仲間集団から

三歳児がある仲間集団に入るとき、言語が同じであるから、新たな言語をつくり出す必要はありません。文化も同じだから何もないところから文化を築き上げる必要もありません。確かに子どもたちは独自の文化を築きますが、それは何もないところから築くのではないのです。お互いに共通しているもの、その集団のメンパーのほとんどが共有し、承認するものがあれば、そこから文化が築かれるとハリスは言います。子ども文化は大人文化が形を変えたものであり、子どもにとって、最も身近な大人文化とは家庭で触れるそれだと言います。子どもたちはその文化を仲間集団にもちこむのですが、彼らはためらいがちに慎重にそれを進めます。もちこんだ文化がふさわしくない、すなわち「外の世界」の文化ではないという徴候がありはしないかと目を凝らすのだと言います。『ポートノイの不満』の主人公、アレクサンダー・ポートノイは一年生のときに「スパチュラ」という単語を使うことをためらいましたが、それはその単語を学校で使うにはふさわしくない、自分の家庭だけで通じる単語だと思いこんでいたからだそうです。ハリスも子どもの頃、同じ思いを経験したと言います。彼女の場合は小指を意味する「ピンキー」とう単語だったそうです。

私たちの社会で生きる子どたちは、自分の家庭で身につけたことが、友だちが身につけたものと同じであるかどうか確かめる必要があります。部族社会や村落社会はそのような懸念とは無縁なのです。なぜなら、友だちの家庭で行なわれていることはすべてお見通しだからだとハリスは言います。伝統的な社会にはプライバシーはありません。そのような社会で育つ子どもたちは乳児の頃から、発展した社会では子どもたちには見せまいとするような生と死、骨肉の争いやゴシップ、性や暴力にさらされてきています。伝統的な社会にも私たちの社会同様に性や暴力が氾濫しているはずです。

私たちの社会との違いは、私たちの社会では実生活における性と暴力は人目につかないという点だと言います。そのため、今日の子どもたちは、隣人の生活をのぞき見するのではなく、テレビにその情報を求めます。テレビこそ社会の窓であり、情報を得る村広場なのだと言うのです。彼らはテレビの画面に映し出されるものから「外の世界」を連想し、それを子ども文化に組みこんでいきます。《セサミ・ストリート》の登場人物、ヒーローや悪者もまた、子どもたちが母親の膝の上で学んだ言語同様に、子ども文化の原材料となります。子どもへの悪影響を避ける配慮から子どもにテレビを見せまいとしても、その影響から子どもを守ることはできません。なぜなら、テレビの影響は子ども個人に対してではなく、集団に対して及ぼされるからだとハリスは言います。文化の他の局面同様、テレビの画面上で描き出されるものは、個人の行動に長期的な影響を及ぼします。もっともその内容が仲間集団の文化に受け入れられている場合に限ってのことなのですが、実際そういう場合がほとんどだと言います。

テレビが禁止されている、もしくは隣人と親のタイプが異なるなどの理由で、家庭での生活がどこか風変わりな場合でも、その家庭の子どもは自分の仲間集団と同じ文化を身につけるようになります。彼はそれを仲間たちと同じ場所、すなわち仲間集団の中で学ぶのです。親が外国語を話していても、スプーンやフォークが使えなくても、呪いの効力を信じていても、子どもは自分の仲間たちと同じ言語、習慣、そして考え方を身につけるようになると言うのです。唯一違うのはそれが請け売りだという点です。その文化は彼の仲間たちの親から仲間集団を通じて、彼に伝えられたものなのです。

