルがリ別の男の被験者群に対し、同じ内容の検査を、このときには性格検査を先に実施したところ、相関関係は認められなかったそうです。トラウマ検査を受けることによって、不愉快な思いや情動が喚起され、それが検査を受けるという状況と結びつくようです。不愉快な思いや情動による影響が性格検査に反映されるのは、同じ状況下でも先にトラウマ検査が実施された場合だけだそうです。カウンシルはこれらの「状況作用」は「多くの性格研究の有効性」に疑問を投げかけるものだとしています。

子ども時代のトラウマが成人後の情緒的な問題を引き起こすことを証明したい場合にはどうしたらいいのでしょうか。一つにはカウンシルが実施した方法があります。被験者に昔体験したトラウマを思い出させ、その直後に同し部屋で性格検査を受けてもらいます。しかしそれ以上に有効なのは、被験者をトラウマを体験したその場所に連れて行き、その場で性格検査を実施する方法です。しかし、そこで実証されるのは人の心を傷つけた子ども時代のトラウマの影響力ではなく、その状況のもつ影響力なのです。

行動遺伝学者が成人後の性格を研究する場合には、被験者の性格検査は教室か研究室で実施されます。そして被験者が育った家庭は成人してからの性格にはなんら影響を及ぼさない、もしくはわずかにしか影響しないという結果が出ています。もし行動遺伝学者が家庭環境の及ぼす影響を調べたければ、被験者たちをそれそれが育った家に連れて行き、そこで検査を実施するべきです。しかしそこで研究者たちが実証することになるのは、子ども時代を過ごした家庭が成人後の性格に及ぼす影響力ではありません。実証されるのは状況のもつ影響力なのです。

 

類似もしくは相違

1920年代に先見の明に長けていた二人の発達心理学者が子どもたちの対誘惑性について調べているそうです。子どもたちにあらゆる状況のもとで、ズルをしたり、ものを盗んだりするすきを与えました。家の中、教室の中、竸技会。一人のこともあれば、仲問と一緒のときもあります。その結果、ある状況では真面目であった子も別の状況で真面目であるとは限らないことがわかりました。家では真面目な子が教室や競技会では嘘をついたり、ズルをしたりするかもしれないのです。

子どもや思春期の若者が家の外で不品行な言動に出ると、「社会性ができていない」として親が非難される場合があります。子育て神話では子どもに社会化を施すのは親の役目とされます。しかし仮に子どもが親から教えられたことを他の状況に移行させることができなくてもそれは親の責任ではないとハリスは言うのです。

赤ちゃんは決まった特徴、決まった性向、すなわちどのように行動するかという行動傾向をもって生まれてくると言います。活発さ、仲間を求める心、もしくは怒りやすいといった性向が他人よりも強いかもしれません。これらの生得的な性向は、環境、すなわち子どもの個々の環境によって個別に強化され、修正されていくとハリスは考えています。

性格を構成する要素には生得的な要素と環境的な要素の二つがあると考えられます。生得的な部分はどこに行こうともついてまわり、いかなる状況においても自分の行動をある程度左右します。また、環境的な要素はそれを獲得した状況に限定されています。環境的要素とはある状況でどう行動すべきかをどのように学習したかだけではなく、その状況と結びつく情動をも含みます。もし親のせいで自分はつまらない人間だと思うようになってしまったのであれば、つまらないという感情は、親によってその感情を強いられた家庭という社会的状況と結びつきます。その同じ感情が家庭外での状況と結びつくのは、家の外で出会った人によっても同じような感情を強いられた場合だけであると言うのです。

すべての社会的状況を通じてどの程度性格が安定しているかは、その人の遭遇した状況がどれだけ類似もしくは相違していたかによって左右されると言います。シンデレラが遭遇した二つの社会的状況の間にはあまりにも隔たりがあり、彼女の性格の違いも通常の範囲を超えていました。しかし王子にともなわれて向かった先のお城でシンデレラに会った人はその違いを知る由もありません。その人たちは彼女の家の外の性格しか知らないのです。

成人後の性格を研究する心理学者は総体的に自己記述式の性格検査を実施します。自己を説明する文章を列挙したお決まりのリストが用意され、被験者がそれぞれに該当するか否かを答える形式のものです。ほとんどの場合対象は大学生で、検査は大学の教室もしくは研究室で行われます。ですから、測定されるのは被験者の大学での性格であり、その教室や研究室と結びつく思いや情動なのだとハリスは指摘します。数か月後に時間を超えた一貫性を調べるために再度検査が実施されますが、おそらく同じ教室、同じ研究室で同じ検査が行われるでしょう。気分的なむらはあるでしょうが、基本的には同じ性格で、同じ思いや情動を持っていますので、結果的にはおおむね一貫性が見られることになるとハリスは言うのです。