世の通年

ハリスが夫と60年代半ばから80年代半ばまで二人の娘を育てたニュージャージー州のこぢんまりとした住み心地のよい町は、そのほとんどがヨーロッパ系アメリカ人で、経済状况もライフスタイルも似通っていたそうです。子どもたちが幼いうちは母親たちも仕事をもたず、子どもたちが数プロック先の立派な小学校に通うようになっても母親たちはパートではたらく程度だったそうです。そこでは、他の母親たちとも頻繁に顔をあわせたそうです。なぜなら彼らには共通していることがあったからだと言います。それは、「子どもたち」です。彼らの会話といえば、子どもたちについてがほとんどだったと言います。母親たちの中にはカトリックもプロテスタントも、さらにはユダヤ教徒もいたし、高卒いれば大卒もいたそうですが、それらはあまり関係ないらしく、当時は気づかなかったそうですが、子どもの育て方は皆似ていたと言います。体が曲がってしまうのではないか、敵に呪いをかけられるのではないか、などとは誰も心配しなかったと言います。気になることといえば、子どもたちの学校での様子です。子どもにむりやり食べさせることもしなかったと言います。幼い子どもと添い寝することもなかったそうです。寝る時間は守るべきだと皆考えてはいたそうですが、どれだけ厳格にそれを守らせるかは家庭によってそれぞれだったそうです。一度か二度子どもを叩くことは、それがタイミングよく、正しい意図をもって行なうのであれば、子どもにとってよいことであるとされました。しかし、子どもを棒で殴ろうとは誰も思わなかったそうです。もっとも、そう思うこともあったかもしれないそうですが、行動に移そうとは誰も思わなかったと言います。

もちろん、こうした考え方をすべてお互い同士で植えつけたわけではないと言います。そう考えることが普通とされ、それが世の通念だったのです。雑誌、書籍、そしてテレビにおいてもそうだったそうです。子どもを育てるのに間違った方法があることは認識してはいたそうですが、他にも正しいとされる方法があるとは誰も思わなかったと言います。

世代も交替し、ハリスも今ではおばあちゃんです。母親たちには、平日の昼間、近所の人たちと井戸端会議に興する時間もなくなりました。それでも同じ母親サポート・ネットワークに属している母親同士は子育てに対する考え方が似ているのは確かだと言います。親の仲間集団が近所同士で形成されることは少なくなりましたが、それでもそれが主流であることには変わりないと言います。母親たちは同じ学校、同じ託児所に子どもが通学、通園していることから友だちになります。同じ学校の生徒でなくても、学校外で遊ぶ機会があります。このように、ある仲間集団に属する親の子ども同士もまた、同じように仲間集団を形成している場合が多いと言います。逆の見方をすれば、ある仲間集団に属する子どもの親同士もまた仲間集団を形成していることになります。伝統的な社会も例外ではありません。はるか数百万年前から、これが世の常とされてきたのだとハリスは言います。

文化は親の仲間集団から子の仲間集団へと伝えられるとハリスは考えています。親子間ではなく、集団間で、親集団から子ども集団へと伝承されるのだと言うのです。

三歳児がある仲間集団に入るとき、ほとんどの場合、その子はすでに文化を共有しています。彼は他の皆と似たような家庭、すなわちその地域の典型的な家庭で育てられてきたからだと言います。親がヨーロッパ系アメリカ人である場合や、別の国の出身であっても二世、三世であれば英語は話せます。スプーンやフォークを使い、寝るべき時間が決められているはずだと言います。服装も似たり寄ったりです。同じようなオモチャをもち、同じ食べ物を口にし、同じ祭日を祝い、同じ歌を歌い、同じテレビ番組を見るのです。

育児習慣

アメリカのような多文化社会では、親の子どもの育て方もサブカルチャーごとに異なるようです。母乳は教養がある白人の、それも金銭的に恵まれている女性の間で習慣化されているようです。一部のアフリカ系アメリカ人においては赤ちゃんに母乳を与えなくなってからすいぶんたってしまい、若い世代の中には赤ちゃんをそのように育てることができるということすら知らない者もいるそうです。経済的に苦しむ母親たちに母乳を奨励しようとするニュージャージー州のプログラムの責任者は、「本当にそこからミルクが出てくるって言うんですか、と聞いてくる女性がいましたよ」と語っているそうです。

乳児への食事の与え方、体が曲がるのではという恐れ、呪いをかけられる危険があると信じること、そして抱きしめることの効用などは、心理学者たちが「母親サポート・ネットワーク」と呼ぶシステムの中で、ある女性から別の女性へと伝えられていきます。父親たちもネットワークをもっています。男性の仲間集団の中には反家庭的であることを信条としている集団があるそうです。彼らは家庭にとどまり妻と育児を分担することを嫌うそうです。「おい、奴らと出かけてくるぜ」という具合にです。

研究者たちによると、サポート・ネットワークに属さないアメリカ中流階級の親たちは、文化の規範に反し、わが子を虐待する可能性が高いといいます。しかし、親の仲間集団がすべて厳しい体罰に眉をひそめるわけではありません。これは文化集団やサブカルチャー集団によって異なります。以前はハリスが紹介した二つのメキシコの村、ラ・パスとサン・アンドレスではしつけに関する考え方が大きく異なっているそうです。人類学者ダグラス・フライによると、「サン・アンドレスの親たちはラ・パスの親たちよりもはるかに厳格な体罰を唱道し、それを実践した」と言っているそうです。フライはサン・アンドレスの親たちが子どもたちを棒で殴る様子を目撃したそうですが、ラ・パスではそのような状況には遭遇しなかったそうです。サン・アンドレスの住民の攻撃性が子どもの頃に受けた暴力に由来するものであると断言しなかったフライの功績は大きいとハリスは言います。彼は親が暴力をふるうのは自らが過去に暴力を受けて育ったからではなく、その村の雰囲気を反映するものであると考えたのです。ハリスもそれに賛成しています。

私たちの社会では、体罰に対する考え方は地域やサブカルチャーによって異なります。体罰は裕福な地域よりも、経済的に苦しい地域においてより頻繁に行なわれ、ヨーロッパ系アメリカ人の親たちよりも民族的に少数派の親たちにおいてより多く見られるそうです。こうした育児習慣における文化的な違いは、親の仲間集団を通して波及していきます。

ハリスは夫とニュージャージー州のこぢんまりとした住み心地のよい町で二人の娘を育てたそうです。60年代半ばから80年代半ばまでのおよそ20年間をその町で過ごしたのです。その中流階級の住宅街には、ハリスの娘たちと同年代の子どもをもつ家庭が多かったそうです。そのほとんどがヨーロッパ系アメリカ人で、経済状况もライフスタイルも似通っていたそうです。子どもたちが幼いうちは母親たちも仕事をもたず、子どもたちが数プロック先の立派な小学校に通うようになっても母親たちはパートではたらく程度だったそうです。

皆がそうしているから

ハリスは、以前19世紀のあるドイツ人少々について言及していました。母親は彼女の体が曲がってしまうのではないかと心配し、彼女はヒルを使った治療を施されたり、毎日平行棒にぶら下がったりしなければなりませんでした。体が曲がることへの恐れがまるで伝染病のように彼女の母親の家族や友だちに広まった様子を、彼女は次のように語っていたのです。

「新聞や、もしくは神のみぞ知るような媒体にけしかけられるように、子どもたちの肢体に奇形が生じるのではないかという伝染病的な恐れは突然、母親たちの間で広まった。姿勢がまっすぐで、外見上まったく問題がなくても、母親たちは安心せず、自分たちにも何の役にも立たなかった。医者はあらゆる家庭を訪問し、体が曲がる徴候のある者の早期発見に努めた。それこそが私たちに災難をもたらし、何が起こったのかもわからないうちに、誰も彼もが健康上問題ありとされ、健康状態の評価は治療を正当化するために十分の一ほど低くされた。いとこの三人は、ともに同じ家庭の娘たちだが、三人ともケーニヒスベルクに新たに設立された整形外科施設に収容され、オッペンハイム家の女の子数人はベルリンのブレーマーへと連れて行かれた。そして私の友人の多くは、家庭にいるときにはとんでない装置を着用させられ、夜は整形外科用のべッドに結わえつけられて寝かされていた。」

とんでもない装置ですんだドイツの少女たちはまだましな方だったようです。近所、同じ村、同じ部族の人々がやっているからというそれだけの理由で、親が自分の子どもたちに残酷な仕打ちを行ないうることを彼女たちは知りませんでした。親が娘の生命や健康、出産能力をおびやかすような残酷な仕打ちをしようとするのは、たんに他の皆がそうしているからなのです。彼らの友人や隣人たち、きようだいや親戚、皆が自分たちの娘に同じことを行なっているので、その慣習を拒んだりすれば、これら全員から嘲弄されることになるのです。

そのような慣習は必ずしも親から子どもへと伝えられるものではありません。子どもの体が曲がってしまうのではないかと恐れたドイツの女性たちはその意識を新聞や同じ女性たちから植えつけられたのです。人は自分の子どもたちを友人や隣人たちと同じように育てるのであって、親に倣うわけではありません。そしてこれは今日の社会のように情報過多な社会に限ったことではありません。人類学者ロバート・ル・ヴァインとバーバラ・ル・ヴァイン夫妻が1950年代にアフリカのグシイ族の調査をしたとき、当地には乳児の鼻をふさぎ、息を吸うために口を開けなければならないようにしてむりやり雑穀粥を食べさせる習慣があったそうです。ロバート・ル・ヴァインが二番目の妻サラとともに1970年代にこの部族を再訪したときには、その「危険で無駄な食べさせ方」は影をひそめ、母親たちは雑穀粥をビニール製の乳首のついた哺乳びんから飲ませていたそうです。

哺乳びんの使用は第三世界でも瞬く間に広まりましたが、その変化は必ずしも歓迎されませんでした。メキシコのユカタン半島に居住するマヤ族の女性は、彼女たちが乳児のころには伝統的に母乳で育てられたものですが、現在では自分の赤ちゃんたちには調合乳を哺乳びんで与えているそうです。こうした赤ちゃんの祖母たちはそれを歓迎せず、母乳で育てられた子どもの方が健康でぶくぶく太ると信じていました。実際には、その祖母たちが正しかったのです。ある研究者は、調合乳で育てられた赤ちゃんは胃腸が弱く、痩せる傾向にあるという結果を得ています。その研究者は「なぜユカタン半島の母親たちは自分たちに適した昔からの母乳の習慣を放棄し、あまり適しない新たな調合乳の習慣を歓迎するのだろうか」と首を傾げているそうです。その答えは、友人や隣人がそうしているからです。「ママとやり方が違うからって、ママがその方法を嫌うからって、どうだって言うの?」とハリスは言います。

親の仲間集団

聾の子どもたち、移民の子どもたち、イギリス准男爵の息子たち、確かに彼らは例外かもしれないとハリスは言います。彼らは皆なんらかの理由で、自分の文化を親から習得できない子どたちだからです。では、普通の子どもたちはどうかとハリスは問います。なにしろ、子どもたちのほとんどは親と同居し、近隣で使用されている言語と同じ言語で自由に親と意思疎通を図っているからです。

さらに親のほとんども近隣の人々と自由に意思疎通を図ります。そこで話題となるのが子どもです。自分の子どもがどう成長しているか、どういうふうに子どもを育てたらよいか、自分の何が正しく、何が間違っているのか、などです。これらの話題には誰もが自分なりの意見をもつもので、認識されることはほとんどありませんが、その意見は文化の所産である場合が多いとハリスは言うのです。アントニー・グリンの時代にはイギリスの上流階級の人々は子どもの面前でも子どもが嫌いだと公言したそうです。ヤノマミ族は敵が自分の子どもたちに呪いをかけ、病気や死にいたらせるのではないかと心配しましたが、子どもたち同士が小さな弓矢を使って喧嘩をすることは気にかけませんでした。集団ごとに子どもたちに関して懸念すること、子どもたちへの態度、そして考え方は違うのだとハリスは言うのです。

これらの態度や関心事は親から親へと伝わり、その輪をハリスは「親の仲間集団」と呼んでいます。仲間集団を形成するのは子どもだけではないと言います。大人もまたそれを形成すると言うのです。規範に従わない者に対する制裁はさほど悲惨なものではありませんが、それでも制裁は存在するそうです。とはいえ、大人も子ども同様に、集団の規範に従うことを強要されることはまれだそうです。彼らは自主的に、自動的に、意識することなく、それを行なうのだと言います。

特定の文化もしくはサブカルチャーへの参加者で形成される集団内では、子育ても子どもに関する考え方もかなり均一です。それに気づくのは、その土地に生まれ育った者でなく外国人です。fiscalな父親であるテイム・バークスによると、イタリアでは親は子どもの食事の量が十分かどうかを心配し、むりやり食べさせることも少なくないそうですが、「ある時間になると親が幼い子どもたちをむりやり寝かせる」というのは「考えられないこと」だと言っているそうです。ミケーレが就寝時間に関して「そんなにfiscalにならないで」と言ったことに関して、その父親は「夜更かし禁止のルールは厳守しなくていい」という意味だったのだと言っているのです。実は父親は、無理矢理には寝かせないと言うルールは、典型的なイギリスの習慣であることを知りません。また、この柔軟性はまさしくイタリア人なのです。

ミケーレは就寝時間に厳しいのは典型的なイギリスの習慣であることは知らなくても、それがイタリアでは典型的でないことは確かに知っているようです。ティム・パークスは自分がイタリア人ではないので、イタリア式の子育て法に従うつもりはないでしょうが、それでも息子からの抗議には不安を覚えたのです。親は子どもの育て方に関しては友人や近隣の人々と食い違うのを嫌い、それを心配するのです。さらに子どもたちはこの弱点を敏感に察し、すばやくそれにつけこむことを覚えます。「家に電話するように言われているのはボクだけだよ」「他の奴らは皆新しいナイキをもっているのに」と言い出します。親はこれらの明らかな策略を嘲笑うだけですが、それでも完全に免疫ができあがっているわけではないのです。

どこで学んだのか

パブリック・スクールでの教育の目的は、品性と心の鍛錬、適切な社会的イメージを備えること、よき友人を得ることが目的であるほか、正しい話し方を身につけることも目的だとアントニーは言っています。英国貴族の若き息子たち、さらにはそのまた息子たちが長い年月の間、徐々にですが、没落の一途をたどりつつある様子をアントニーは次のように語っています。

「長子相続制度のために、長兄以外の息子たちは成人すると『落ちこぼれ』てしまう。自分の息子をかつて自分自身が在籍した学校に人学させることができず、その結果、社会階級が徐々に落ちてゆき、『言語にもアクセントにも貴族らしさが見られなくなる』。」

ASLの教師であるスーザン・シャラーは、「言語とは特定の部族に所属することを示す会員証」だと言ったそうです。イギリス人にとってのそれはアクセントなのです。正しいアクセントこそが、上流階級に属する証だと言うのです。『蝿の王』の中で、ピギーという登場人物は三つのハンディキャップを背負っていました。デブで、メガネをかけ、そしてアクセントも違います。全寮制学校出身者だったのは、悲劇の元凶であるジャックだと言います。ウェリントン公も面目まるつぶれだとハリスは言います。

洗練された全寮制学校に通っていた少年たちはその貴族的なアクセントを中・下流階級出身の乳母から教わったわけでもありません。また親とのわずかで、そっけない関係の中で習得したものありません。荘園領主の館生まれの教師はまれであるため、教師から習得したものでもありません。彼らは彼ら同士でその話し方を身につけたのです。アクセントはイートンやハロー、もしくはラグビーといった場所で、年長の子から年少の子へと代々語り継がれていきます。またイギリス上流階級文化のそれ以外の特徴であるこわばった上唇、謹厳実直、洗練された美的感覚も同じように伝えられます。少年たちは父親の施す堅忍不抜、質実剛健についての説教から文化を習得するのでもありません。父親が文化を習得したその同じ場所で、彼らも習得するのです。

イギリス貴族たちが自分の息子たちを入学させるプレバラトリー・スクールでも、パブリック・スクールにおいても、伝承される子ども文化があり、それはオービー夫妻が調査した遊びと同じく、年長の子どもから年少の子どもへと伝承されます。テレビが登場する以前はこうした学校の生徒たちが大人文化に触れる機会はほとんどなく、学校外の世界で起こることが彼らの生活に影響を及ぼすことも少なかったです。ラジオを聴く機会も、新聞を読む機会も限られていたため、目新しいものは自分たちで考案するもの以外には何もありませんでした。コーホートもそれ以前の集合体と大差なく、何世代もの子どもたちが通過しているにもかかわらず、文化は変わらぬ様相を呈しつづけました。息子たちが父親と酷似するのは、両者とも同じ場所で、同じように社会化を果たしたからなのです。息子たちは、自分の父親が以前にそうしたように、卒業する時に文化を道連れにしました。その両者の文化はかなり近似したものだったのです。

若い世代が年配の世代から文化を習得すると考えるのが普通ですが、この場合はその逆であるとハリスは言います。子どもたちは大人文化とほとんど接触することはありませんが、大人は常に子ども文化にさらされてきました。皆、昔は子どもだったのです。

父親の関与

宮崎県幸島のニホンザルの群れに属する4歳のイモは、麦の粒と砂を海に投げ入れることで選り分ける方法を発見しました。それはまた別の文化的新をもたらし、それを先導したのが二歳のメスのエゴでした。エゴは仲聞集団に泳ぎを教え、まもなくすると若ザルが皆波打ち際でバシャパシャと泳ぎ、海とりに水中に潜るようにもなりました。群れの大人ザルはほとんどこの遊びには加わりませんでした、その大人ザルも徐々に他界し、若ザルが歳を重ね、大人ザルへと成長していきました。こうして海で泳ぐことが幸島のニホンザル文化の一端を成すようになったのです。

時満ちて、若年層が年配層になります。以前の先輩たちと大きく異なる場合もあれば、ほとんど変わらない場合もあります。19世紀初頭から20世紀半ばにかけて、イギリスの上流階級では、数世代にわたり、男性的な行動様式、態度、さらには話し方にいたるまでが親子でそっくりだったそうです。父親は子育てにはほとんど関与していなかったにもかかわらずです。このことが、ハリスを不思議に思わせたきっかけだったそうです。

サー・アントニー・グリンは准男爵を父にもち、イギリスの典型的な上流階級で育てられました。彼は1913年に生まれ、最初の8年間は乳母や家庭教師が彼の面倒を見ました。当時の上流階級の紳士淑女たちは、子どもが嫌いだと公言することをはばからなかったそうです。子どもの姿は見ても声は聞かず、という慣習だけでは満足しなかったのです。アントニーは、「真なるイギリス人とは、子どもたちの姿も見かけない方がいいと思っているものです。長期休暇ごとに堅忍不抜、質実剛健、そして切磋琢磨について説教する、親の役目はそれで十分なのです」と言っているそうです。

8歳になると幼いアントニーは上流階級向けの全寮制学校である私立の初等学校へと入学し、その後イートン校へと進みました。18歳でイートンを卒業するまで、彼が帰省したのは学校の長期体暇のときだけだったそうです。彼が父親と接触するといえば、年に二回行なわれる堅忍不抜、質実剛健、そして切磋琢磨についての説教のときくらいだったのでしょう。

アントニーは、「学校とはそれ自体が目標であって、とりわけその学校が伝統校であり、優秀な男児を養成することで有名であれば、なおさらでした」と、皮肉たつぶりに言っているそうですあまり楽しい思いではないのだろうかと思ってしまいます。しかし、彼もイートンが優秀な男児を養成するという点は否定できないでしょう。ワーテルローの戦いでナポレウェリントン公は、「イートンの校庭が勝利をもたらした」と評したそうです。その場所でこそ、イギリス人将校としての品性が養われたのです。しかも教室ではなく校庭なのです。男児たちが教師たちからほとんど監視されずに遊ぶ場所です。公爵が賞揚したのはイートンの教育ではなく、そこの文化だったのです。

「上流子弟が通う全寮の私立中等学校であるパブリック・スクールでの教育の目的は役立つことを学習することでもなければ、それどころか、学習そのものでもないのです。品性と心の鍛錬、適切な社会的イメージを備えること、よき友人を得ることが目的なのです」とアントニーは言っています。

子ども文化は寄せ集め

数百年もの間子どもたちによって試されて確立した遊び継いできた遊びは、親から教わるものではなく、ティーンエイジのお兄さんお姉さんから教わるものでもありません。オーピー夫妻によると、

「子どもが思春期に達すると、奇妙なことだが、本当に彼は遊びへの関心を一気に失うのだ。成長の過程なのか、今まで彼の大部分を占めていた遊びの記憶を実際になくしてしまうのかもしれない。…1年前に誇らしげに教えてくれた遊びの情報に関してもっと詳しく聞きたいと思った14歳の子にばったり再会しても、その子はわれわれの問いをただぼんやりと聞いているだけだった。」

14歳の子どもが、それほど記憶力が悪いとはとても思えないとハリスは言います。かつて情報を提供してくれた者が口を閉ざしたのは、物忘れからではなく、気恥ずかしさからだと言います。ティーンエイジャーにとって、子ども集団の一員とみなされるのは、保育園に通う子どもが赤ちゃんと呼ばれるのと同じくらいばつが悪いのです。「オレは彼らとは違うぜ」とその14歳の少年はオービー夫妻に言ったそうです。「彼らが何をしてるかなんて、オレに聞かれても困る」と。自己カテゴリー化は今現在の自分に対して行なわれるため、ティーンエイジャーに自分も子どもだったときがあると認めさせるのは、彼もいつかは大人になると信じさせるのと同じくらい難しいことなのだと言うのです。

遊び、言葉、大人を欺く戦略、細かな慣習、子ども文化はまさに寄せ集めだと言います。子どもたちは好き勝手に、その集団に属する子どもたちの大半に認められたものであれば何でもかんでもその中に投げ入れます。大人文化からも取捨選択をして取り入れるため、集団ごとに文化の内容は異なります。ロバーズ・ケイヴの実験ではそれぞれ、ラトラーズは強靭で男らしくあることに、一方のイーグルズは相手よりも信心深くあることに専念しました。それらは少年たち全員が共有する文化の違った側面でした。14日という期間で、彼らは二つの対照的な文化を築き上げ、それぞれの文化に即した行動様式を取り人れたのです。

複数の文化に属する子どもたちは、それぞれの文化から取捨選択ができるので、選択の幅はいっそう広まります。アラスカの夏の長い夜、ユビックの村落の少女たちは、伝統的なイヌイットの遊びである「絵ものがたり」に興じます。鈍いナイフで泥に絵を描きながら、それに関する話をするという遊びであり、話が進展するに従い、描いた絵を手で消し、その上から新しい絵を描きます。以前はその話も少女たちの祖父母が話すユビック語で語られましたが、この村落の子どもたちはバイリンガルで、彼女たち同士では英語を使っていました。今では、泥に絵を描きながら、ユビックの少女たちが語る物語は英語で、その物語の中にはテレビで見る登場人物や内容からつくられるものもあったそうです。

文化はたったの一代で変えてしまうこともできれば、無から築きあげることもできるとハリスは言います。革新勢力となるのは、年配層より若年層で、彼らはまた斬新な発想を快く受け入れます。宮崎県幸島のニホンザルの群れに属する4歳のイモは、麦の粒と砂を選り分ける方法を発見しました。砂まじりの麦を海に投げ入れると、砂が沈んでゆき、麦だけが水面に浮かんで残るのです。イモの遊び仲聞がそれを真似ると、最長老のサルを除く群れ全体が水中に麦を投げ入れるようになりました。

大人に隠れて

秘密のものを別の子どもに見せることで、たった一人の反抗行為が集団性の表象として、われわれ子ども対大人へと変わり、楽しみがいっそう増します。子どもたちが「大人の支配を嘲弄し、かいくぐる」ための戦略は保育園文化の中でも特に尊重される部分なのだとコーサロは言っているそうです。大人の支配を嘲弄し、かいくぐる、という行為は子ども集団にはつきものだとハリスも言います。世代が代わるたびに独自の戦略を構築するため、子どもたちは年長の者からその戦略をおそわる必要もありません。ただし、慣例化しているものの中には、年長の子から年少の子へと伝えられるものもあり、それも子ども文化の一角を成すことになると言います。ウィリアム・コーサロが何カ月も、観察者として過ごしたイタリアの保育園には三歳から五歳までの子どもたちが在園していましたが、五歳児の中には三歳のときから在園していたという子もいました。何世代かが重なって存在する状呪を心理学者は「コーホート」と呼ぶそうです。コーホートにより、慣例化するものが生まれ、それが年少の子へと引き継がれます。コーサロは、この保育園の子どもたちには先生には知られていない慣例があることを発見したそうです。園庭の壁の外に清掃車がゴミの収集にまわってくると、子どもたちはジャングルジムの上によじ登り、壁越しに清掃車の運転手に手を振るのです。また運転手もそれに応えます。子どもたちはそれをとても楽しみにしていたのだそうです。

言語もまた同じようにして引き継がれるとハリスは言います。アフリカのニャンソンゴ族の子どもたちの間では、自分たちの間だけで通じる、体の特定箇所を指す卑猥な表現があるそうです。大人はそのような表現は使わず、また大人の前での使用は禁じられています。幼い子どもたちは年長の子どもたちからそれを教わり、ある時期に達すると自分よりさらに幼い子どもたちへと語り継いでいきます。これらの表現は子ども文化の一部であり、それは大人文化には存在しないものです。

ハリスは、さらに忘れてはならないのが、子どもたちの遊びだと言います。イギリス人研究家アイオナ・オーピー、ビーター・オーピー夫妻は、子どもたちの屋外での遊びと親や教師の目の届かないところでの遊びを一生涯研究しつづけました。「今日の学童が何世紀か前の世界へと漂着するようなことがあれば、その子は他のどんな社会的慣習よりも、遊びの中で安堵感を覚えることだろう」と夫妻は語っているそうです。彼らはイングランド、スコットランド、およびウェールズの学童たちが今日でもローマ時代から伝わる遊びに興していることを発見したのです。

「子どもたちが外で遊ぶときには…最も古くからあり、もっともおもしろい遊びに興じる。それらの遊びは数百年もの間それを遊び継いできた子どもたちによって試されて確立したものである。そこには活字も正式なルールも大人の承認もいっさい関与していない。」

独自の文化

しかしハリスは、子ども時代と刑務所とでは重大な点において違っていることをつけ加えています。残念ながらすべてとはいえないのですが、子どもたちのほとんどは、囚人たちよりも快適で幸せな生活を送っています。さらに子どもたちは自分たちを見守ってくれている多くの人々を愛し、彼らもまた愛されています。それは、通常、感情は互いに与え合うものであるからです。そして子ども時代と刑務所の決定的な違いは、囚人たちは1年か2年すれば「娑婆」に戻り、自らが望めば刑務所で身につけた行動様式や態度を葬り去ることもできます。しかし、子ども時代は時間的にもはるかに長く、そこで学習されたものは永遠に消えることはないのです。

子ども時代は学び習う時期ですが、子どもたちを空の花瓶のように、彼らの生活にかかわりのある大人たちが意のままに注ぎこもうとするものをただ黙って受け入れるだけの存在としてとらえるのは間違いだとハリスは言います。大人社会の一員として一人前になることを目指して人知れず奮励努力する見習いとして彼らをとらえるのも間違いだとも言います。子どもたちは大人社会の落ちこぼれではありません。彼らは独自の基準と文化をもつ彼ら自身の社会に属する有能なメンバーなのだと言うのです。囚人文化や聾文化同様、子ども文化もまた支配的な大人文化の一角をなし、それゆえに漠然とではありますが、それに準拠しているのです。しかし支配的な大人文化に合わせるにしてもそれは自らの足場固めのためで、子ども文化には大人文化にはない要素も含まれていると言うのです。さらにすべての文化がそうであるように、子ども文化もまた合同作品であり、個々人の集合体がつくり出すものなのです。他の子どもたちなしでは、独自の言語はつくり出せないのです。独自の文化もまた然りだと言うのです。

そうした個々人の集合体が協議を開始する時期は早いと言います。伝統的な社会では幼い子どもたちの遊び集団の中で、私たちの社会では保育園や託児所で、その様子を見ることができるとハリスは言います。ここでハリスが言う「伝統的な社会」とはどういう社会なのでしょう。現代の社会の中では見られないのでしょうか。

社会学者ウィリアム・コーサロは子ども文化の研究を専門とし、イタリアとアメリカで保育園に通う三歳から五歳までの幼児の観察を数年間つづけているそうです。この年代の子どもたちが先生には気づかれない程度に、もしくは気づかないふりをする程度に規則を破り、先生をだますことにどれだけ意気揚々とするか、その様子をコーサロは詳述しているそうです。たとえば、どの保育園にも「オモチャやお菓子をもってきてはいけません」という規則があります。それに対して、子どもたちはどのような姿を見せたのでしょうか?

「アメリカやイタリアの保育園でも、子どもたちはポケットに小さな自分だけのものを忍ばせて、その規則をかいくぐろうと試みる。とりわけ人気があるのが、小さな動物のオモチャ、ミニカー、飴、そしてガム。彼らは遊んでいる最中に、遊び仲間とその「秘密の戦利品」を見せ合い、先生に見つからないようにそれを共有するのだ。もちろん先生もすべて承知しているが、些細な規則破りには目をつむることにしているだけなのだ。」